2020年11月30日月曜日

中谷豊「緋と黒のアフガン絨毯赤増しぬ」(『火焔樹』)・・・


  中谷豊第一句集『火焔樹』(金雀枝舎)、序は今井聖。帯の惹句に、


   ディアスポラ映画観し夜の兜虫

 ディアスポラは「民族離散」の意。/狭義には「ユダヤ」や「華僑」などを差す。

 国を持たない、或いは国を追われた人たちのドラマのことである。

 そこに夜行性の兜虫を合わせる。/知的で暗く重厚な映像である。


  とある。また、序の結びには、


  蠅払ひつつ焼飯食ひしカイバル峠

僕は豊さんのこの句の横に、

  泉はなきかカイバル峠越えの弱法師

を置いてみる。楸邨の句には「旅をのみ当分の心あてに、あれこれかさなりし浮世のことなども、果たしゆかむと考へをれば」の前書がある。楸邨句は自らを乞食法師に喩えてカイバル峠越えへの決意と憧れを開陳しているが、豊さんの方はここでも自然体、まるでこの地が故郷のような趣である。この句に対する楸邨の感想が聞きたくなった。対象からナマの息吹を大切にする楸邨が褒めないわけがない。


 と記している。そして、著者「あとがき」には、


(前略)俳句との出会いに人生の幸いを感じます。

経済の成長期であった在職中は、海外各地に身を置く機会に恵まれ、希有な経験もありました。

俳句が、往事を甦らせてくれました。

晩節に至り、句集を上梓できたことを望外の幸せに思います。


 と述べられている。集中には、集名に因む、


   火炎樹やココナツ踏みて床磨き     豊


 の句があるが、総じて火の色、赤が好みのようである。ともあれ、愚生好みに偏するが、以下にいくつかの句を挙げておきたい。


  跳躍を省いて走る水馬    

  眩しかり八十年目の夏空

  藤の花防災倉庫がらんどう

  皮蛋(ピータン)やバイク犇めく春あした

  国民服の父と舐めたる氷菓かな

  核マークつけし海月の犇めけり

  秋の灯の米粒ほどや国境

  陸奥還る凍てし砲身只一基

  十二月千鳥ヶ淵の底涸らし

  仕掛花火被弾の如き船の影

  蠟石で描きしゼロ戦百合の花

  虹立ちぬ弾痕多きホリデイ・イン

  食用の猫みな痩せて広州冬

  海の中まで国境の壁泡立草


 中谷豊(なかたに・ゆたか) 1936年、横浜市生まれ。

 


         芽夢野うのき「うつそみやさくら木の冬月の冬」↑

2020年11月29日日曜日

岡田幸生「虫の声の戸を閉める」(「川柳スパイラル」第10号)・・・


「川柳スパイラル」第10号(編集発行人・小池正博)、特集は「自由律と短句」。執筆陣は石川聡「自由律俳句と自由律川柳」、本間かもせり「短句という地平」。ここでは、近年、かなり試みられている短句について、本間かもせりは、


 (前略)一句独立した七七形式の句をこの項では「短句」と呼ぶこととするが、川柳界では十四字詩という名称が広く知られているし、他にも七七(句)とか武玉川などと呼ばれることもある。この形式のルーツが連句にあることから私は短句という呼称を使用しているが、実際には広く定着した名称がないのが現状である。


 という。  そして、


 この形式は川柳の一部として扱われてきた経緯がる。僕は川柳は五七五定型、七七定型及び自由律という三型式を包括するものと理解しているので、川柳というフィールドにおいてこの形式がさらに多く試みられるべきと考えている。


 とも述べている。いずれも両者、興味深い論考である。ともあれ、本誌本号より一人一句を挙げておきたい。


  雨の日の烏は人の気配する            清水かおり

  よく切れぬ包丁すったもんだして          一戸涼子

  余白までアワダチソウが入り込む          浪越靖政

  乱数(3803.6174)を句の外枠に書いておく 川合大祐

  かならず囀るのが好かん              石田柊馬

  口を固く閉じたまま流れつくピアノ         湊 圭史

  つつましくつまようじさす南極点          飯島章友

  企みが会議の椅子の背に消える           悠とし子

  蜘蛛の巣に百の笑顔が引っかかる          小池正博

  白いまま大きく揺れるさあ謳え           畑 美樹

  間違いを探す娯楽でいるうちに           兵頭全郎





          


★閑話休題・・「第22回朝鮮文化とふれあうつどい」(チマ・チョゴリ友の会)・・・


 本日、11月29日(日)、午前10時30分より「第22回朝鮮文化とふれあうつどい」(主催・チマ・チョゴリ友の会)が府中公園に於て開催された。その「チマ・チョゴリ友の会 にゅうす」第121号(2020年10月29日)には、以下のように記されていた。


 (前略)2008年チマ友発足以来休むことなく開催されてきましたが、さすがに今年はコロナ禍のなかで、開催をためらい、心配し判断に迷いましたが、以下の理由から決行することにしました。

 第一に、朝鮮学校がコロナの影響を受けて、様々な行事や資金集めが不可能になり、財政的な危機にあること。第二に、子どもたちの様々な文化交流が中止になり活躍の場が縮小されていること。第三に、幼保無償化からの排除に続き、マスク不支給問題、大学生への給付金排除など構造的な差別が蔓延しているなかで、子どもたちが胸をはり堂々と朝鮮文化を掲げ、活躍する場を作りたいこと。最後に、自粛に疲弊せず閉じ籠ることなく、開かれた公園で、多くの市民が安全対策を講じた上でのびのびと楽しむ場を作りたいこと。

 こうした思いを、立川、町田の朝鮮学校のオモニ会の皆さんと相談し共有してきました。

 しかし、東京は相変わらず感染が続いています。軽率な実施は出来ません。正しく恐れて細やかな配慮をして実施したいと思います。



       撮影・鈴木純一「寒水を吸ふてうれしや米二合」↑

2020年11月28日土曜日

北野抜け芝「すゝきからすこし出てゐてからだかな」(「オルガン」23号より)・・


 「オルガン」23号(編集 宮本佳世乃・発行 鴇田智哉)。恒例の座談会は「テン年代の俳句をめぐって」、メンバーは青木亮人とオルガン同人諸氏。平成以後の俳句表現の傾向を論じて、興味深い視座が様々語られている。それを領導するかたちで、


青木 たとえば、俳句史的に現在の状況を捉える際、個々に句についての善し悪しと異なる枠組みで作品を捉え直し、時代認識や俳句史観とともに語る必要があるように感じます。


 と、始まって、「オルガン」メンバーの実作も踏まえながら、最近の俳句状況を描き出してくれているので、愚生には、ああ、そういうことかと、結構説得力があった。読者諸兄姉におかれては直接あたられたい。ここでは、「オルガン・連句興行 巻拾壱」の初折を以下に紹介しておこう。まずはその留書から・・・。


 今年七月二十七日、北野抜け芝こと北野太一さんが、素粒社という出版社を設立されました。北野さんといえばこれなで、浅沼璞『俳句・連句REMIX』、福田若之『自生地』、小津夜景『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』などを編集、これらの本を手にとられた方はその、新鮮でユニークなありように、思いあたるところがあるかと。(中略)

 「オルガン」一同、素粒社の設立をよろこび、連句を巻くことにいたしました。


   オン座六句「すゝきから」の巻

                若之・捌/抜け芝・指合見

すゝきすこし出てゐてからだかな      北野抜け芝

 雲払はれし素顔たる月          福田若之

大皿にうつるラベルのなめらかに      宮本佳世乃 

 テープ起しの声のさゝめく        鴇田智哉

空気より冷たい鳥の樹を祝ふ        田島健一

 水銀灯がすごい元気だ            抜け芝

                               (以下略)

