2021年8月31日火曜日

本多遊子「浮きさうな鼎といふ字水馬」(『Qを打つ』)・・・


 本多遊子第一句集『Qを打つ』(角川書店)、表紙絵は伊野美彦。帯文は小林恭二、それには、


  なみなみと蕎麦湯波瀾の年終る


「Qを打つ」の諸句はどれも端正な仕上げを見せ、あるいはほどよいユーモアを纏っている。ただ時々ぎょっと足を止める句もあり、あるいはそこに本多氏の今後があるかとも思う。「蒟蒻を叩き悲憤の年終る」


 とある。また、著者「あとがき」には、


(前略)それまで毎夜、小さなノートに短い記録をつけていた。しかし、俳句を始めてみると、それがいかに空虚な作業であったかへの気づきは、いともあっけなく訪れた。なぜなら、そのノートには、後悔、怒り、愚痴の言葉が日替わりで書かれているに過ぎなかったから。それに比べて、日々詠む俳句のなんと簡潔で気高いことか。その日見た花、小さないのち、おいしかった旬の食材、空や海、自分がどこで何を見たのか、何に驚いたのか、一句を見れば即座に思いだすことができる。十七文字には後ろ向きな言葉や恨み言を加える余地はない。

 私は日記を括って捨てた。そして、ぽかりと空いたその場所に、色とりどりの俳句帳をきっちり収めた。


 とあった。集名に因む句は、


   悴むやQを打つことなき小指     遊子


 であろう。ともあれ、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておこう。


   人の手の届かぬ先の蕗の薹       

   エキストラ立ち待ち長し半夏生

   落葉して山に地熱の戻りけり

   黄落期一斉メールの訃報愛く

   社会鍋三越側にばかり立ち

   西日さすスナックまちこの室外機

   厠にて五右衛門化粧村芝居

   十二月八日本気で鳩の飛ぶ

   いつの日か地球は止まる鏡餅

   砂消しを使ふ八月十五日

   一陽来復物干を高くせり


 本多遊子(ほんだ・ゆうこ) 1962年、東京生まれ。



    芽夢野うのき「アオギリの実よりこぼるる落語かな」↑

2021年8月30日月曜日

子伯「アフガン忌むらを咲かせた水の人」(『落とし物だらけの人生』)・・・


  子伯句集『落し物だらけの人生』(吟遊社)、序文は夏石番矢。帯文には、


苦痛のジュラ紀から/噴出する流星にまぎれる/ピュアな林檎の/快楽の結晶/二七七句!

とある。そして序文の冒頭には、

 
 句友の子伯さんは、苦痛のなかから花火のような俳句を打ち上げる人だ。花火にもさまざまなかたちと色が見られる。この句集『落し物だらけの人生』には、そういう俳句がびっしりと詰め込まれている。

  さざ波がどこにも無い涙を拾う

 この句が巻頭句。「どこにも無い涙」とは何だろう。言葉遊びだけの他の詩歌の書き手とは違い、読者に深い省察を要求する。軽そうに見えて、やはり重たい表現だ。人体から出るちっぽけな涙ではなく、存在しなさそうで、どこかで誰かが流した不可視だから確実な涙。生きている限り、私たちは苦痛を味わい、有形、無形を問わず涙を流さざるをえない。そういう貴重な涙が、「さざ波」によって「拾」われて、回収され、浄化される。おだやかで慈愛に満ちた水の波動は、これまた何であろうか。


 と記されている。著者「あとがき」には、

 私は一体何をしてきたのだろう。そんな思いが頭をよぎる。そう外に出るわけでもないし、不自由な体が多くを束縛する。そんな沼の底にいるような私に差した一筋の明かり。それが俳句だった。(中略)
 気付いた方もおられるかもしれないが、ここには私のこころの軌跡が辿ってある。もちろん全てが現実ではない。善人になれたわけでもない。でも人間として一ミリでも浮いただろうか。そんなことを考えながらこの後書を書いている。

 善い人間になりたい。欲望も抑えたい。そういう思うにままならない葛藤の日々である。

 とあった。集名に因む句は、巻末の、

  なめくじり落し物だらけの人生

 だろう。ともあれ、集中より、いくつかの句を挙げておきたい。

  どうしてだろうこの期に及んでまだ手を握ろうとしている
  人生の23:59 出会いか時雨か
  声のしてもう捨てられぬ冬林檎
  どこまでも生きてよし疾走のなめくじり
  快楽王子乗るは先の見えないジェットコースター
  おもちゃの兵隊使うは本物の火薬
  相手を撃つ寸前だったおもちゃの兵隊
  殺さず殺されず愛されるおもちゃの兵隊
  太陽にだって黒点ありライトピュアで生きて行く
  みな修羅。胸に、蛍
  まだ一歩あるけるうちはあるく
  神でさえ滅ぶというに風車

子伯(しはく) 1970年、兵庫県生まれ。本名:横山健太郎。



    撮影・鈴木純一「タカトリヲマツルと書いた紙読み上げて」↑

2021年8月29日日曜日

若井新一「天日へすべて捧ぐる曼珠沙華」(『風雪』)・・・


 若井新一第5句集『風雪』(角川書店)、平成25年から令和2年の8年間の388句を収める。著者「あとがき」に、


 (前略)新潟の豪雪地帯に生まれ、会社勤めの傍ら農業をやり、ここで一生を終わるというのは、偶然にして不思議だ。様々なことがあったが、俳句という文芸に巡り合い、生きた証を残せるのはとても幸せである。古希もとうに過ぎ人生の儚さを思うが、農業と俳句に定年はない。今後も元気のうちは鍬の柄を握り、草刈機を背負い、自然界と睦あってゆきたい。


 と記している。そして、帯の惹句には、


 残雪の嶺より高く鍬の先

農に生き、句作をたましいの糧とする。

足裏を耕土の奥へ踏み込み、豪雪の地での、

生と死を明滅させる。


ともあった。また、集名に因む句は、


  風雪の隧道の口消えにけり     新一


であろう。ともあれ、愚生好みになるが、集中よりいくつかの句を挙げておきたい。


  うぶすなの土俵を隠す花吹雪

    悼 本宮哲郎氏

  寒月へ本宮哲郎発ちにけり

  霾やいづこへ抜くる土竜みち

  凍るまじ凍るまじ水流れゆき

  紅梅のひしと寄り添ふ龍太の忌

  いつの世の星と別れし螢かな

  雪食ふや喉乾きたる屋根の上

  マルクスの豊かな髭や書を曝す

    志城 柏(目崎徳衛先生の俳号)

