2016年7月30日土曜日

池田澄子「終生英霊なれば終生若し」(『思ってます』)・・・



池田澄子第6句集『思ってます』(ふらんす堂、装幀・和兎)。句集名は以下の句から、

  春寒の灯を消す思ってます思ってます      澄子

確かこの句は、3.11東日本大震災の折りに詠まれた句のように記憶している。その背景を思えば、「思ってます思ってます」のフレーズは過不足ない。「あとがき」に池田澄子は次のように書きつけている。

 直接には被害を受けていない私、敢えて言えば多くの私たちは、ひたすら人々の無事を祈り心配した。余りの心配と祈りは言葉を受け付けなかった。思いは何の役にも立たなかった。思えば物心付いて以来、当然のことながらいつも何かを思っていた。思うことで行動する場合もあるが、殆どの思いは、何処かに届くわけでもない。俳句はモノやコトを描くことで思いをちらと見せる。が、思いは、何の役にも立たない。

巷間よく言われていることだが、言葉の力とは、何なのであろうか。ひたすら幻視する思いのことなのであろうか。言葉それ自身には、何の力もないのだ。言葉を発する者、言葉を聞く者の関係性がそこに在るだけではないのか。そこに横たわっている沈黙。背景とは前書きのようなものだから、それがなくなれば、思いの普遍性の方に、たぶん傾くだろう。しかし、その普遍性に傾いたぶんだけ、背景は遠のいてゆく。その秤のバランスはじつにかなしい。
池田澄子は愚生より一回り年上である。傘寿に届いたのだろう。
彼女が師と呼ぶ三橋敏雄は79歳で句を発表しなくなった。池田澄子は、その歳を超えて、さらなる未知の世界を創出しようとしているのだ、と思えば、この先を三橋敏雄とはもっと別の道を歩くことになるだろう。是非、遠くまで行くために書き続けてほしいと思う。
本句集においては、以前にもまして死を思う句が多いと感じたのは愚生のみであろうか。
ともあれ、以下にいくつか愚生好みの句をあげておきたい。

  無くなりしものは想われ葦の角
  花は葉にそれとも花はなかったか
  蝦蛄来ませ元旦の灯の畳の上
  火星よりも冥土近けれ飛ぶ柳絮
  膝抱くと背中遥かや去年今年
  夏掛や逢いたいお化けは来てくれず
  裏白やあいつ病むとは気にいらぬ
  机上に蛾白し小さし生きてなし
  被爆死者菊の花輪に気が付くか
  指の血は舐めてわすれて敗戦日
  夕しぐれ一生一度の絶命に
  こんなにも咲いてさざんか散るしかない
  母よ貴女の喪中の晦日蕎麦ですよ
  わが句あり秋の素足に似て恥ずかし







2016年7月25日月曜日

石井辰彦「魂は愛国者(ペイトリオット)  それよりも大事なとこは無政府主義者(アナーキスト)さ」(『逸げて来る羔羊』)・・・



石井辰彦『逸げてくる羔羊』(書肆山田)、歌集といえば歌集なのだけれど、採用された表記は天地揃い、字間の幅、句読点、またルビ、当初に添えられていたというエピグラフは覚書として投げ込みの付録に収録されるなど、読者は本著を手にとることによってしか味わえない世界がある。
こらされた趣向も、愚生がうまく紹介できようとは思われない。がいくつかの歌を紹介しておきたい。まず本書のなったいきさつについて石井辰彦は「覚書」の冒頭に記している。

 十首一連の連作短歌六十編を一巻に集成し、『逸げて來る羔羊』と題して上木す。全ての作品は明治学院大学言語文化研究所の読書会《読む短歌・詠む短歌》において、二〇一〇年五月から一五年一月に掛け、朗読および朗読用テクストというかたちで逓次発表された。巻頭の一篇を除いては、これが印刷媒体での初出となる。然るべき推敲は行ったが、表記法には大略手を加えず、二〇一〇年度から一四年度までの作品を、幾分色調を異にする諷刺詩風の作品も含めて制作順に並べ、年度毎に章を分かった。