             ニ〇ニ〇九月ニ七日・首

                 十月ニ七日・尾

         於 立川ジョセイセンターアイム


ともあれ、本号より、以下に一人一句を挙げておこう。


  赤をほどけば秋のかたちはなくなる    福田若之

  高きに登る水上バスの上が空      宮本佳世乃

  いま見えていない稲光と行くな      田島健一

  コスモスのらせんが右へ逸れていく    鴇田智哉 



       撮影・芽夢野うのき「けさ冬の冬花つまな母の色」↑

2020年11月27日金曜日

加藤知子「海に降る風花ならば抱きしめる」(『たかざれき』)・・・

            


 加藤知子句集『たかざれき』(弦書房)、2018年から2020年の272句を収める著者の第3句集。巻末には、評論「高放浪(たかざれき)する常少女性ーー石牟礼道子の詩の原点へ」が収録され、石牟礼道子の俳句作品について、丁寧な読みが展開されている。その中で、「高漂浪(たかざれき)」に関して、


 (前略)石牟礼は、自分には「高漂浪」の傾向があると『花の億土へ』の中で言う。身体は現の世界にいるにもかかわらず、魂が抜けだしてどこかに行ってしまって、行方不明になるのだそうだ。水俣では、「高放浪のくせがひっつく」という。 


 と記している。また、石牟礼道子の句についての、読みの例のほんの少しと、締めの部分を以下に引用しておこう。


   前の世にて逢はむ君かも花ふぶき         「水村紀行」

   女童(めわらわ)や花恋う声が今際(いまわ)にて 「水村紀行」

   来世にて逢はむ君かも花御飯(まんま)      「水村紀行」


「花御飯」は石牟礼の造語。花でまんまを作るままごとのそれ。前世での「花ふぶき」は、現世での水俣病患者の「花恋う」清らかな声となり、来世では「花御飯」を食べながら、「より深く逢いなおす」。意識は、ことば以前の童心の世界に在る。(中略)

 原郷がディストピア化する危険に満ちた今、「近代国家の恩恵を受けて生きる生活者」である自身と如何に向き合い、不羈自在の誇りを守り抜くか。周縁部(=辺境=最前線)に位置すべき詩人も文学者も、孤独な闘いを強いられる。だが、天を仰ぐ時、祈りの中心に自分がいて、母郷でもあり、水でもある天と繋がっている事は間違いない。


とあった。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するが、以下にくつかの句を挙げておきたい。


   ひとばしらの上で恋猫あやしてる      知子

   野蛮なる掌には祟りの血と霙

   猪の眼のかなしむものにアドバルン

   家出する前に行水そして香水

   あめんぼうあいまいに置いておく素足

   寒椿薄濃(はくだみ)にして愛すべし

   獣耳(カチューシャ)を着けにんげんという遊び

   春の猫ときどきかなし糞をする

   ゆきゆきてふたり火を噴く花電車

   あやとりのいくたび橋をかけ直す

   花ふぶく沖の宮(みや)へと虛ろ舟

   

  加藤知子(かとう・ともこ) 1955年、熊本県生まれ。



    撮影・鈴木純一「エビデンスとか言っちゃってカニのくせに」↑

2020年11月26日木曜日

杉本青三郎「飛んでいないと初蝶と見做さない」(第3回口語俳句作品大賞)・・・


  第3回口語俳句作品大賞(口語俳句振興会)は、11月23日(月・祝)に島田市「プラザ・おおるり」で最終選考会議を開催し、口語俳句作品大賞に、杉本青三郎「朝」が選ばれた。その他は、奨励賞として6名、鈴木和枝「自分への丸」、きむらけんじ「我が影」、細根栞「おつむてんてん」、黒瀬文子「足跡」、うとうこう「最愛」、堀部節子「月光」が選ばれた。

 詳細は、これから発表されると思うが、杉本青三郎は「豈」の仲間でもあり、嬉しいかぎりだ。以前の口語俳句協会のときの大賞には、同じく「豈」の羽村美和子が受賞していたように思う。縁があるというべきか・・。ともあれ、受賞作のなかからいくつかの句を以下に挙げておこう。


   森中が泡のかたまり鳥交る       杉本青三郎

   私が私を探す部屋に啓蟄

   春泥の青は詩人がみな盗む

   時間になると滝になる少女たち

   ゲルニカに音を加える大夕立

   河骨の黙視すみずみまでまひる

   シェスタの唐黍畑から戦車

   葉牡丹が空を回してくる朝


  愚生も選考委員の一人だったので、手許に応募稿がある二位と三位の方の句を挙げておこう。


   一番膝が老いている歩行者天国       鈴木和枝

   これ以上望まない田水ひたひた        

   子の画用紙からキリンはみ出る五月   きむらけんじ

   職にない手を子が繋ぐ            

   くちなわがくるぞ焦げくさくなるぞ      関根栞

   強がってみるがぽたぽた落ちる青栗     黒瀬文子

   名もない花はない名もない花がよい    うとうこう

   ときどきオスプレイ本家の鯉幟       堀部節子



      芽夢野うのき「うたかたならうたかたらしく舞う山茶花」↑

2020年11月24日火曜日

滋野さち「セシウムは無味無臭 スカシッペより寡黙」(『はじめまして現代川柳』より)・・


 小池正博編著『はじめまして現代川柳』(書肆侃侃房)、「はじめに/現代川柳とは何か?」で、


(前略)「現代川柳」には「現代の川柳」とは異なったニュアンスがある。一九七〇年前後、「現代川柳」は「革新川柳」「前衛川柳」という意味で川柳界では受け止められていた。「伝統川柳」と「現代川柳」という対立軸があったのだ。現在では伝統と革新ということはあまり言われなくなったが、伝統であれ革新であれ、文芸としての川柳を志向する作品を「現代川柳」と呼んでおこう。(中略)

 本書には現代川柳の作者、三十五人の作品を収録している。全体を四章に分け、第一章と第二章には現代川柳を牽引してきた作者の作品を収録。第三章には現代川柳の源流としての新興川柳と戦後川柳の作者を、第四章には次世代の活躍が期待される作者を収録した。


 とある。また、愚生のような門外漢には、簡略な現代川柳の概説ともいうべき第五章「現代川柳小史」が巻末にあるのは嬉しい。その部分に、


 現在、川柳のフィールドでは様々な作品と川柳観がダイナミックに生れている。冨二・春三から時実新子までが現代川柳の第一世代だとすれば、本書の第一章・第二章に収録されている川柳人は第二世代・第三世代に属する(これは厳密な区分ではなくて、たとえば墨作二郎は第一世代に入る)。(中略)

 句会だけで充足していた時代からテクストの「読みの時代」へ。さらに「句集の時代」へと進んできているし、「毎週WEB句会」の森山文切のように句会だけではなくSNSを通じて川柳を発信する作者も登場。現代川柳の今後が楽しみだ。


 とある。また帯の惹句には、「川上日車、石部明から八上桐子、柳本々々まで35名の76句選」とある。ともあれ、アトランダムになるが、本書のなかより、いくつかの作品を挙げておこう。