  雪嶺やいよよ高きに志城柏

  かたかごの花にも追はれ心かな

  泥のほか見ざるひと日や代を掻く

  引き返す波のなかりき青田波

  新雪を乳房に当つる雪女

  広島忌熱砂の上を土踏まず

  いくたびも人影を消す花ふぶき

  

若井新一(わかい・しんいち) 昭和22年、新潟県魚沼市生まれ。



         芽夢野うのき「青柿の青に宿るや老少女」↑

2021年8月28日土曜日

坪内稔典「鬼百合がしんしんとゆく明日(あす)の空」(「鬣TATEGAMI」第80号より)・・・


 「鬣TATEGAMI」80号(鬣の会)、特集は「創刊20周年記念号1」と「坪内稔典の100句を読む(林桂抄出)」。 前者の特集の執筆者・寄稿者は、林桂「創刊二〇周年に寄せて」、久々湊盈子「継続する意志の力」、増田まさみ「『こだわり』の地平へ」、深代響「選ぶ覚悟あるいは作品とのはるかな交信」、加えて「〈創刊二〇周年・鬣TATEGAMI賞の20年〉/鬣TATEGAMI俳句賞一覧」。

 後者の「坪内稔典の100句を読む」では、論考に、林桂「坪内稔典100句を編む」、青木陽介「箱庭の迷宮」、大橋弘典「関係の希求」、吉野わとすん「ネンテン先生のダンディズム」、永井貴美子「坪内稔典百句鑑賞」。一句鑑賞には、井上久美子、蕁麻、上田玄、九里順子、後藤貴子、佐藤清美、佐藤裕子、神保喜利彦、瀬山士郎、樽見博、外山一機、永井一時、中川伸一郎、中里夏彦、西躰かずよし、西平信義、深代響、堀込学、丸山巧、水野真由美。思えば、愚生も「日時計」から「現代俳句」(ぬ書房版)に至る坪内稔典らを前に見ながら歩いてきたようにも思う。だからであろうか、見続けてきたし、見届けたいとも思うのである。林桂が、次のように述べているのは納得できるものである。


(前略)「過渡の詩」から「口誦性」「片言性」に渡った坪内を充分に了解できている訳ではないが、坪内の俳句に即して考えれば、理解できるものがあるように見える。坪内の俳句は本当は難解である。「口誦性」や「片言性」のオブラートは、その難解性を包んで丸呑みする方法と考えれば納得がいく。一見口当たりのいい坪内の句であるが、本当は結構苦いものであろう。(以下略)

  

 因みに、坪内稔典100句より、以下にいくつかを挙げておこう。


   弟半泣き ネムって冷たい木だな、おい      稔典 

   五月闇口あけてくる赤ん坊

   三月の甘納豆のうふふふふ

   朝潮がどっと負けます曼珠沙華

   がんばるわなんていうなよ草の花

   三月や崩れて岸の匂いつつ

   たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ

   桜散る沈んで河馬は水になる

   多分だが磯巾着は義理堅い

   日本に憲法九条葦芽ぐむ   


 そして、編集後記とでもいうべき「タテガミ番外地 その77」では、


◎その小誌「二〇周年特集」において、林桂、深代響は、本誌における「書評」(「二〇世紀書評」)、「二一世紀書評」を含む)、「俳句時評」、「文学館展示会時評」、「俳句史遺産」等、複合的な視点での「評」の多さを指摘する。深代は、その姿勢を「現代俳句を共時性と通時性の交点において捉えようとするものである」と書く。二〇年の歴史は、まさにその「評」の場を多角的に創出することに拘ってきた歴史ともいえるであろうし、「鬣俳句賞」や各号の特集は、それらの対象を通史的に捉えながら具現化したものと言えるだろう。(堀込記)


 と記されている。また、


 〇本号と同時に「風の冠文庫」から創刊二〇年記念の『俳句詞華集 21世紀俳句選集』(林桂編)が刊行される(六十九頁参照)。

 中島敏之は「俳句という詩型の詩を想像する不思議さ」に興味を持ち、前出の著書では真っ当な編集によるアンソロジーの大切さをくり返し記した。この詞華集を手にしたらどう読むだろう。次号特集を予定。(水野)


 とも記されている。ともあれ、以下には、その林桂編『21世紀俳句選集』(鬣の会・風の冠文庫)から、一年一句を紹介しておこう。


  遊び足りない晩夏の影のあつまりぬ    水野真由美(2001年)

  木の芽ひらき目薬日ごと緑注(さ)    伊藤信吉(2002年)

  男爵が侯爵をだく花ぐもり         江里昭彦(2003年)

  国境を引くペン先に積もる雪        藍原弘和(2004年)

  大の字の子もいるうつくしき午睡   伊藤シンノスケ(2005年)

  右足に疵ある女かえりけり         暮尾 淳(2006年)

  夕闇の酢になる頃や母が泣く        金子 晋(2007年)

  廃屋に蔓薔薇のぼり真昼かな         蕁 麻(2008年) 

  縄跳びや人はとびとびひとならび      後藤貴子(2009年)


  山河(さんが」

  遠(とほ)

  恋(こひ)しかりけり

  秋(あき)の水(みづ)           林 桂(2010年)


  前代未聞(ぜんだいみもん)の

  光量(くわうりやう

  そそぐ

     頭蓋(づがい)かな         中里夏彦(2011年)


  先生にもらひし蝶を逃がしけり       外山一機(2012年)

  生まれきて雪の昏さの中にいる      月野ぽぽな(2013年) 

  たわいなき二十世紀の銀河絵図(えづ)   丸山 巧(2014年)

  風だったこと思い出す罌粟坊主       青木澄江(2015年)

  胸に棲む人の重さよ朴の花         佐藤清美(2016年)