 開巻第一首は(原歌は一行表記)、 

  夕暮(ゆふぐれ)の暑きに倦(う)みて(伝来〔でんらい〕の)茶器(ちやき)の冷たき肌膚(はだへ)、を・・・・・ 愛撫(なで)


章は分かたれたものの、巻尾の一首は、

   夕暮(ゆふぐれ)の暑きに倦みて(一心〔いつしん〕に)愛撫(なで)る。   冴えゆくナイフを愛撫(なで)
  
劈頭、巻末の歌は対応している。夕暮に愛撫(なで)るものは伝来の茶器の肌膚、それが冴えゆくナイフに変貌する。
帯には「にげてくるこひつじーーそのおののきとあらがい/・・・一匹(イッピキ)の羔羊(こひつじ)が逸(に)げ来る」とある。連作なれどいくつかの歌を単独に、以下に紹介したい。

  (ぎ)に死にし(父祖)の誰彼(だれかれ)・・・・・ 犬死(いぬじに)でなかつた事例(こと)は、(すく)なからうぜ

  蕃殖(はんしよく)に関与(くわんよ)せぬまま、殉じようーーー 滅亡(ほろ)びゆく惑星の大儀(たいぎ)

  雲に臥す身とこそならめ。世界中(どこもかしこも)汚(けが)れてゐるが

  香(カウ)を炷(た)き、雲とはなさむ。   この星の腐敗(フハイ)を(暫〔しま〕し)遅らせるため

  終夜(よもすがら)降りしきる、雪。 生きよう、と、思ふ。秘めごとだらけの生(セイ)

「石井辰彦 歌人。1952年横浜生まれ。連作の構造を視覚面を含めて重視し、句読点の類を多用、古今の文学・芸術からの引用や反響を秘めた、特異な作風を採る」。




  

2016年7月23日土曜日

杉本青三郎「順番にメロンの貌をする遊び」(第131回「豈」東京句会)・・・



本日は、隔月開催の第131回「豈」東京句会(於:白金台いきいきプラザ)がおこなわれた。
愚生は、諸事情許さず参加できなかったのだが、句会担当者より充実した句会だたっとの報告と高点句含めを参加各人の一人一句を送ってきていただいたので、以下に挙げておきたい。


         順番にメロンの貌をする遊び      杉本青三郎
   明け易き都市に羊が溢れたり      川名つぎお
   熱帯魚コピーして水草のささやき    佐藤榮市
   消えるまで時間をかける花火かな      鈴木純一
   夕焼けに包帯をする男いて        山本敏倖
   白ペンキ真夏のにおい深くなり      小湊こぎく
   鬼やんま過去がわたしを追い越して     羽村美和子
   六六魚(りくりくぎょ)無呼吸にテロ走る  早瀬恵子
   雨の海モーゼと渡る馬齢して        岩波光大
   夕涼み赤チンの膝揃へたる        堺谷真人

次回、第132回「豈」句会、9月24日(土)は、いつもの白金台いきいきプラザが取れなかったので、急遽、愚生の勤務先の「府中グリーンプラザ」(京王線府中駅北口からデッキを通り直結。電話・042-360-3311)第5会議室で行います(午後1時~5時)。大國魂神社も5分と近く、天然記念物指定の欅並木傍なので、都内、千葉などからは遠方なりますが、吟行がてら参集いただけたら幸いです。「豈」同人以外の方々も参加自由なので、気楽に覗いて下されば幸甚。ちなみに投句は雑詠3句です。


            

松下カロ「鳥帰る空に無数のかすり傷」(『白鳥句集』)・・・



『白鳥句集』(深夜叢書社)は先に評論集『女神たち 神馬たと 少女たち』を上梓した松下カロの白鳥づくしの句集である。だから、ブログタイトルに挙げた「鳥帰る空に」の句は「白鳥の空に」と書かれても不思議ではない句である。そのあたりの事情については、坪内稔典の以下の帯文が見事に言い表していよう。