   病棟や父「撤収ッ」を連呼せり      石田柊馬

   銀河から戻る廊下が濡れている      加藤久子

   正確に立つと私は曲っている      佐藤みさ子

   鶴を折るひとりひとりを処刑する     墨作二郎

   愛人もインフルエンザもアポなしで    浪越靖政

   脱ぐときの妻は横目で僕は伏目      渡辺隆夫

   兄ちゃんが盗んだ僕も手伝った     くんじろう

   処刑場みんなにこにこしているね     小池正博

   相似形だから荒縄で縛るよ       清水かおり

   どうしても椅子が足りないのだ諸君    筒井祥文

   ビル、がく、ずれて、ゆくな、ん、てきれ、いき、れ  なかはられいこ

   人体にある凸凹を美女という       野沢省吾

   風立ちてインドのかたちして眠る     畑 美樹

   あの世からこの世へやってきてドボン   松永千秋 

       鶴は折りたたまれて一輪挿しに      飯島章友

   中八がそんなに憎いかさあ殺せ      川合大祐

   いけにえにフリルがあって恥ずかしい   暮田真名

   たてがみが生えてきたので抜いている   榊 陽子

   美しい鍵だ使えば戻れない        竹井紫乙

   手のひらのえさも手のひらもあげる    芳賀博子

   すりがらす自己紹介をせがまれる     兵頭全郎

   チャンネルを替えると無口になった    湊 圭史

   水を 夜をうすめる水をください     八上桐子

   した人もしてない人もバスに乗る     柳本々々   

   二週間経ったら思慕は意味になる    樋口由紀子


小池正博(こいけ・まさひろ)1954年、大阪府生まれ。



      芽夢野うのき「さしはなつエンゼル冬野で鬼となる」↑

2020年11月23日月曜日

大久保橙青「明日開く莟ばかりのバラを挿す」(『霧笛鳴りやまず』より)・・・


 大久保武雄・覆刻版 橙青回想録『霧笛鳴りやまず』(東京四季出版)、昭和59年6月25日初版、600ページ余の大冊、海洋問題研究会発行の復刻版である。大久保白村の挨拶には、


 『大久保橙青全句集』にお目通しいただいた方々から昭和五十九年に上梓した橙青回想録『霧笛鳴りやまず』の照会を複数いただいた。橙青の旧著については平成三十年に『原爆の証言』と『海鳴りの日々』を覆刻発行したので回想録もこの機会に覆刻することにした。この回想録以後にあたるものが五冊の橙青日記である。橙青は「回想録」の執筆にあたり長年記録していた日記を参考にしてまとめている。大久保橙青は明治三十六年生まれであるが、その年に生まれた方が今世界最高齢である。


 と記されていた。この回想録の「おわりに」では、


 (前略)本書の題名を『霧笛鳴りやまず』としたのは、歴史を回顧して、海洋の忘却が日本の運命を暗くすると思ったからであった。

 次にこの回想録には、幾つかの未だ世に明らかにされなかった史実を記述した。即ち、

 昭和九年満州に於ける日本文武官の対決。

 昭和十四年日本イラン親善飛行に渡洋爆撃機の使用。

 昭和十六年海軍飛行艇によるチモール飛行。

等である。これらは当時の満州に於ける関東軍独裁の特殊な事態、日支事変最中の兵器使用というデリケートな立場、大戦勃発直前の緊迫した情勢等から秘匿されて今日に至った。

 又、昭和二十五年朝鮮戦争の元山上陸作戦に、日本特別掃海隊が極秘の裡に出動したことについては、、昭和五十三年、私は『海鳴りの日々』を出版して初めて世に公にした。

 この回想録でも、再び朝鮮戦争について触れたが、朝鮮戦争の海上作戦を指揮した米海軍大将アーレイ・バーク提督の証言を掲載することができた。


 とも記されている。また、当時の本書の帯文には、


 〈海国日本の羅針盤〉

◆鈴木善幸(前総理大臣)

海の先覚者大久保武雄氏が、十年の歳月をかけ綴った回想録『霧笛鳴りやまず』は、動乱の時代の秘史であり、重要な歴史的文献と思う。

◆山口青邨(俳人)

若くして虚子に師事した俳人政治家大久保橙青氏が、政治外交防衛の複雑な流転を俳文的に綴った。こういう回想録は未だ例を見ない。貴重な文芸的作品だ。


 とある。そのように貴重な証言ばかりであるが、愚生には、海上保安学校を創設し、その教育に力を注がれたことは、ことのほか、志の有り様として大切なことのように思われた。以下に少し抜粋しておこう。


 (前略)昭和二十三年五月一日海上保安庁創設の日、私は庁の職員を集めて、海上保安庁の目指す精神は「正義と仁愛」であると述べた。この精神は三十五年を経た今日、全職員の合言葉となるに至った。(中略)

 しかし創立の当時は、運輸省、郵政省、旧陸海軍、税関、警察、船会社等からの寄せ集めであり、船員の間にも商船学校の学閥があって纏まらなかった。前線の海上では、日夜密航船と戦い、難破船救助に荒波を越え、機雷の掃海に血を流すという状況であった。(中略)いずれにしても役人が海上保安庁を出世の腰掛けとしてしか考えないようでは、命がけの前線がおさまらない。団結もできないし、伝統も生れない。(中略)

 私は、海上保安庁の伝統を築く爲には教育優先と考え、舞鶴に海上保安学校を、呉に海上保安大学校を創設した。(中略)

 之等の学校の教育精神は、占領後日本を風靡していた左翼偏向の所謂平和教育に拠らず、また占領軍の言いなりに屈従する文部省の監督は受けないこととした。(中略)

 また私はこういう命を的に働く職員をめざす学生生徒から授業料をとれないと思った。予算要求のとき、池田大蔵大臣が「官費教育はGHQの命令でご法度だ」といったが、占領軍は、私に之を許可してくれた。かくして海上保安学校も、海上保安大学も偏向教育の影響を受けない新しい教育精神で占領下に設立された。(中略)

 海上保安庁教育は日本の戦後教育界に立てられた初めての『コロンブスの卵』だった。

 

 と述べている。興味深い記述はいたるところにあるが、あとは本書に直接当たられたい。ともあれ、以下に、書中より、いくつかの句を拾っておこう。


   過去帖に忠僕とのみ盆供養      橙青

   母恋し秋海棠に立てばなほ

   手毬唄熊本どこさなつかしや

   原爆に果つ身なりしを吊荵

   南風やするする揚る長官旗

   骨埋む秋雨傘をさし連ね

   春惜しむ慶びごとに召されきて

   冬涛の立ち上りては壱岐隠す

   恩讐の彼方の月を仰ぎけり

   わが道をひたすらに行く春の虹

   ひろびろと鯥の干潟や大入日

   鷹舞うて阿蘇を遮るものもなく

   後の月仰ぎ生涯一学徒

   君逝きし十三日夜の大雷雨

   稿つぎてはや十年の天の川


  大久保武雄(俳号・橙青)、1903(明26)年11月24日~1996年10月14日。熊本市生まれ。   



撮影・鈴木純一「冬二日月(フユノツキ)見えてゐるのに見てゐない」↑  

2020年11月22日日曜日

澤好摩「百物語のひとつ始まる時雨かな」(「円錐」第87号より)・・・


 「円錐」第87号(円錐の会)、特集は、澤好摩句集『返照』、特別寄稿に原雅子「始まりは雨」と中里夏彦「好摩の由来をご存知か」。同人よる執筆者は、山﨑浩一郎「『足さないこと』の価値」、山田耕司「うつろの影視しし者は」。原雅子は、


  百物語のひとつ始まる時雨かな

 句集『返照』はこの一句から始まる。折も折、沛然と降り出す雨。何が起ころうと、もう引き返せないではないか。心憎い導入部である。(中略)

 そして巻首に照応する掉尾の作、

  龍天に登る日和をご存知か

「ご存知か」には参ってしまう。何という粋な句だろう。『返照』一巻はこの問いかけを以て閉じる。

 と記している。また、これは連載になるらしい今泉康弘「三鬼の弁護士ー藤田一良(ふじたかずよし)と鈴木六林男 第一回」。西東三鬼名誉回復裁判を戦ったノンフィクションである。

  まず、西東三鬼名誉回復裁判とは何かー一九七九年一月、小堺昭三が『密告 昭和俳句弾圧事件』を刊行した。同書は一九四〇年から翌年にかけての新興俳句への弾圧を記したものである。(中略)

 最大の問題点は、西東三鬼を「特高のスパイ」だと、何の証拠もなく断定したことだ。三鬼を「スパイ」だと小堺に吹き込んだのは嶋田洋一である(詳しくは拙著『人それを俳句と呼ぶ』所収の「密告」前後譚」)。(以下略)