  芹摘むに膝ついており家滅ぶ        萩澤克子(2017年)

  ももいろの勇気で出来てゐるイルカ   吉野わとすん(2018年)

  

  撃チテシ止マム

  父ヲ


  父ㇵ                   上田 玄(2019年)           

  

  天下御免の流れ者、

  羽夷流素(ういるす)てぇんだ。 頼まぁ   林 稜(2020年)


  もの言はずもの言へぬ国黄落す       九里順子(2021年) 



撮影・中西ひろ美「行合の空にかくれてしまふ月白いレースのワンピースかも」↑

2021年8月27日金曜日

松本龍子「一本の煙と灰と彼岸花」(『龗神』)・・・


  松本龍子第一句集『龗神(おかみのかみ)』、著者自装、序は五島高資「真にして新なる俳句ー生死を超克する詩性ー」。帯文は朝吹英和、それには、


 月光を背負ひて登る夜の蟬

水や月に代表される自然や生命の循環律を象徴するモチーフと自己投影された季語の二重性を駆使した『龗神』には輪廻転生への思いが籠められており、禅師の箴言「天地同根万物一体」が想起された。


 とあった。また、序には、


 (前略)単に言葉を指示記号として実景を描き出そうとするのは、かえって言葉の固定観念にとらわれて、物の本質を見定めることができない。現在、多くの俳人が金科玉条とする「写生」とは、まさにそうした陥穽に落ちており、それは単なる「写実」と言って良い。松本龍子が目指すのは、そうした言葉の固定観念をいったん保留あるいは破壊し、自らの詩的直感に従って瞬間の中に「ものの見えたる光」を捉えることである。ここで私は、ガストン・バシュラールが言った「世界は存在する前に夢見られる」ということを思い出す。「夢」は詩的想像と置き換えても良いだろう。俳句にあっては、その律動法に深く関わる「切れ」の理法によって詩的創造性が闡明される。それは生死といった二項対立的観念を超克する境地へも繋がっている。まさに松本龍子の句業は、真にして新なる俳句の世界を切り拓き続けているのである。


 と結ばれている。また著者「あとがき」には、


(前略)これからも、何が起ころうとも、すべてを受け入れて死ぬまで揺れ続けるのだろう。想定外の自然を畏怖しながら、森羅万象の中に立ち現れる〈光〉を詠み続けていきたい。


 と記されている。因みに、集名に因む句は、


   落葉焚く龗神を鎮めけり     龍子


 であろう。ともあれ、集中より、いくつかの句を以下に挙げておきたい。


  薄氷の星にとけゆく水の音

  片時雨砂紋は音に移りけり

  鶴唳に滲みこんでゆく春の水

  剣玉の紐に絡まる春の星

  足元の大断層の海鼠かな

  逃水とひとつになりて消えにけり

    亡妻と最期の花見

  吉野山空華のごとく星ともり

  不揃ひの骨を齧つて虎が雨

  ゆつくりと貉の少女水を打つ

  流燈の消えてゆくとき黄泉のこゑ


 松本龍子(まつもと・りゅうし) 1956年、愛媛県今治市生まれ。



    芽夢野うのき「色づくまえの柘榴の玉の緒頂戴す」↑

2021年8月26日木曜日

中西ひろ美「やどるべき魂を宿らせほたるぐさ」(「垂人(たると)」40)・・・

 

 「垂人(たると)」40(編集・発行 中西ひろ美・広瀬ちえみ)、今号は、中西ひろ美の歩みとでもいえばよいのか、中西ひろ美編「風谷・鳴峯・走尾・垂人(2001~2021)」の総目次が掲載されている。そして「垂人」も途中までは飛沓舎で出されている。20年間の軌跡である。短詩型のみならず、詩、エッセイなども収載されているが、本号の目玉は、連載らしい鈴木純一の「超訳 芭蕉七部集/『春の日』(一)伊勢詣の巻」である。短い部分のみになるが、以下に引用しておこう。


 (前略) 

  傾城(けいせい)乳をかくす晨明(ありあけ)

霧はらふ鏡に人の影移り          雨桐

 女が鏡の曇りを拭う。さっと明るくなったその中で、肘を挙げ、後ろにまわして髪を直す。襟元がはだけ乳房が覘く。手が止まった。女の後ろで、何かが動く。

 俺だ。目が合った。「やだよ」女は襟をかき合わせた。

      ▽

霧はらふ鏡に人の影移(うつ)

 わやわやとのみ神輿(ミコシ)かく里   重五(愚生注:わやわやは踊り字)

ご神体の鏡を磨きあげ、神輿の正面に掲げる。日が高くなり、霧も晴れた。男達は、さあ来い、とばかり逸っている。肩を入れて神輿を舁き、練り歩き、揉みに揉む。押し合いへし合するものだから、鏡は上へ下へ、右に左に、前に後ろに暴れ回る。もみくちゃになっている男達の姿が映るやら、日の光が反射してあちこち跳ね回るやら、エラい騒ぎ。 (以下略)


 ともあれ、本号より、いくつかの作を挙げておこう(詩篇は除く)。


   青だもの花やじわじわ満ちてくる      川村研治

   木の花は木の花らしく白く咲き猫はねむりの静のなかへ  中西ひろ美

   ブタクサの乱舞に答えなき真昼       野口 裕

   蟻が引く蟻の骸を見て泣きぬ       ますだかも

   来ましたよ気まぐれの木に啄木鳥が    高橋かづき

   コロナに任せて悪魔はお昼寝中       中内火星

   あぶくたったたべてみよ わっお月さま   渡辺信明

   なみだなみだみなみからもきたからも   広瀬ちえみ



        撮影・鈴木純一「秋の虹世界の正しい終わりかた」↑

2021年8月25日水曜日

表健太郎「大老(ターロン)ここに一球の火語を吊るし」(『鵠歌*黄金平糖記』)・・・

 


 表健太郎『鵠歌*黄金平糖記』(私家版・五時館)、挿画・印刷・製本を含めすべて手作りの句集である。従って極々少ない部数のようである。扉には「亡き父へ」と献辞されている。「後記」には、