   興福寺の阿修羅像、チャップリン、そしてヤマトタケル、チャイコフスキー、若山牧水・・・・・。彼らは白鳥だった。そして今、松下カロという白鳥が俳句シーンに降り立った。

というように、この句集は白鳥で埋め尽くされているのだが、実は「白鳥」の部分に「松下カロ」と入れれば、それらの句が見事に著者のさまざまな分身であるのかも知れない、と思わせる。例えば(原句は旧字使用)、

    乱心の白鳥にして人の妻      カロ
    白鳥が人を憐れむ国境
    セーラー服も白鳥も汚れけり
    白鳥死ぬ日の金色の水溜り
    白鳥がうつかり零す貝ボタン
    一羽より二羽の白鳥淋しけれ
    白鳥も薄暮に尖る乳房もち
    白鳥のたましひ濡らすオキシフル
    白鳥に黒髪なびく祝祭日

白鳥は冬季であるからだろうか、季をたがえる場合は「鳥帰る」「雛孵る」「鳥雲へ」などと配慮されているようにも・・・とはいえ、すべてを白鳥にしてしまうことも可能だったろう。これも「未見の言葉を捜すことに熱中」(「あとがき」)したゆえならば肯うことにしよう。
松下カロ・1954年東京都出身。
 


2016年7月22日金曜日

高橋 龍「夏山の引つかき傷を敏雄搔く」(『小橡川』)・・・



不及齋叢書・拾「高橋龍句控『小橡川』(高橋人形舎)」の発行日は、2016年7月8日、7月8日は
言わずとしれた蟬翁・高柳重信の忌日である。早いもので没後33年。
記された「書名解題」によると、

 小橡川は、奈良県吉野郡北山村を、北から南へ流れ河合という村役場のある集落のあたりで、北山川に合流する川である。
 わたしがこの地を訪れたのは、平成十三年(2001)七月末の猛暑のつづく日であった。(中略)わたしがなぜこんな吉野の山奥に関心をもったのか。実は以前に谷崎潤一郎の「吉野葛」。近年には花田清輝の「『吉野葛』注」、「開かずの箱」、「力婦伝」(『室町小説集』所収)や瀧川政次郎監修『後南朝史論集』を読んだからである。バスの乗り継ぎ場所としてばかりではなく、川上村にもたずねる所があった。(中略)長禄元年(1457)十二月二日、いわゆる嘉吉の乱(1441)で六代将軍足利義教を謀殺して取潰された赤松氏の遺臣らが、この地に潜んでいた南朝の皇胤、一宮(北山宮)・二宮(河野宮)兄弟を討取った。その二宮(河野宮)の墳墓がこの村にあるのである。

「あとがき」には、

奇しくも、今年は一宮(北山宮)・二宮(河野宮)が弑されて五百六十年に当たる。多少の感慨なきを得ない。「後南朝史」とは中世における神話なのではあるまいか。

と記されている。高橋龍とかかわりのあった忌日句と、他のいくつかの旦那芸?的句を以下にあげておこう。

          郁乎忌に
       ほととぎす芭蕉に勝る其角かな
       敏雄ほどには見えぬはるかや夏霞
          句控「擬檀林」訂正
       『野』に野分間庭とよ子の逝きし夜に
          追補
       人見絹枝と走りし澤村和子の忌
          ヴァグナーと高柳重信
       共に泳ぐ/船長に/海/死を許さず
       阿部鬼九男しのぶ集ひの小米花      
     

       尼寺の居着く鴉も春の鳥
       六月の雨は天から降つてくる
                BOOK・OFF戦争文庫『安倍一族』
       聖母(しょうも)ない女と嘆く青葉木菟
       変り玉変りつくせる春の色