 そして、いわゆる人権派弁護士・藤田良一との運命的な出会いを描いている。今号だけで15ぺージの力作。今後の展開に興味が尽きない。ともあれ、「円錐」本号よりの一人一句を以下に挙げておこう。


   火蛾墜つる金閣音もなく崩る         栗林 浩

   からすうりすずめうりとて家古りゆく    橋本七尾子

   コロナ禍の五輪の幟夏セール        三輪たけし


   (かい)のしづく

   月(つき)のしづくと

   

   (たた)り泣(な)く          横山康夫


   春一番仕舞ひそびれし舌の数        立木 司

   長き夜は百夜の果てを見に行かむ     田中位和子

   とぎれなく質問する子春の雨        江川一枝

   置手紙とんぼとまれぬほどひかり     荒井みづえ

   未来とはわが死後のこと原爆忌       後藤秀治

   うつすらとよじとのあとを合歓の花     大和まな

   風によき事の予感や渡り鳥         丸喜久枝

   白泉忌廊下の奥の非常口          小倉 紫

   脱藩の峠はるかに鵙の贄          味元昭次

   オンライン会議は升目水中花       和久井幹雄

   菊人形にんげんはみなお出口へ       山田耕司

   二百二十日生命維持装置唸る       山﨑浩一郎

   真つ直ぐにされて蛇の死測られる      小林幹彦

   鳴き出す声を大事に秋の蟬        原田もと子

   落蝉は夢のつづきえお仰向(あおの)けに  八上新八

   仰向けにたふれ光陰惜しみたる       澤 好摩


★閑話休題・・折笠美秋「流木のついに見えない下の手よ」(「俳句界」12月号より)・・

 「俳句界」12月号(文學の森・11月25日発売)の特集は前号に続いて「大特集『今もひびく昭和の名句』後編」である。今泉康弘つながりで言えば、その総論を「『昭和俳句』考/『写生』の近代(モダン)から『言語』の脱近代(ポストモダン)へ」を書いている。

 ともあれ、絢爛たる昭和俳句の全てを紹介できるスペースはないので、ここでは「豈」同人に贔屓して、同人(池田澄子・筑紫磐井)が執筆した俳人の一句づつを挙げておきたい。ちなみに愚生は、折笠美秋と攝津幸彦を執筆させてもらったが、誌に掲載の写真(折笠美秋)は、福田葉子から貸していただいた。


    戦争と疊の上の団扇かな      三橋敏雄

    切株やあるくぎんなんぎんのよる  加藤郁乎

    杉林あるきはじめて杉から死ぬ   折笠美秋

    南国に死して御恩のみなみかぜ   攝津幸彦    



       芽夢野うのき「晩秋砂漠白い花なら水すこし」↑

2020年11月21日土曜日

原詩夏至「鳴り響(とよ)む遠き槌音稲光」(『鉄火場の批評』より)・・


 原詩夏至『鉄火場の批評ー現代定型詩の創作現場から』(コールサック社)、帯の惹句には、


 原詩夏至の評論を読んでいると/歌会・句会が

 作家たちの「鉄火場の批評」となって/その情熱の火花が胸に飛び込んでくる


 とある。目次には、第一部を短歌(Ⅰ短歌時評 作家・歌壇、Ⅱ短歌時評 社会・思想哲学、Ⅲ短歌エッセイ、Ⅳ歌集評・解説)、第二部を俳句(1俳論・句集評、Ⅱ俳句とエッセイ、Ⅲ俳誌「花林花」一句鑑賞)とあるが、ボリュームは圧倒的に短歌評にある。愚生は俳人なので、俳句に関する部分をのみ紹介しておきたい。六林男には、少なからず、個人的な思い出もあるので、鈴木六林男の部分、


   オイディプスの眼玉がここに煮こごれる 

 世間一般の概念からすれば、随分奇怪な句だ。五・七・五の定型は(初句の1字字余り以外は)ほぼ守られており、季語(煮こごり・冬)もあるのだが、それにしても「オイディプスの眼玉」とは、余りに突飛かつグロテスク過ぎないだろうか。(中略)

 私はこれを晩年の六林男が自分の「生きざま」を一句に「煮こご」らせた、重く痛切な「境涯詠」と取る。「オイディプスの眼玉」—それは(「私は父を殺し母を犯した」という)余りと言えば余りに酷たらしい「真実」に耐えかねたオイディプスが自ら抉り取って捨てた「廃物」だ。そして、それは「どこか」でも「あそこ」でもなく、まさに「ここ」に「煮こご」っている—‐ということは、つまり、この「オイディプスの眼玉」とは、或る耐え難い「真実」の直視によって灼かれ、溶解して「煮こごり」と化してしまった、「ここに」いるこの六林男自身の「眼玉」「人生」-ひいては「存在」そのものではなかったか。

 それでは、六林男が見てしまった、その恐ろしい「真実」とは何か。「戦争」だ。


 と述べる。眼つながりで、「序にかえて」には、

 

  2012年に亡くなった母の若い頃の歌に、こんなのがある。

   ぎらぎらと野望を語る男の眼に点景として我も立たさる

 当時父は急逝して間もなかった。とすれば誰なんだろう、この「男」は、やっぱり、生前の父だろうか。そう思って尋ねると、違うと言う。何と、息子であるこの私だ言うのだ。仰天した。私は当時まだ中学生。知らないうちに、こんな「男の眼」で母親を見ていたのか。全く、何と言う少年なのだろう。(中略)

  春の船ゆつくり母を置き去りに

 後年、私が作った俳句だ。もう一句。

  若かりし母と花野を行く如く


とあった。


原詩夏至(はら・しげし) 1964年、東京都生まれ。



★閑話休題・・小林かんな「手袋を片方外す裸婦の前」(「Υ ユプシロン」NO.3より)・・


 中田美子の「あとがき」に、


 前回の作品集から一年、今年もまた四人の俳句を纏めることができた。ここに集まった水の音は微かで、自分たちでさえ、いつ石を投げたか分からない。それでも、それぞれの響きを楽しんでいただければ嬉しいと思う。


 とあった。各人50句、その一人一句を以下に挙げておこう。


   自転車は乗り捨てられて猫じゃらし   仲田陽子

   海胆加工専門店前虹立ちぬ       中田美子

   春眠や本に乗せたる鳥の羽根      岡田由季

   青葉風だれかのスピーカーが鳴る   小林かんな



         撮影・鈴木純一「猫砂をひとつ踏んでは空也の忌」↑

2020年11月20日金曜日

金子兜太「青春の十五年戦争狐火」(「俳人『九条の会』通信」第23号より)・・・



 「俳人『九条の会』通信」第23号(俳人「九条の会」事務局)、それには、


 二〇二〇年の「新緑の集い」は四月二六日に北とぴあで開催される計画でした。しかし新型コロナウイルスが蔓延している状況のもとで、会場の使用ができなくなり「新緑の集い」は中止せざるをえなくなりました。長い俳人「九条の会」の歴史の中で初めての出来事でした。この状況のもとでお二人の先生にお願いして、当日、後援をいただく予定だった内容をまとめていただき俳人「九条の会」通信二三ごうとしてお届けすることになりました。


 とあった。そのお二人の内容の題は、武蔵大学社会部教授(元NHKプロデューサー)・永田浩三「ヒロシマ・ナガサキを伝える~表現の不自由に抗って~」と俳人・安西篤「金子兜太という存在」。この機会に、愚生も俳人「九条の会」の呼びかけ人の一人であるので、「俳人『九条の会』入会のご案内」を掲載しておこう(写真下)。


 講演原稿には、金子兜太の信頼厚き側近だった安西篤は、次のように述べている。


 金子兜太は、戦争体験と戦後七十余年の歴史の生き証人であり、時代の牽引者であり、何よりも全人的な存在者でした。どこに出しても格好の絵になる人であり、当意即妙のアドリブで満場をうならせるほどの話芸の持主でもありました。鋭敏な感受性と強靭な思考力、人柄全体を包む温かい人間性は、まさに時代に屹立していたと思います。加えて新しい時代の流れを作り出して行く人であり、俳人として当代随一の人気者になっていました。