 二〇一七年十二月に父が逝った。七十歳だった。病気とは言え、いまの平均寿命から考えると少し早すぎたように思う。(中略)

 集名『鵠沼歌』は父の生家であり、ぼくにとっては祖父母の家があった神奈川県の鵠沼海岸から採っている。借家だったその平屋は祖父母の他界の後に取り壊されてしまったが、もし原風景というものがあるとすれば、ぼくの言葉の多くはきっと、この土地に出自を持っているのだろう。収録の五十句は父の一周忌から半年を経過した二〇十九年六月、ふと見上げた空に言いようのない懐かしさを覚え、促されるようにして一気に書き上げたものである。六月は空と海の青をこよなく愛した、父の誕生月なのだ。

 『黄金平糖記』はいつから書き始めたのかはっきりと覚えていないが、最初の方は、六、七年くらい前の作品であるように思う。「天地論」を書き継ぐなかで思考訓練の試みとして、あるいは発想転換の戯れと称してこぼしてきた疑似作品群である。特に発表はしてこなかったが、捨ててしまうには惜しい気もあり、併載することにした。

 かつて句集の発行に戸惑いがあることを告白した思いはいまでも変わっていない。けれど父も俳句を嗜む者で、ある時期から俳句の話題を通じ、ささやかにして幸福な親子のコミニュケーションが生まれていた事実を振り返ったとき、『鵠歌』を父の霊前に捧げることも、故人への一孝行となる気がした。(中略)いずれにしろ、極めて私的な理由であるため、限られた人たちだけに配ることとし、これまでの罪を償いたいと思った。


 と記されている。それにしても、表健太郎に最初に会ったのは、彼が、偶然に、書店で手にした現代俳句文庫『大井恒行句集』(ふらんす堂)を読んで、お会いしたいと熱い手紙をくれたからだ。もう20年以上以前のことになる。吉祥寺の喫茶店で会った。たぶん、彼の父上と愚生の年齢はさして違わないように思う。母君の表ひろは、現代俳句協会員で秋尾敏の「軸」におられる。表健太郎の俳句に向かう姿勢の真摯さに対しては、当初より敬意を払っていた。その後「LOTUS」同人になり、芝不器男賞城戸朱里奨励賞を2度受賞したのちも、彼は彼自身が求める道を地道に歩み続けている。ともあれ、愚生好みに偏するが、集中より、句をいくつか挙げておきたい。


   陽炎の向うへ親が子をさらう

   蝶止まる蛇口にも空来ていたり

   空憎き日も青深し花あんず

   草笛はすぐ風に消ゆ汗も血も

   海を向く父の後ろも風吹いて

   青蜜柑父の掌にあり眩しかり

   花の辺のイデアに触れぬ春の道

   貧血の日の皮膚色のぱらそるか

   思い出を出てまた入る濡れ梟

   ぎやまんの魔の一刻のぎんやんま

   居留守の真昼に一πの蓮を欠き

   春空へぷらとにずむの帽を脱ぎ

   神学に投げつける日の檸檬成る

   烏衣装を脱ぎダダにも秋が来る


 表健太郎(おもて・けんたろう) 1979年生まれ。



        芽夢野うのき「真ッ白な髭になれない仙人草」↑

2021年8月24日火曜日

堀田季何「寶舟船頭をらず常(とは)に海」(『人類の午後』)・・・


  堀田季何第4詩歌集『人類の午後』・第3詩歌集『星貌』(邑書林)、まず『人類の午後』の栞文「晝想夜夢」は、宇多喜代子「朧の向こうに見えるもの」、高野ムツオ「混沌世界に立つ言葉」、恩田侑布子「夢魔の哲学ーポストコロナへ」。宇多喜代子は、


 日野草城の最後の句集に『人生の午後』がある。草城個人の晩年の日々の感懐を残した句集として知られるが、堀田季何の句集名は『人類の午後』で、それを目にしただけで堀田季何が個人を超えた何かを抱えもって俳句の前に止まっている姿を予感させる。そんな読者に親切なのが各篇の俳句の前書のように置かれた先人たちのアフォリズムや詩篇である。読者のために引かれたものではないことは自明のことながら、私レベルの読者にはこれがありがたいのだ。(中略)

 堀田季何は、人類の歴史に汚点をとどめた「夜と霧」の非道や、今日的問題であるミサイル、原子炉、原爆など、今を生きる人間として看過できぬ大問題を、もの言えぬ俳句形式機能と手を組み、作者にも読者にも過剰な負担にならぬように作品化しているのである。

   戦争と戦争の閒の朧かな 

   小米雪これは生れぬ子の匂ひ      (中略)

堀田季何の俳句は限りなく俳句形式に親和しつつ、視野の広さの中にピンポイント的に抵抗と批評精神を示している。そんな堀田季何の今後をおおいに期待したい。


  と述べ、高野ムツオは、


 (前略)いわば権威や物欲に背く反近代の詩精神こそ俳句の根拠である。不透明かつ不可解で渾沌とした現代という時代に選ばれた俳人の一人として堀田季何はこの系譜の最先端に立っている。(中略)

 「きらめく詩魔の一つに出会うために、瞬発するエネルギッシュな力を出し切らねばならぬ」とは佐藤鬼房の言葉だが、堀田季何という異才は、詩の神に鞭をあてられた駿馬のように、融通無碍にその力を発揮しはじめている。


 と述べている。あるいはまた著者の跋には(原文は正漢字)、


 (前略)時間も空間も越えて、人類の関はる一切の事象は、実として、今此処にゐる個の人間に接続する。幾つかの句に出てくる〈われ〉は、作者自身ではなく、過去から未来まで存在する人類の現代における一つの人格に過ぎない。境涯や私性は、本集が目指すところではない。但し、作者である私の人格、思考、価値観が投影されるのは避けられない。例へば、堀田家の殆どが広島の原爆に殺されてゐる事や私自身が幼少時から長い間を国際的な環境で過ごした事は、人間観に少なくない影響を及ぼしてゐる。一族及び関係者からは、従軍、戦闘、引揚、原爆、後遺症等の生々しい記憶を伝承された。多国籍の友人たちと国内外で学び暮す過程では、東西冷戦、アパルトヘイト、アラブ・ユダヤ対立、中台関係、ユーゴスラビア紛争、香港返還、アメリカ同時多発テロ事件、さらに、多くの凶悪な人種・宗教・性差別の現実とは無縁でゐられるはずもなく、様々な形で関はることになつた。(中略)そもそも、現代の日本でも地下鉄サリン事件のやうな無差別テロ事件は起きるし、人種・宗教・性等の差別は歴然としてゐる。後者について言へば、東日本大震災といふ巨大な天災及び人災を思ひ起こして欲しい。自然はいつでも牙を剝くし、人間はいつまでも愚かである。