       虚子超える兜太見上ぐる鳥雲に
       二十歳その振り仮名やあすはしぬ





                 ヘクソカズラ↑

2016年7月18日月曜日

矢田鏃「底抜けて悲しきときを暑さかな」(『石鏃抄』)・・・



矢田鏃(やだ・やじり)、1953年大分県生まれ。81年より永田耕衣に師事。神戸市在住。現在、「らん」同人。第三句集『石鏃抄』(雺工房)。
さしずめ次の句には、永田耕衣「白菜の道化箔(どうげはく)なる一枚よ」の俤がある。

    則天去私白菜のやうなもの      鏃

「あとがき」に言う。

 わたくしの内なるテーマは、命の大切さ、命から萌芽する〈愛〉の切実さについて自分の文体で書き続けることだと考えています。荒廃した日本の隅っこで執拗に問い続けることです。

それを直截に詠ったのが以下の句。

    ねつとり若葉第三の眼とは愛
    少年や愛で火達磨の晩夏よ
    赤い山いのちは愛の暗渠かな
    蔓物の最も端に愛はある

また、愚生好みの句を挙げさせていただく。

    金剛の全球なれや卵の中
    一葉二葉と風の中冴え返る
    謙譲や黒揚羽飛び批評だつた
    星月夜手を天秤の上に乗す
    



                    ムクゲ↑

2016年7月16日土曜日

照井三余「朝から酒さるすべりに叱られる」(『七草の孤心』)・・・



照井三余(てるい・さんよ)は「豈」同人になって、一年ほど。が、しかし、句歴は長い。今は故人となった酒井流石や小宅容義、嶋野國夫に学び師事してきている。現在は「夢座」「蛮」の同人でもあり、「垂人」にも関わっている。それもこれも俳句に対する探求心のなせるところらしい。つまり、若き日に師事した結社誌がことごとく終刊、廃刊になり、実のところはねぐらが定まらないデラシネのような按配になってしまったのだ。
それでも、いよいよ期するところがあって、これまでの多くの句を棄てながらも第一句集を上梓することに決めたらしい。
照井三余は1944年、北海道生まれ。句の背後には故郷への思いが滲む句がある。

   黒かった雪 痛かった雪       三余
   霰に目覚め嵌め殺しの故郷
   腰振って川太くなる眩しさよ
   気嵐を抱く船団の男粋
   故郷の浜侵食に夏果てる
   ふるさとの薫風が背に重い

ところで、三余という俳号は、もとは父の号らしい。だから俳号に限って言えば二代目・三余である。それは「魏志王粛伝」にある読書に利用すべき三つの余暇、すなわち冬(年の余)と夜(日の余)と陰雨(時の余)をさして言うことらしい。ただ、彼自身に言わせると、よい妻がいて、よい子どもたちに恵まれ、よい仲間に恵まれている、三つの余剰の幸せのこと、だと本心から言う。
本句集名『七草の孤心』(ことこと舎)のもとになった句は、

   七草の粥に孤心をうすめたり

である。本句集造本全体の構想、装幀、表紙写真などのもろもろは「夢座」の銀(しろがね)畑二が尽力した。序文ははずかしながら愚生、跋文は、伊達家の末裔・伊達甲女。跋によって初めて知ったのだが、著者はかつて「豆腐の三余」と綽名されていたらしい。ちなみに所収の豆腐の句を挙げておこう。
   
   春水に浮く扁平な手と豆腐
   春半分豆腐半分割った朝
   自転車の豆腐の震え夏近し
   薔薇の庭から豆腐屋を止める
   湯豆腐を左右におとす酔の箸




                                            
モミジアオイ↑

2016年7月14日木曜日

宇野恭子「根の国も雨つのるらむ川祓」(『樹の花』)・・・



井上弘美の序文によると、「恭子さんの作品には多くの植物が登場するが、それは恭子さんが絵心をもった人だからでもある」という。巻末ページに添えられたいちじく?の葉であろうか、モノクロの挿絵は著者のものである。清楚な感じだ。樹の花と言えば、次の句にあるような地味な樹の花は愚生の好むところだ。秋には必ず実を結ぶ。