ともあれ、文中からいくつかの句を紹介しておきたい。


   曼珠沙華どれも腹出し秩父の子    (昭17)

   魚雷の丸胴蜥蜴這い廻りて去りぬ   (昭19)

   死にし骨は海に捨つべし沢庵噛む   (昭22)

   水脈の果て炎天の墓碑を置きて去る  (昭31)

   湾曲し火傷し爆心地のマラソン    (昭32)

   梅咲いて庭中に青鮫が来ている    (昭53)

   夏の山母いてわれを与太という    (昭60)

   おおかみに蛍が一つ付いていた    (平10)

   津波のあと老女生きてあり死なぬ   (平23)

   河より掛け声さすらいの終るその日  (平30)


 ちなみに、来年「2021年、新緑集い」は、

    ・日時 2021年4月25日(日』午後1時~

    ・会場 北とぴあ ペガサスホール

    ・講演 海老名香葉子(文筆家)

        山本つぼみ(俳人・「阿夫利嶺」主宰)

で、開催予定である。


          


★閑話休題・・春風亭昇吉「『希望の病』あり盤上に六連星(むつらぼし)」(プレバト・11月19日放映より)・・・ 


 さて、昨日19日(木)午後7時からのTVプレバトでは、遊句会で、愚生の仲間である春風亭昇吉が、特待生5級からの審査を受けて、いつき審判によると「現状維持」の評価で、まあ良しとしよう、という感じだった。句の出来はともかく、少し出演にも余裕が出てきたのか、その他の出演者、夏井いつきなどとのやりとりも好印象だった。もともと礼儀正しい、気働きのできる好青年、かつ嘱望されている落語家(来年5月には、真打昇進らしい)なので、今後も是非出演をし続けて欲しい。ただ遊句会の皆さんで鍛え直そうとおもっても、昨年来コロナ禍によって、来年の春までは中止されている。ひたすらの奮闘を祈るのみである。それにしても、わずか二回で特待生扱いになったように、繰り返しその二句「万緑に提げて遺品の紙袋」「風信子数にあまれる失意あり」の句が、TV画面に登場するものだから、その2句が、人口に膾炙して、あたかも名句のように覚えられているようだ。 



     撮影・芽夢野うのき「三島忌近し白刃ににて三日月よ」↑

2020年11月19日木曜日

時実新子「ほんとうに刺すからそこに立たないで」(「詩歌の森」第90号より)・・・


 「詩歌の森」第90号(日本現代詩歌文学館館報)のトップ記事は松平盟子「『明星』創刊120周年を迎えて」で、その結びには、


  創刊号が放つ高揚感に促されて、鳳志よう(のちの与謝野晶子)、山川登美子は第二号から短歌を発表する。若く才能ある女性たちが『明星』に華やいだ空気を送り始めたことを鉄幹は新たな展開への最短距離と直観した。第六号以降、雑誌形態へ移行するにあたっての推進力は実にここに潜んでいたと言えよう。


 と記している。 その才能ある女性たち、つまり、川柳の世界においてもそうなのではないかと、述べているのが、島田駱舟「川柳界のこれから」(連載 「現代川柳時評」3)である。 それには、


 (前略)川柳の幅の拡大は女性次第であるという筆者の思い込みを述べたい。

    ほんとうに刺すからそこに立たないで   時実新子『有夫恋』

  これはベストセラーになった川柳句集にある作品だが、いわゆる情念句。筆者が川柳界に入った頃に話題になっていたが、大方の川柳家は彼女の作品には否定的だった。(中略)

 その後、川柳界への女性の進出は目覚ましく、結社や句会でも女性が多いのは珍しくなくなった。こうなれば従来の男社会の考えでは川柳界は成り立たなくなるのは必定だが、政府同様に川柳界も男社会から抜け出せないでいる。(中略)

    遅刻するみんな毛虫になっていた    広瀬ちえみ『雨曜日』

 この作品は男性作家のように、面白くしようとして詠んだものではあるまい。従来の川柳のイメージを簡単に乗り越えられるのは男性よりも女性だろう。これからの川柳の幅の有り方は女性に委ねられる、と思うこと頻りである。


という。


★閑話休題・・蕪村「みのむしの得たりかしこし初しぐれ」(松林尚志詩集『初時雨』より)・・・

 松林尚志詩集『初時雨』(砂子屋書房)、その「あとがき」に、


 私は以前、中野一夫、星野徹両氏等十人で「方舟」という詩誌を出していたが、平成二年に終刊となって以来、詩集を二冊出したものの重心は俳句の方へ移り、ほとんど詩作から遠ざかった感じで過ごしてきた。(中略)平成に入って主力は評論の方へ移り、急き立てられるように次々と評論集を出し、気付けば卒寿を迎えていた。そして句集も昨年出したことでもあるし、ともかく締めくくる意味でも詩集をと思い立ったのであった。


 とある。また、詩人囲碁界、文人囲碁界においてもなかなかの実力者のようである。愚生も俳誌「木魂」を毎号、恵まれているが、それについては、郷原宏が以下のように本書帯文で触れている。


 詩誌『方舟』を代表する詩人にして詩論家でもあった松林尚志氏は、平成の始まりと同時に俳句に舵を切り、俳誌『木魂』を主宰して精緻な古典文学論を展開してきた。文壇碁会の名手としても知られる。本書はその稀代の文人がふたたび詩の原点をめざす新しい船出といっていいだろう。


 とあった。ともあれ、以下に一篇のみになるが、短い詩を挙げさていただく。卒寿とはいえ、お元気の様子、ますますのご健筆を祈りたたい。


       墓域

訪れる時雨に暮れていく墓地

そのあわいに野菊が清浄な光を放っている

野菊の一むら一むらには死者が濃やかに立ちこめているようだ

熱い血や肉のいましめから癒された死者たちがひっそり寄り添っている

雨に洗われて隠れていた死者たちがしめやかに薫っているのだ

昼の形ある生者の世界から、夜の魂の分厚くきしむ

死者の世界へと移り行くあわい

虚空には死者達がしきりに飛び交う

墓地は虚空へと往き来する魂達で溢れるプラットホームだ

死者達の世界は懐かしい

次第に暮れてゆく夕闇のなかで

野菊はいつまでも魂の瞼を洗わせている


  頂上や殊に野菊の吹かれ居り     石鼎 


松林尚志(まつばやし・しょうし) 1930年、長野県生まれ。



撮影・鈴木純一「一歩宛(イツポヅツ)後期高齢(マヘニススミテ)山茶花(サザンカ)白(99)」↑

2020年11月18日水曜日

江里昭彦「道ばたの蛇よりわれがまず動く」(「左庭」45号)・・・


 「左庭(さてい)」45号(編集・発行人 山口賀代子)、同人のなかで、俳人は江里昭彦のみである。詩人の方々、それも女性陣のみ。編集後記ふうの「つれづれ」に、


  ・岬多可子さんが、詩集「あかるい水になるように」(書肆山田)を上梓されました。著者六冊目の詩集です。


  夜のみっしりと重い庭—闇の底を、

  身をよじりながら這っていくもの。(帯文より)


 やわらかいみずいろの 詩集にふさわしい装丁の詩集です。やわらかそうで固い芯を秘めた著者にふさわしい詩の集積。多くの人の読んでもらいたい一冊です。


 とあった。書肆山田は、鈴木一民と大泉史世の両氏が詩歌の著書を刊行し続けて、50周年になるのを記念して、東京堂書店が何か企画を立てているらしい(40周年のときもそうだった)。刊行書は1000冊を超えたという。ともあれ、江里昭彦の句を少し挙げておこう。そして、同封されていた抗議声明を以下に紹介しておきたい。


   沖に浮くふたつの島に破婚あり     昭彦

   ますらおが伐る梅妙な声もらす

   歯ありやと問えど答えぬ雛かな

  