 と記されている。そして、第3詩歌集『星顔』の跋には、


 句集『星貌』は、単著の詩歌集では三冊目に当たる。有季、超季、無季の別にとらわれない自在季、且つ、定型律、自由律の別に囚われない自在律で書いた俳句を中心に編んだ。一部を除けば、二十代から三十代頃までの作であり、当時は、星々の、とりわけ地球という星の様々な貌を捉えることに熱心であった。


 ともあり、またその「附録解題」には、


 句集『星貌』の附録として、第二句集詩歌集にして第一句集『亞剌比亞』の九九句を収めた。同集は、日英亞対訳句集としてアラブ首長国連邦のQindeel社から出版されたが、日本国内では販売されていない。そのため、詩誌「て、わたし」第二号に、国内未流通版として同句集の俳句を掲載していただいたが、同号は完売、絶版になってしまった。そこで、今回、多少改訂した上、日本語原句を『星貌』の附録とした次第である。


 ともあった。仔細はともかく、以下に、これらの集中より、いくばくかの句を献辞なしになるが、挙げておこう。


  ぐちよぐちよにふつとぶからだこぞことし   『人類の午後』

  自爆せし直前仔猫撫でてゐし

  雪女郎冷凍されて保管さる

  天泣ぞこの花降らしたまへるは

  しやぼん玉ふいてた奴を逮捕しろ

  吾よりも高きに蠅や五六億七千萬年(ころな)後も

  クリスマス積木を積むは崩すため

  スターリン忌ポスターの下にポスター

  地球儀のどこも継目や鶴帰る

  薔薇は指すまがふかたなき天心を

  かき氷青白赤(トリコロール)や混ぜれば黎(くろ)

  徹頭徹尾人殺されし夏芝居

  神還るいたるところに人柱


  楽園帰還雪に言語を置き捨てて         『星貌』

  もう二度と死なないために死ぬ虱

  かき氷とはひたすら自傷せる

  放射能水着纏ってびしょ濡れ

  私(わたくし)は月でなくてはいけなくて月であった月

  鼓動はやし雨を喜ぶ民とゐて

  多く欲する者貧しブーゲンビリア

  インク・汗・血に聖別されてドル紙幣

  水紋の亜剌比亜文字になるところ

  肉体は砂に記憶は言の葉に

  詩人みな実名の地や風かをる

  土よりも砂おほき国ここにも神

  

 堀田季何(ほった・きか) 1975年、東京都生まれ。



         芽夢野うのき「迷えるは晩夏の国も魂も」↑

2021年8月23日月曜日

赤間学「無花果裂けばさ迷へる国ありき」(『白露』)・・・


 赤間学第2句集『白露(しらつゆ)』(朔出版)、帯の惹句には、


   紅梅やうしろに浪の現るる

東日本大震災から十年。/自ら手掛けた海洋構造物が一瞬にして崩壊した、その喪失感から立ち上がり、震災復興事業に従事する著者の第二句集。本書は被災者に寄り添いながら、己の再生を試みる作品群である。


 とある。また「あとがき」には、


(前略) 白露の即ち君とゐる如く

 句集の題は掲句からとった。俳誌「滝」(成田一子主宰)二〇一九年十月号の「瀬音集」に掲載され、後に角川「俳句年鑑二〇二〇年版」で正木ゆう子氏の100句選に選ばれた句である。感謝の気持ちを込めて迷わず決めた。


 とあり、


 私事ではあるが、二〇二〇年十一月十八日、勤務中に腹部大動脈瘤破裂を来し、AEDショックで心肺蘇生後、浪江町救急車とドクターヘリで搬送され、緊急手術を受けた。福島県立医科大学附属病院心臓血管外科・藤宮チームの執刀を得て命を救って頂いた。コロナ禍にもかかわらず患者に寄り添う笑顔の絶えぬ医療スタッフに感謝の気持ちを伝えたい。


 とあった。ともあれ、集中よりいくつかの句を以下に挙げておきたい。


     師菅原鬨也を偲んで

   鯨波(げいは)忌や「立春」として十七音     学

   除染工と海へ黙禱鳥雲に

   どこまでが被曝地どこまでも枯野

   近景に薔薇遠景に黒い波

   しぐるるや教皇つつと爆心地

   シベリアに遺骨残れり冬北斗

     ドナルド・キーン氏を偲んで

   震災も語り継ぎたり黄犬の忌

   風信子夜目に崩るる波頭

   大鷹の命ひとつを掴みけり

   草笛をもて夕空を讃へけり

   春の日や生きるものへと水動く

   被曝の町の泡立草と信号機

   白鳥帰るいまだ不明者のゐる海を


 赤間学(あかま・まなぶ) 昭和23年宮城県大郷町生まれ。



★閑話休題・・・「春風亭昇吉 真打昇進披露興行」(昇吉「雛あられ姪にひと粒ずつの音」)・・・


        「週刊新潮」8月12日・19日夏季特大号↑

 我らが「遊句会」のメンバーである春風亭昇吉は、本年5月1日、真打に昇進。真打昇進興行が、コロナ禍で延び延びになっていたが、先日の東大安田講堂からのオンラインなどでも開催され、続いて、感染対策などを万全にして、国立演芸場で行われるという案内が来た。また、プレバトでは秋の大会に続き、9月19日には「NHK俳句」に、岸本尚毅のゲストで登場するらしい。ご高覧あれ!!また、先日かかりつけ医で「週刊新潮」を見ていたら、東大卒初の真打でグラビアに登場していた(上掲写真)。