  波郷忌の楢も櫟も風のなか      恭子

この句にはまた波郷の「吹きおこる秋風鶴を歩ましむ」を想起させる。波郷がいつ亡くなったか知らなかったが調べると11月21日とあるから、暦の上では立冬を過ぎて冬季の句に分類されるのだろう。が、実感としては晩秋の趣の方が深い。また。句の味わいもその方がいいと思われる。当然波郷の句、鶴を歩ましむに連想が及ぶのも冬風では具合が悪い。
ともあれ、いくつかの句を以下に挙げておこう。

  秋蝶のまた低く飛ぶ白く飛ぶ
  父の忌のあとの母の忌花擬宝珠
  縄跳の手の昏れのこる一葉忌
  数珠なりに昏れてゆくなり冬の鹿
  手を打つて螢袋を起こしたく
  根の国も雨つのるらむ川祓
  合はす手の船形の火へ向き変へぬ 

宇野恭子、1958年和歌山県生まれ。京都市在住。第一句集『樹の花』(ふらんす堂)。年譜によると石田郷子「椋」、綾部仁喜「泉」、井上弘美「汀」に師事とある。



2016年7月12日火曜日

矢上新八「老蝶のなんや艶めく水の上」(「ジャム・セッション」第9号)・・・



「ジャム・セッション」(非売品)は江里昭彦が年2回編集・発行する個人誌である。当然といえば当然だが、掲載される記事や写真を含めて、それらすべてに江里昭彦の在り様が伺える。今号のゲストは、かつて1970年ころの坪内稔典らの「日時計」,のちに澤好摩らの「天敵」に所属した矢上新八の大阪弁俳句である。また本誌が他に見られない特色といえば、各号に必ず俳句作品と散文が収載されている江里昭彦と、彼が京都府立医大に勤務していた頃に、当時の学生であり、面識のあった中川智正である。死刑囚である中川智正は「私をとりまく世界について」を連載していて、さまざまな制約が予想されるなかで、オウム真理教に関わる自身のことを真摯に記している。貴重である。
ダライ・ラマと会い、チベット亡命政府の元宗教大臣だった人の説法について述べた部分を以下に引用する。
 
  私たちは宿の一室に集まってその人の話を聞きました。弟子は三十人ほどで、麻原氏もその場にいました。元宗教大臣は英語で話し、弟子のJさんが日本語へ通訳を担当しました。元宗教大臣が話した内容には、以下のような一節がありました。「仏教は、それを信じる者に四つのものを与える。最初はピース(心の平安)である。次はプロスぺリティ(経済的繁栄)である。それからパワー(政治的な権力)だ。そして仏教が与える最後のものはフォース(軍事力)である」。私にも分かる英語でした。Jさんの誤訳ではありません。
 (中略)
オウム真理教は金儲けや権力欲だけのために活動していた、と言う人が沢山います。一方、私は以前、ザイールの援助について書き、今回もダライ・ラマへの百万ドルを書きました。別に教団がいいことをしていた、と書きたい訳ではありません。要するに、教団は独自の論理のもとに自ら「正しい」と思うことを追求していたのです。教団が世俗の中の成功だけを夢見ていたとしたら、あのような事件は起こさなかったと思います。

以下に同号の掲載作品を数句挙げておきたい。

    どないにもならん鴉や花曇り        矢上新八
    霞草散らざるものは窄(すぼ)むのみ   中川智正
    肺炎の肺を遺影に実南天
    明眸の乾布摩擦の友いずこ         江里昭彦
    きょう誰の忌日 背なかに聴診器
    一匹死に春の金魚の買ひ足され      嵯峨根鈴子
    神のどの手もふさがつて色鳥来





*閑話休題・・・

愚生は先般、前立腺がんの疑いで検査入院したのだが、昨日の診察で、生検の結果は白だった。当面は経過観察のみで一応ホッとしている。悪運はまだ残っているようである。前にも書いたが、想定外だったのは麻酔による後遺症?の頭痛とめまい(なる人は5%、それなりに珍しいらしい)。ほとんど良くなったが、今日の太極拳の会は大事をとって休むことにした。
御心配いただいた方々へのご報告です。いよいよ暑さも増してきましたこのごろ、諸兄姉・皆様のご自愛、ご健勝を祈念いたします。