★閑話休題・・・江里昭彦「私は抗議する(声明と意見)-思想統制はやがて俳句にもー」・・・


(前略)まず。「学問の自由」との関係についてーー。

 二〇世紀の短歌・俳句・川柳の特長は、批評活動を重視していることである。多くの歌人・俳人・川柳人が、学者・研究者の著書を読み、探り、理論や学説や知見に接しながら、思考と洞察を鍛えている。われわれは、そうして「学問の自由」の成果に接し、恩恵を受けている。

 このたび、抗議を表明した学会のなかに、「日本近代文学会」「国際ジェンダー会」「イタリア学会」などが含まれる。これら多彩な学会の活動が、制約を受け、鈍り、萎縮するならば、まず批評活動の萎縮となってあらわれ、やがて短歌・俳句・川柳全体へ否定的影響を及ぼすであろう。


こうして、以下「法治主義の重要性について」と続き、

もちろん、短歌・俳句・川柳の作品の内容をもって罪に問うことはできない。それは戦前においてもできなかった。

 しかし、曲解・こじつけ・いいがかりによって、攻撃し中傷することができる。作者の評判をおとし、周囲から孤立させ、社会的不利益を被らせることができる。風刺や皮肉に対して「名誉棄損で訴えるぞ」と脅すことができる。(中略)

「学問の自由」を擁護する課題と、政権に法治主義を守らせる課題はセットで追求する必要がある。日本学術会議をめぐる緊急事態は、われわれにそれを強く訴えている。

                            2020年11月1日


 とあった。


芽夢野うのき「冬晴れやさくら紅葉に陽のくらみ」↑

2020年11月17日火曜日

大井恒行「ウイズコロナ氷の微笑のディスタンス」(「短歌往来」12月号)・・

 


 「短歌往来」12月号(ながらみ書房)、特集は「題詠による詩歌句の試み18ー新しい生活様式を詠む」。作家は詩人・歌人・俳人それぞれ5名ずつ。荒川洋治・高橋順子・中上哲夫・八木忠栄・水橋斉、高野公彦・荻原裕幸・草田照子・東直子・大崎安代、池田澄子・片山由美子・仁平勝・大高翔と愚生。いずれも知り合い、というか同時代を生きてきた人が多いので興味ふかく読んだ。だが、印象では、どうしても、只今、現在の状況を詠うには、詩歌句人は、ストーレートにではなく、韜晦気味になるようだ。泡のような日々、現在を詠み、掘り下げて書くのは、それほど困難だという証かも知れない。

 それぞれれの作家の持ち味は,それなりにあるのだが、金時鐘のいうような批評を宿す乾いた抒情には乏しい。さすがに、池田澄子の真摯な挑み方、仁平勝のコロナ隠しの俳諧的技法は冴えていた。ともあれ、詩篇は長いので引用できないが、句は一人一句を挙げておきたい。


   やっと逢えて近付かないで初時雨      池田澄子

   庭を飛ぶもの見ずなりぬ神無月      片山由美子

   ときをりは飛沫を乗せて秋の風       仁平 勝

   空もまた泪こらへて冬銀河         大高 翔

   秋青空ウイズコロナウイズ核        大井恒行




★閑話休題・・永田和宏「彼女ならどんなコロナを詠つたらう河野裕子逝きて十年」(「東京新聞」11月16日夕刊より)・・・


「東京新聞」(2020・11・16、夕刊)の「つぶやく短歌ーコロナの時代に・(10)・永田和宏」のコラムに、


 (前略)私の父は大正九年生まれ。妻の河野裕子は昭和二十一年生まれ。どちらも百年前のスペイン風邪も今回のCOVID19も知らずに生き、そして亡くなった。河野が生きていれば、緊急事態宣言下の家籠りの日々ももっと楽しかったのにと思わぬでもない。

 こんな災厄はできれば遭わずに済ませたいものだが、遭ったからには、単に生活の負債として嘆くだけではなく、そこから得るものを積極的に考えていきたいものだ。(中略)

 その日、馬場さんはややハイテンションで、早速「タブレット端末にふいに現われし永田和宏の髪のもじやもじや」なる歌を発表した。これは返歌しなければ失礼にあたるというもの。あのおしゃべりの(失礼!)馬場さんが、へんに神妙だったよというのが、私の歌。


  馬場あき子とZoomで話す世が来たりなんだなんだこの口数の少なさ


とあった。



        撮影・鈴木純一「皇帝の憂いはひとつ一つだけ」↑

2020年11月16日月曜日

対中いずみ「ひとつきはしぐれの虹のやうにゐる」(『自句自解ベスト100 対中いずみ』)・・


 『自句自解ベスト100 対中いずみ』(ふらんす堂)、巻末に「私が大事にしている三つのこと」が、いわば、対中いずみ俳句入門なのだ。その三つとは、「季語―移りゆくものへの愛惜」「定型―ことばがぴたりと嵌ること」「心―あるいは肉声」である。まず、


 私にとっての季語への愛着は、たぶん、移りゆくものへの愛惜にひとしい。すべては諸行無常、変化の中にある。木の芽がほんのすこしほぐれたり日差しの傾きが変わったり、鳥がふいに啼きやんだり。(中略)そして出会ったものは、常に変わること。別れることを含んでいる。移り変わるものへの愛惜—それは今日の出会いに謝し、惜しむ心である。


 と記されている。また、


 俳句という小さな器に、適量のものを簡潔に言い止めることができたら嬉しい。小さな器に過重な負担をかけるのではなく、集中し、抑制し、言葉少なく詠む。俳句が定型詩であること、それはある種の制約ではあるが、制約のなかにある自由は、うっすら蜜の味がする。


 そして、


 でも、「客観写生」の旗印がもたらした弊害もあるのではないかしら、とこのごろ思う。あまりにも「もの」が強調されすぎるとなんだか唯物論のようにも思えてくる。しかし、俳句は詩であるということは、そこに心がある、ということだ。

 第三句集『水瓶』を編むときに落とした多くの句は、たぶん、ここに引っかかった。選者に特選に採られた句であっても、一見上手にできていても、自分の心をくぐっていないと思われる句は外した。


 と、あった。対中いずみの師は田中裕明である。自句自解をひとつだが、紹介しておこう。


   木と並び春の鷗とならびをり

裕明先生没後も「ゆう」仲間と吟行を重ねた。島田刀根夫さんほか、いつものメンバーといつもの手順で吟行し句会をした。そこに裕明先生がいないことがたまらなくさびしかった。〈石畳のぼりつめたる芽吹かな〉〈初花に佇めば人ゐなくなり〉。百合鷗に「春」と冠しても「芽吹」を詠んでも、「桜」が咲いてもさびしくてたまらなかった。ほんとうにさびしい春だった。                              (『冬菫』)


以下は、いくつかの句のみになるが、挙げておきたい。


   夜の空に白雲ながれ鉦叩         いずみ

   ともに聞くなら蘆渡る風の音

   母逝くを父に報せず薺粥

   海に藻のゆらりとひらく涅槃かな

   亡き人の眼をのみ畏る稲の花

   一面の落葉に幹の影が乗り

   刈られたる芒の方が美しく

   鴨の水尾うしろの鴨に届きたる

   みなひとのえかてにすとふ邯鄲よ

   

対中いずみ(たいなか・いずみ) 昭和31年、大阪生まれ。



       撮影・芽夢野うのき「白業を花にほどこし冬揚羽」↑

2020年11月15日日曜日

坊城俊樹「出征し負傷しここに暦売る」(『壱』)・・・


 坊城俊樹第5句集『壱』(朔出版)、著者「あとがき」に、


  この句集の名『壱』は、二十数年前の最初の句集『零』の後書きで次は「壱」にすると書いた経緯から来ている。(中略)