 信濃毎日新聞2021年4月16日、真打昇進4名を報じる。↑

【春風亭昇吉 真打昇進披露興行】

場所:国立演芸場

日時:9月3日(金)、9月7日(火)、9月10日(金)

開場/12:15、前座/12:45 開演/13:00~15:45

木戸銭/2000円 学生・シルバー/1400円

【ご予約問い合わせ】

・国立劇場チケットセンター(10:00~18:00)

  0570-907-9900

・昇吉事務局 03-6432-5659



    
 撮影・鈴木純一「ひまわりの種にもんじゅの智慧の熱」↑

2021年8月22日日曜日

米岡隆文「原子炉を抱いて墓標の青岬」(『静止線』)・・・

 


 米岡隆文最終句集『静止線』(青磁社)、著者「あとがき」に、


 とうとう最終句集を出すことになった。

 俳句の世界にかかわって二十年。

 よく続けられたものだ。

ここには『虚(空)無』以降、六年間の作品を纏めた。配列は逆編年順とした。

こうして句を見直してみると、つくづく私の句には「こころ」がない。否、正確にいうと「あそびごごろ」はあるが、「まごころ」がない。(中略)

本句集の発行日七月一日をもって古稀を迎える。よく生き存えたものだ。

たくさんの俳縁をいただき、良き句友と巡り会えたことはとても幸せであった。

何も思い残すことはない。

ほど良い人生だったと思う。

この句集をもって俳句人生にひと区切りを入れる。

最終句集と名付けた所以である。


 本集の巻末には、これまでに上梓した三冊の句集『虚(空)無』(邑書林)、『隆』(邑書林),『観葉』(青磁社)の句集からの抄出句も収載されている。集名に因む句は、


  折り返す空ふらここの静止線     隆文


からだろう。ともあれ、以下に、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておきたい。


  瞬間蠅叩き付自動人間

  たなごころするりとぬけて春の水

  ひとり雨そしてしぐれがはるさめへ

  骨だけになって見ている冬景色

  〈わたくし〉は死んでいるなりかたつむり

  風船の内部疾風怒濤なり(シュトルム ウント ドラング)

  揺れたのは君かそれとも夏草か

  どんどこどんどこ春の地面が揺れている

  キス拒む妻愛拒む恋人の汗

  こんにゃくはこんにやくのまま三尺寝

  直面で渡る他なし天の川

  にんげんを忘れ路上にサングラス

  月はこの世にひとつあの世にふたつ

  斎場ににんげん入れる冷蔵庫

  「悲」の文字が「恋」に見えたる花眼かな

  水平線夢の数だけ波が立つ

  

 米岡隆文(よねおか・たかふみ) 1951年、大阪市城東区生まれ。


      芽夢野うのき「神はみな悪運つよきタマサンゴ」↑

2021年8月21日土曜日

並木邑人「あやかしの粒子となりて錐揉みす」(「祭演」63号)・・・

                  

 自由句会誌「祭演」63号(ムニ工房)、編集後記に「遅れました。やっと63号を発行することができました」とあるが、主催・編集・発行人の森須蘭は「豈」同人でもあり、瞬く間に「豈」63号と肩を並べている(「豈」は創刊から40年かかっている)。この伝でいくと、「豈」の号数が追い抜かれるのは時間の問題だろう。若い若いと思っていた森須蘭が還暦だそうである(愚生は古希を早々と越えてしまっているけれど・・・)。本号の招待席は並木邑人だったので、ブログタイトルに句を挙げた。ともあれ、本誌より、いくつかの句を挙げておこう。


   たんぽぽの返事次々運動靴        森須 蘭

   春の野がまんよう集となって来る     東 國人

   朧夜に銀のモールでつくる滝       伊東裕起

   春時雨訳者のように駆け出しぬ      音羽和俊

   春休ぼくは妖精千人目          金子 嵩

   春昼の行方も知れぬ多情かな       川崎果連

   選手去りスケートリンクの疵深し     髙坂明良

   老いの未知誰もわからず冬の道     河内山裕見

   島の正面いつも空いている       杉本青三郎

   生きているかたちを気にする春の雨    成宮 颯

   マスクして昨日の私がそこにいる     服部修一

   故事成語か現在か春みかんか      浜脇不如帰

   寒九の水山手交番今日も留守      藤方さくら

   ゲルニカは永久にモノクロ春の雷     水口圭子

   きさらぎのただ切り株に座る亡父(ちち) 宮崎斗士



★閑話休題・・・府中市生涯学習センター/教養・生活実技講座(大井恒行・現代俳句)・・・

 

 2021年度第3期(10月~12月)教養・生活実技定期講座《一次募集期間8・1(日)~8・31(火)必着》

・申し込み方法 ①ウエブサイトから府中市生涯学習センター

        ②往復はがき

        ③来館しても直接申し込み

        ・抽選結果通知 9・1(水)~9・8(水)(9・6は休館日)

        ・入金方法(現代俳句講座は、10月7・21,11月11・18,12月9日の5回・・4000円)「窓口支払い」「銀行振込」。

*府中市生涯学習センター 050-3491-9849

             183-000 府中市浅間町1-7 




   撮影・鈴木純一「敗けてないよ終わったんだよ綴れ刺せ」↑

2021年8月20日金曜日

高橋将夫「セシウムの色なき風が吹いてくる」(『命と心』)・・・


  高橋将夫第7句集『命と心』(文學の森)、『蜷の道』に続く第七句集で344句を収める。著者「あとがき」に、


 (前略)俳句の道に入って十年、主宰を継承して二十年、通算三十年余りが過ぎた。主宰を継承してからの二十年は、「俳句は精神の風景、存在の詩」という先師の基本理念をベースに、「①簡明 ②深さと広がり ③新鮮さ、オリジナリティー、作者ならでは視点」に留意して、自分なりの表現で、自分なりの俳句曼荼羅の世界を展開してきたつもりである。(中略) 『蜷の道』の「あとがき」に「俳句の世界にもまだ未知の世界がありそうな気がする」と記したが、この三年ではたしてどれほど新しい世界を見ることができたかはなはだ心もとないものの、蜷の道のりはしかと三年分伸びた。「俳句の世界を知り尽くす」というはてしない夢を追って、森羅万象を作者ならではの発想、視点、感性で捉える句作りを続けてゆきたいと思っている。