                     サルスベリ↑

2016年7月10日日曜日

広渡敬雄「水涸れて天狼揺るぎなかりけり」(『間取図』)・・・



広渡敬雄(ひろわたり・たかお)、1951年、福岡県生まれ。
著者第三句集名『間取図』(角川書店)は以下の句より、

    間取図に手書きの出窓夏の山      敬雄 

「あとがき」には、

  第二句集『ライカ』を上梓して七年。能村登四郎先生、私淑する飯田龍太先生がお亡くなりになってからも各々十五年、九年がたつが、登四郎先生の艶、龍太先生の凛を目指すものの足元にも届かない。
 『ライカ』のあとがきに「私の俳句は、この地球上に存在しない純粋の青い薔薇を求めての永遠の旅であろう」と書いたが、その思いは今も同じである。

と記されている。いわば、本句集のありどころ、目指してきたところを自身開陳されているわけだから、そのように感じらればこれにまさるものはなかろう。しかし、むしろ、青い薔薇を求めての幻視者たるを、登四郎と龍太のはるかにのぞむことこそ氏にとっての今後に相応しいと思う。  
以下に、いくつか、句を挙げておこう。

    階段に折れし人影秋の暮
    何もかもなし何もかも春の海
    靄生みて靄を走れり雪解川
    兜虫ふるさとすでに詩のごとし
    鰭酒も義憤と言ふも廃れたる
    ペリットの白き羽毛や春の風
                ペリット:梟の吐瀉物  
    利根川に舟なき春を惜しみけり
    風鈴の好きな風来る鳴りにけり   



                 キョウチクトウ↑

2016年7月8日金曜日

岡野泰輔「a/be/wa/ya/me/ro/a/be/wa/ya/me/ro/a/ki/no/ku/re」(『なめらかな世界の肉』)・・・



岡野泰輔句集『なめらかな世界の肉』(ふらんす堂)は句数の多さで、うんざりさせられるところはあるが、これも多作の作者なら仕方ないところかも知れない。ひとつの句集で、集中して読めるのは200句と言い切っていたのは澤好摩だが、最近の句集はどうも句の多さを競っている感じがしていただけない。そのあたりを坪内稔典は、親切に帯に記してくれている。

  分かろうとしない。前から順に読まない。退屈なとき、とても贅沢な気分のとき、なんだか泣きたいとき、ぱらっと何ページかを開く。すると、そこにある言葉が話しかけてくるだろう。

ともあれ、昨年来、国会前で「安倍を倒せ」のコールを句にした手柄は、集中の岡野泰輔のものである。「a/ki/no/ku/re」には、三橋敏雄の「あやまちはくりかへします秋の暮」が下敷きにあるのは言うまでもないだろう。





同じ「船団」の会員でこちらは、年齢を加えた素直な句が、それなりに清潔感をもっている平きみえ句集『父の手』(象の森書房)、こちらには、坪内稔典は以下のように紹介している。

当年75歳のおばあさんだが、ねんてん塾そだちの俳人である。(中略)

  父の手の
    草の匂いと
        昼寝かな

こんな句を作る。どうです? 
おもしろいでしょ。

まったく違うように見える二つの句集も、「船団」の特質?である、何らかの感懐を句の中で言っておいて季語を斡旋してしまうという意味では、その表現手法には差異がない。ともあれ、以下に数句ずつを挙げておこう。

   冷奴それでも神はゐないと言ふ       泰輔
   戻ればふとしぐれ忌の橋の上
   やくかいな人とふたりに春の川
   万物の最後尾にてかぎろへり
   

   日脚伸ぶひとりで立ちし赤ん坊       きみえ
   鳴らしても鳴らぬ草笛草に置く
   最後には母の話や夏料理
   蚊をつれて来るフレアースカートの人
   三日後に落ちて来るはず冬の月
   寒満月焦げる癖ある片手鍋