 今回は「真実と虚構」「聖と俗」「写生と抽象」などの句が鬩ぎ合うようにできている。虚子で言うなら「客観写生」から「主観写生」へ至る道へのテクストを行ったり来たり。

 サブタイトルの「朴念集」は造語。「朴念仁」から来ている。まあ、朴訥ではないが、頑固で夢想家で生意気な句たち。「艶冶集」は冷淡で艶めかしいがちょっと阿婆擦れな句たち。そしてそれぞれの集は四季によって分かれている。(中略)

 「壱」とはいい名前だと思う。「壱」こそが自然数の最初の数。無から有への出発という感覚。宇宙創成のビッグバンである。ところで次は「弐」にしようかとおもうけど、もうみんなに飽きられるんだろうねえ。


 とあった。ところで、ブログタイトルにした句「出征し負傷し此処に」の次の下五「暦売る」は絶妙であろう。一句はいかようにも読めるように思う。愚生には、「朴念仁」から来ている、という自嘲にすら、なぜか、かつて北園克衛が変身した西脇順三郎『旅人帰へらず」に対して「風邪をひいた牧人」と言ったということにさえ、通ずる、ある種の符号の一致のように思えた。西脇が「皆この山の暦(こよみ)になった。」・・「人間は猿よりもまだ猿だ」と言った」・・ような・・・。ともあれ、集中より、いくつかの句を以下に挙げておきたい。


  冬怒濤壱岐も対馬も溺れたり       俊樹

  能舞台これより花を舞はせたり

  仰向けの蟬に最期の青き空

  墨東に死せる裸体を投げ込みし

  仲見世は坩堝六区は蚯蚓鳴く

  鶴舞へる淡海を合せ鏡とし

  龍の口より春水の紙縒りめく

  青く点し黒く点して螢の死

  黒蝶を貫いてゐる夏の日矢

  夏怒濤はらほげ地蔵はらほげて

  遠花火果て残像の黒花火

  枯蓮の日本一の枯れつぷり


坊城俊樹(ぼうじょう・としき) 昭和32年、東京都生まれ。



     撮影・鈴木純一「ゆきむしのつまかともかやついと来る」↑

2020年11月14日土曜日

鳥井保和「瞬きのごとき一生星飛べり」(「星雲」第57号より)・・・


  「星雲」第57号(2020.11.1発行・「星雲」発行所)、先日、恵送されたばかりだったが、あろうことか、帰宅のポストに「『星雲』終刊及び終刊号発刊のお知らせ」が届いていた。それには、


  (前略)突然のことでしたが、「星雲」主宰鳥井保和は持病の肺気腫(慢性閉塞性肺疾患COPD)の急変により、令和2年11月3日に帰らぬ人となりました。享年68歳でした。(中略)主宰の遺言に、「星雲」は一師一代。終刊を願うが、もし誰かが「星雲」の俳句精神を受け継いでくれるなら、誌名をかえて創刊するのはやぶさかでないとありましたので、ここにひとまず「星雲」の終刊を宣言し、終刊号を発刊したいと思います。(中略)

 本部句会、和歌山句会は継続することとし、後継誌につきましては「星雲」会員の皆様方に相談させていただいた上で検討したいと思いますが、できれば主宰を設けずに代表製として運営し、お互い切磋琢磨するような形を考えています。(以下略)

    令和2年11月10日   

            「星雲」編集長 小川望光子(ぼうこうし)(小川隆敏)


 としたためられていた。今号も表紙裏に「季節の一句」で、


   秋高し神に納むる稚児の舞      鳥井保和


 を執筆している花尻万博について、鳥井保和と一度でけ、立ち話をしたことがある。それは、花尻万博が第二回攝津幸彦記念賞を受賞する以前のことだが、まだ若い(今でも愚生よりはるかに若いが)、一途だが、少し変わったところのある彼のことを、気にかけておられたことを思い出す。もちろん、第二回攝津幸彦記念賞授賞に際して、はるばる和歌山から駆けつけてきた花尻万博が好青年であったことは言うまでもない。鳥井保和は、山口誓子最晩年の弟子である。ひたすら、誓子のを追っていた。それが「誓子の句碑巡り」、今号で57回目「蜜柑山南へ袖を両開き 誓子」(海南市下津町・福勝寺)であった。それによると「和歌山県下に誓子の句碑(全国に二〇一基の内」一四基ある」。 

 ともあれ、本誌本号から、花尻万博と最後の選句とおもわれる鳥井保和選「天星燦燦」の句を以下に挙げておきたい。


   灯籠の慰み難し廻り継ぎ        花尻万博

   城山の月を川面に鵜飼舟        森本潤子

   善面も悪面もよし酔芙蓉       中川めぐみ

   羽抜鳥己が羽根敷き卵産む       天倉 都

   油虫起死回生の飛翔かな        岡本 敬

   打水やお城通りの煎餅屋       新井たか志

   何枚も連ね満目大青田         古谷とく

   花茣蓙に細りし母のうたた寝す     田島和子

   行々子土手より低く暮しの灯      服部久美

   苔青し一石石塔奥之院         中嶋利夫

   夏潮の青きを讃へ熊野灘       小川望光子

   就中高野九度山富有柿         木下恵三 


  鳥井保和のご冥福をはるかに祈ります。合掌。 



         芽夢野うのき「さくらもみじ馥郁と天に散る」↑

2020年11月13日金曜日

神野紗希「もう泣かない電気毛布は裏切らない」(『すみれそよぐ』)・・


 神野紗希第3句集『すみれそよぐ』(朔出版)、2012年夏~2020年春まで、20代半ばから30代半ばまでの344句を収める。著者「あとがき」のなかに、


 句集名は、人生の分岐点となった〈すみれそよぐ生後0日目の寝息〉から採った。二〇一六年二月、突然の破水で予定外に早い出産となり、救急車で運ばれ手術台へ。帝王切開の進む半身麻酔のベールの向うで、ふええ、と産声が上がったとき、その息の頼りなさに緊張の力が抜けた。なんでも、胎児は外界に出る最後の準備をして肺機能を整えるのだとか。たしかに、羊水にいる間は息をする必要はない。ところが、ひと月以上早く出てきたせっかちな息子は、まだ呼吸が不安定なため、新生児集中治療室にお世話になることに。空っぽになったおなかを縫い合わせる間、産声を反芻し言葉を手繰り寄せる。あれは今、早春の風の中に咲いているだろう菫の花が、かすかにそよぐほどの息だった。どうか、生きよ。出産後三十分、母としてはじめて、手術台の上で詠んだ句だ。(中略)

 そして、四歳になった息子へ。まだ言葉も話せなかった君が、みかんを剥いて一房を私に分けてくれたこと。北風の中で一緒に落葉を踏んだこと。眠れない夜、月に向かってシャボン玉を吹いたこと。幼いころの記憶はほとんど忘れてしまうと思うから、少しだけ、俳句に詠んで残しておくよ。寝息もずいぶんたくましくなった。君の未来を見るのが楽しみだ。

 時代を案じながら命を見つめる怒濤の日々のただなか、俳句は今を生きる言葉だと、つくづく思う。どうか生きよ。子に、蟻に、燕に、私に、呼びかけながら句を作る。


 とあった。他に菫を詠んだ句がある。挙げておこう。


   闇濡れる菫直径一光年           紗希

   振られるなら菫踏まなきゃよかった

   カメラあたらし雪の菫を試し撮り

   詩のすみれ絵画のすみれ野の菫

   

ともあれ、愚生好みに偏するが、以下にいくつかの句を挙げておきたい。


   夏という一字の走り出しそうな

   鶏頭と「とまれ」がカーブミラーの中

   出社憂しマスクについた口紅も

   楽観的蜜柑と思索的林檎

   レシートにまぎれてボールペンの遺書

   西瓜南瓜糸瓜わたくしごろごろす

   太陽に地球小さき稲穂かな

   臨月は眠たいふきのとう苦い

   消えてゆく二歳の記憶風光る

   のうぜんや本焚けば文字苦しそう

   西瓜切る少年兵のいない国

   コスモスは束ねられない汚せない

   眠れない子と月へ吹くしゃぼん玉

   