   箱庭の空に私の眼玉あり


 とあった。蜷の道は、どうやら先師・岡井省二とは、また別の世界を進みつつあり、脱し、高橋将夫独自の域に入っているようである。おもあれ、愚生好みに偏するが、いくつかの句を以下に挙げておきたい。


   噴火してしまつた山の苦笑い       将夫

   人間が居るゆゑ山河あたたかし

   核実験するのは男ひな祭

   無意識の中にもぐつてをる田螺

   梅の木に接ぎ木をされて桃笑ふ

   人間にあつて案山子に無き余生

   知恵の輪を力で外す文化の日

   美しき氷の城は入れない

   消えないと氷つてしまふ冬の虹

   綱引きの綱の中央耐へてをり

   双六や同じ次元に過去未来

   天網も春の塵まで掬へない

   何一つ卒業できず卒業す

   枯葉にも枯葉の命ありにけり


 高橋将夫(たかはし・まさお) 1945年、福井県生まれ。



      芽夢野うのき「椿の実ごつんごろんと怒りたる」↑

2021年8月18日水曜日

小澤實「ひつくりかへりし亀の子かへるおのづから」(「澤」8月号 創刊21周年記念号)・・・


 「澤」8月号 創刊二十一周年記念号(澤俳句会)、特集「令和二年の澤の俳句」、その「『澤四十句』を選ぶ」は、仁平勝に小澤實。そして、仁平勝と小澤實対談「小さなリアリズム/澤四十句に読む澤の二十一年」、その小見出しに「通俗さを肯定」「口語の問題」「普遍性を求めて」「動物の侵入」「倒置法は澤のスタイル」「万能の『の』」「動詞の多用」「二物衝撃はあるか」「河豚の奥の鰻」「強がりの句では」「家族を詠む」「震災を詠む」「モノの質感」「排泄物の俳諧」「地霊と向き合う」等々があり、選ばれた句を具体的に読み解く手際は、小澤實と仁平勝ならではのやりとりになっていて、読ませる。一例に   「普遍性を求めて」の一部を挙げると、


(前略)  春の日や背負つて選ぶランドセル   堀江嘉子 (中略)

小澤 背中を通しての触感というのがおもしろいと思います。このあたりいかがですか。

仁平 あるあるですものね。たしかにランドセルは背負って選びます。

   目録で選ぶ棺や春の雪    オオタケシネヲ

 そして棺は目録で選ぶ。こういう対照が面白と思いました。

小澤 これもまだ俳句では書かれていなかったのではないかと思います。

仁平 はい

小澤 「選ぶ棺」と「春の雪」という取り合わせはあるかもしれませんが、「目録」でというのが現代です。現代を詠むというのは、俳句にとって大事なことです。澤にとって大事なことだと思います。


ちなみに、澤20年間の40句で二人が選び合ったのは、


  「事故ですか、事件ですか。」「熊です。」    限果


の一句のみ,、9000分の1になるらしい。ところで、令和2年度の40句のうちの共選は5句、以下である。


  西陣は宗全が陣鳥渡る        高橋博子

  刈り終へることなき夏草を刈れり   烏帽子丸

  油性マジックで記す願ひや七夕祭     弓緒

  ペットボトル清水に洗ひ清水汲む   金澤諒和

  飛び込みの波紋より人浮かびくる   木内縉太


 他に、鑑賞文に小津夜景「暮らしはつづく」、関悦史「そういえば去年の前半はマスクが入手困難で手作りする人も多かったが句材としての月並化も早かった」、正岡豊「『真摯』と『闊達』」、嶋田恵一「令和二年の秀句鑑賞」、中村麻「ツァラトストラかく詠みき」、馬場尚美「されど我らが『澤』」、山口刃心「ニューノーマル、アブノーマル」、池田瑠那「澤へ、湧水滾々ー新人会員展望」と続いている。ともあれ、以下に本誌よりいくつかの句を挙げておこう。


  栄螺籠上げれば海星ぽろぽろと   川口正博(第21回潺潺賞より)

  一舟もなき外海の秋澄みぬ       矢野明日香(  〃  )

  鉄路も脇置く替へのレールも灼けつくす 渡邉のぶお(  〃  )

  ただ聴くのみの国歌ぞ入学子も親も   金澤諒和(第21回澤新人賞)

  「あなたの額に蛇が見えます」「マジですか」 白崎俊火( 〃 )

  魔除けなる物ノ怪の絵ぞ春あらし       弓緒( 〃 )

  白シャツたたむ一つとばしに釦嵌め  長谷川照子(第8回澤叢林賞)

  遠隔会議画面顔顔顔朧           相子智恵

  春月蒼し我ら進化の果(はたて)見む    池田瑠那

  日蝕にかかる雲疾き泉かな         押野 裕

  かなかなや弾痕しるき監的哨        梶等太郎

  喰はるるは恍惚境ぞ涅槃西風        川上弘美

  暑き夜の肉塊として尻掴む         榮 猿丸

  滴りや死者のこゑ聞く洞(がま)の中  東徳門百合子

  無花果の犬食ひをせし罪ならむ      山口方眼子

  

   


    撮影・鈴木純一「野のユリや女はひとり子を生んで」↑

2021年8月17日火曜日

上田睦子「果つるまで野分を分けて行かんかな」(『時がうねる』)・・・

 


 上田睦子句文集『時がうねる』(ふらんす堂)、装幀は和兎。著者「あとがき」に、


 (前略)俳句作品は、前句集以後の新作ということでなく、これまで散文とともに発表されたもののみ収録した。「寒雷」などの俳句誌に掲載された時の形に戻し、散文と合わせて一つのユニットとなるように体裁を整え、これを本書の第一章としたところ、定型短詩と散文が筆者のなかでいかに互いを必要としているかが現れ出た形となった。(中略)第二章以降は自作の俳句をほぼ含まない散文を収録した。(中略)第三章に俳句について考えてきたこと、そして最終章には時、生きること、人についての考察など、様々なおりに書き溜めた文章を集めた。俳句作品の占める割合は散文に比べ小さいが、本書はやはり俳句の書として出来上がったと思う。