2016年7月7日木曜日

大牧広「立飲みの靴靴靴や東京・夏」(『地平』)・・・



大牧広第9句集『地平』(角川書店)。句集名は、

   やがて雪されど俳句は地平持つ

の句による。地平とはいかなる地平か。不明なればこそのめざすべき地平があるのである。

  着ぶくれて人も自分も許さざり

なのである。多くのものに、多くの人への挨拶に満ちている句ばかりだ。自在と言えば自在、世の中の動向に怒りをあらわにするのもその在り様の一面である。

  にんげんのかくも傲りて吊鮟鱇
  語り部のせめての紅や原爆忌
  敗戦忌三橋敏雄詫びて逝く
  平成の欠食児童日本の冬

これら、あれらを生み出すもとに「八十五歳のとしよりのエネルギーの結果を読んで下されば、こんなにありがたいことはない」(あとがき)と言う。そしてまた、

  極道と句道と似たるはるがすみ
  
金子兜太の後ろを歩いて、遜色ない大牧広の、ますますの健康と健吟を祈る。
泣かせる句も、

  はこべらや厨は母の泣きし場所
  死期近き姉の声なり麦の秋
  新茶汲む妻との刻は現世のとき
  花種を苛むごとく蒔かざりし
  わが脳がこんなに疲れちんちろりん
  糸ながながと蓑虫の敗北感
  


                 シモツケ↑



 

2016年7月6日水曜日

平松彌榮子「就床の瘦滑日傘たたむがに」(『雲の小舟』)・・・



平松彌榮子は大正14年、大分市生まれ。昭和32年「馬酔木」入会とあるから、句歴は60年になんなんとする。現在は「小熊座」同人。
『雲の小舟』(角川書店)は第4句集らしい。序は懇切に、高野ムツオ。「あとがきに代えて」は著者本人ではなく我妻民雄。その冒頭に、

    木犀日和雲の小舟は金の縁
  
  亡くなられた夫君の出棺あるいは納骨日の景と思われる。辺りに木犀の香は流れ、後ろに太陽を宿した小さな雲は、黄金に縁どられている。ああ夫は、あの「雲の小舟」に乗ってゆくのだ。こんなにも美しい詩的幻想に荘厳された夫君は幸せであ。そして平松彌榮子はいま、覚醒よりも睡眠の長い時間の中にいる。身は鶴のように見えて気丈の人である。遠からずかくなるを予感し、渾身の力をふり絞って(中略)、おのの病身を描いては諧謔を、生死の交流を描くに、夢まぼろしというべき喩を用いたから、少しも欝々とするところがない。

見事な気息の一本というべきか。以下にいくつかの句を挙げておきたい。

   青葉木菟ちちははの灯は絶えにけり     彌榮子
   わが顔のいくつ捨つれば天高し
   蔓引けば世の幕あがる葛の花
   河骨や天の真水は荒れてゐる
   足萎えも三年経たれば浮寝鳥
   二百十日羽をちらして逝くわれも
   兄病む空雲の鯨に雲の鱶
   立たざれば立てざり菊の総立ちも
   咲ききらぬ薔薇剪りこの世から遁がす
   一人で会ふ初蝶が毀れさう




                                                          府中市グリーンプラザの七夕飾り↑

◆閑話休題・・・

愚生一週間ぶりのブログである。〇〇の疑いで、検査入院までは予定通りだったが、その後の脊髄麻酔による後遺症?で頭痛とめまいが続き(5%くらいはそういう人もいるらしい)。とにかく、この副作用は確実に治るからと言われ水分をとって横になっていたのだが、その間、痛みはなくなるものの、そうばかりもしていられない事情もある。仕事もある。というわけで、ついに本日病院に行って点滴、そして痛み止めの薬を処方してもらった。さすがに薬が効いて楽になったのでこうして一週間ぶりのブログをかいているのだが、その効きめも切れてきたようだから、このあたりで、お休みなさい・・・。  



           
                    カラスウリの花↑