 神野紗希(こうの・さき) 1983年、愛媛県松山市生まれ。



            撮影・鈴木純一「蜂蜜の壜を手前に冬隣」↑

2020年11月12日木曜日

たむらちせい「鷹柱頭上に立ちしを誰も知らず」(『四季と折り合う』より)・・・


 佐藤映二『四季と折り合う』(文治堂出版)、俳誌「岳」に、三年間連載されたエッセイを収載したもの。「あとがき」に、


 テーマは俳句に限定せず、広く、自由でよいとの編集部の意向を踏まえ、これまでの人生をふり返って、俳句以外に支えとなってきた宮沢賢治および音楽との関わりを素材に取り込むことにした。宮沢賢治との出会いは、二十歳で帰省した冬のひと日に遡る。


 とある。そして、


 後日談だが、宮沢賢治研究会(創立一九四七年」の顧問の一人であった小倉氏とは、私が八三年から十七年間、同会の運営に携わるなかで、親しくご指導を仰ぐ間柄となる。

 氏は戦時中から宮沢家と親交があり、畢生の大作『「雨のニモマケズ」手帳の研究』のほか、教科書にも載ったことがある『絶後の記録』を著わした人であある。(中略)

 音楽との出会いは、まず福島高校男性合唱団であった。電球一つだけの部屋が薄暗くなって楽譜がみえなくなっても歌った愛唱曲「野ばら」(ウェルナー)や「小夜曲」(マルシュナー)は忘れがたい。(中略)

 こうした体験がドイツとスイスでの銀行業務研修のトレーニーとして滞在する間に、現地人との親交を結ぶうえで力となったことをあらためて想起する。なかでも、フランクフルトでは、バッハの「ヨハネ受難曲」の練習に途中から参加して、受難節の教会での演奏会に、また、デュッセルドルフでは市の歴史ある合唱団の一員として、メンデルスゾーンのオラトリオ「エリア」をオケとの共演で歌う幸運にもめぐり会えたことは、終生の思い出である。 

 ブログタイトルにした、たむらちせい「鷹柱頭上に立ちしを誰も知らず」の句には「徘徊老人ではありません椿の径」も記され、「肝胆相照らす俳人」と題して、


 たむらちせい(本名 田村智正)さんが二〇一九年十一月、九十一歳で他界された。拙句集『わが海図・賢治』をお送りするや、〈蟇穴を出るとき空気桃色に〉〈今宵どの螢袋に宿借らむ〉などの数句を選び、親しげな筆跡で見ず知らずの私を励ましてくださったお人だった。

 記されている。ともあれ、著書に収載された句のなかから、いくつかを紹介しておきたい。


  セロ弾いてゴーシュが野より蝶を呼ぶ    照井ちうじ

  野菊とは雨にも負けず何もせず        和田悟朗

  竹馬やいろはにほへとちりぢりに     久保田万太郎

  春の鹿まとへる闇の濃くならず        宮坂静生

  鶯や白黒の鍵楽を秘む           池内友次郎

  『銀河鉄道の夜』やすみやすみ一頁      茂田井武

  天の川下りといふにいくくねり       佐怒賀正美 

  出雲崎窓は銀河に開くもの          矢島 惠

  福島はわが臍の緒よもがり笛         佐藤映二


佐藤映二(さとう・えいじ) 1937年、福島県福島市生まれ。

    

        
        芽夢野うのき「急ぐともなく千両の実のさかり」↑

2020年11月11日水曜日

筑紫磐井「ふつうの人をふつうのやうに死がおそふ」(「俳句新空間」第13号)・・・


  ーBLOG俳句新空間媒体誌ー「俳句新空間」第13号(発行人 北川美美・筑紫磐井、協力人 佐藤りえ)、「編集後記」に、


 昨今、句会がままならぬ時期になっているところから「俳句新空間」では参加者有志によるネット句会を5月から開始した。皐月句会という。第1期は37名が参加して大掛かりな句会となった。「俳句新空間」ではその結果を毎月BLOGで発表するとともに、冊子「俳句新空間」に編集して掲載することとした。その手始めに第一回句会結果を今回掲載した。句会は、①投句:1人2句、②選句:1人5句、③選評:選句5句のうちから1句について選評という方式で行なっている。今回は選評を得た全句を紹介することとした。


 とあり、ここでは、トップページの最初の部分を以下に引用する。

 投句:5月1日~10日/選句:5月11日~24日/発表:5月25日

*11点句

黒々と職員室のバナナかな(西村麒麟)

【評】誰も手をつけぬまま。--岸本尚毅

【評】写生として読んでも面白いですし、何かの風刺として読むこともできます。バナナの雄弁さが印象的です。--小林かんな

*7点句

ふらここの高みの先に待つと云ふ(真矢ひろみ)  


鯉幟のなかの青空折り畳む(水岩瞳)

【評】青空ごと取り込んだという発想と、折り畳むという屈託とに惹かれました。--小林かんな


こどもではなきわれわれのこどもの日(依光陽子)   (以下略)


 その他、「令和2年俳句帖(歳旦帖~花鳥篇)、「前号作品を読む」、新作20句(日盛帖)があるが、ここでは、「日盛帖」(参加者・26人)から「豈」同人のみになるが、一人一句を以下に挙げておきたい。


  風鈴や今日をリセットするご飯       神谷 波

  炎昼に握る手があり掴みけり        北川美美

  雷の庵る宇宙の宮ぞかし          五島高資

  体中耳生えてくる野分かな         田中葉月

  仙人掌や気持ちのいくつかは捨てる    なつはづき

  其処からは闇と知りつつ花筏        夏木 久

  大花野少し見えたる母の紐         福田葉子

  雷鳴に気づくWi-Fiすでに切れ       渕上信子

  鳶が追うらせんの思慕や昼銀河       堀本 吟

  岬へと消えゆく虹を見にゆかむ      真矢ひろみ

  挨拶のまへに大きな虹のこと        佐藤りえ

    船団・終刊(注:散開せし兵を散兵といふ)

  日時計・黄金海岸・天敵・未定・豈 散開! 筑紫磐井   



★生駒大祐「立冬の鳥をぶら下げたる空か」(「ふらんす堂通信」166より)・・


 「ふらんす堂通信」166(ふらんす堂)、第11回田中裕明賞受賞・生駒大祐句集『水界園丁(すいかいえんてい』(港の人刊)に因む新作10句「明るさのこと」のうちの一句が上掲の句である。改めて著者略歴をみると、受賞歴もなかなかである。なかに、第3回攝津幸彦金賞受賞とあるのは、地味な賞ではあるがふさわしい選だった、と思い、かつ現在無所属とあるのが、どこか潔い感じがする。その特別寄稿「トレース法について」の冒頭に、


 昔から記憶力は悪い方だ。主に短期記憶よりも長期記憶の方が弱く、幼い頃から高校生になるまで辺りのことはほぼ覚えておらず、断片的で記憶違いも多い。「物心ついたのは高校生の頃です」という自己紹介をする時も完全に真顔で行っている。(中略)

 最近はこの記憶力の悪さも意外と使いどころあるのではないかと思い始めてきた。それは「脳内で先人の句作の過程をトレースする」というトレーニングだ。


 と記されている。この方法に興味を持たれた方は原文に当たられたい。どうやら、選考委員四名、佐藤郁良、高田雅子、高柳克弘、関悦史、一位もしくは同等に推したのが、高柳克弘と関悦史。そのそれぞれの評も、第2期田中裕明賞の行く末を暗示しているような評であった。俳句の未来は、まだあるようだ。


    火のことの年々虚ろ棗の実       大祐


生駒大祐(いこま・だいすけ) 1987年、三重県生まれ。



         撮影・鈴木純一「ポピュリズム蜜より甘し小六月」↑