 とある。収められた初出の日をあたると、1980年代からある。最新と思われるのは、(「暖響」二〇一九年十二月号「自選五句」)である。それを引く。

    行かんかな

  母の指わが背に触れて春すでに 

  未だ遠き春の気を待ち掌を閉ぢぬ

  果つるまで野分を分けて行かんかな

  掌につつむ野の一輪の花と行く

  葉桜に切れぎれの空遊ぶかな

「自分」について「まとめ」をする時期が来た。まことに恥ずかしい過程である。うす暗い、固さのない世界がひろがる。

 心を静かにたもつことを心がけながらこの世界としっかり向きあおうと思う。これからの視野を正しくひろげて行けるように願いながら。


 そして、第三章「俳句という詩形」の「音数律からー俳句の本質」では、


(前略)一般に詩の韻律というとき、音数律だけでなく、音色、内容、イメージなど音数律に干渉するものも含めて考えねばならない。しかし俳句を五七五の詩とみるということは、俳句をそのままこの音数律に還元出来るということ、即ち、俳句の原点を文字とおりこの音数律とすることを意味する。換言すれば、こうした音数律への還元をゆるすものが、ほかならぬこの音数律の呪と私は思うのだ。


 と記されている。ともあれ、集中より、いくつかの句を挙げておきたい。

 

  流氷へひとりの帽はとがり佇つ      睦子

  がうがうと神へ口あく鯉幟

  老い母のもたぬくらがり実の芙蓉

  いちめんの菜の花この壺の底から

  枇杷熟るる十戒てのひらに透つ

  夏草やわが咎も風立つばかり

  赤葉牡丹物神(ぶつしん)くくと笑ひをり

  寒卵重り密言(みそかごと)つぶやく

  地と空と依らんもの炎の薄原

  泳ぐ指のまつすぐにのび水涅槃

  野ぼたんに流るる乳はあらざりき

  ただよふ花水木すでに死者も老い

  石在りぬ春一切の結点に

  蝶が見てひとしく生ふる草と人

  

 上田睦子(うえだ・むつこ) 1930年、東京生まれ。



      芽夢野うのき「かの色を潜め雨の日のからす瓜」↑

2021年8月16日月曜日

都築裕孝「コスモスのうしろのドアが空けてある」(『杜Ⅱ』)・・・


 『杜Ⅱー杜人同人合同句集』(川柳杜人社)、「杜人」は先般、268号(2020冬)をもって終刊した。その最終号と合わせて、本合同句集が企画されていたという。都築裕孝「『杜Ⅱー杜人同人句集』発刊に寄せて」の中に、


 (前略)かつて「杜人」は当時の五十歳から六十歳代のいわば現代川柳の草創期にあった同人たちが当時は珍しいと思われていた合同句集を初めて編んでいます。『杜(もり)』です。昭和五十四年(一九七九』発刊、布貼りの上製本で、”杜の都仙台”を象徴する深緑色をしています。 

 その句集に参加している同人は、記載順に、宮川絢市、芳賀甚六(後に弥市)、丹野迷羊、添田星人、今野空白、大友逸星、伊藤律の七名で序文を石曾根民郎氏、跋文は福島真澄氏が書いています。この二人や同人たちの作品評を担当した七名の顔ぶれもさることながら、装丁も含めて当時としてはとても贅沢な一冊だと思います。(中略)

 自由をモットーに、杜人の精神を引き継いできた九名の同人たちによる合同句集『杜Ⅱ』です。


 とあり、また、広瀬ちえみ「あとがき」には、


 (前略)「杜人はスカンクの集団だ」と逸星さんが言った言葉が忘れられない。普段はめいめいがさまざまな方を向いて自由な行動をしているが、いざというときの結束の強さは並大抵ではない。その悪臭にありがた迷惑な方々がたくさんおられたことを思うとおかしくなる。

 偉大なスカンクたちから「川柳杜人」を引き継いだ私たち。スカンクになれたかなれなかたったかは別として、意識の中にはいつも逸星さんの名言があった。私もスカンクにならなければならなぬと。(中略)

 自画自賛になるが、合同句集ではあるけれど、『杜Ⅱ』は一冊の句集だと思った。一人ひとりが杜人の木をそれぞれの水をやりながら育ててきた、ということをひしひしと感じさせてくれるのだった。私たちは真実、仲間で同志だった。

 『杜』の横に『杜Ⅱ』が並ぶ。私はこのことをうれしく誇りに思う。


とあった。ともあれ、以下に各同人の句を挙げておきたい。


   三月が来て三月の家に住む         都築裕孝

   まんじゅうに手が届かないほとけ様              

   花吹雪 一瞬見失うこの世         浮 千草

   死にたいのも死にたくないのも困る      

   さくさくとキャベツを刻む前向きに   大和田八千代

   お先にどうぞ夢を食べつつ歩くので      

   物置をあける私に突き当たる        加藤久子

   なにがいいたいんだか芽が出ない       

   まだ来ない痛みを待っているような    佐藤みさ子

   ありがとうさよならいいえこちらこそ     

   ふわりと浮いて人・車・家運ばれる     鈴木逸志

   コンセント抜かれて僕の影がない       〃

   自画像に使えぬ色が一つある       鈴木せつ子

   ぜんかいはことぶきだったとおもいます    〃

   身籠ってしまった核をどうしよう      鈴木節子

   ポイントがつきます生きているだけで     〃

   鹿肉を食べた体を出ることば       広瀬ちえみ

   新玉のボールが飛んできたら打つ       




     撮影・鈴木純一「敗けてへん終わったんや綴れ刺せ」↑

2021年8月15日日曜日

土方歳三「さしむかふ心は清き水かかみ」(「多摩のあけぼの」NO.139)・・・


 「多摩のあけぼの」NO.139(東京都多摩地区現代俳句協会)、巻頭のエッセイは遠山陽子「豊玉(ほうぎょく)発句集ー土方歳三の俳句」。その中に、

  

 歳三は天保六(一八三五)年、十人兄弟の末っ子としてうまれた。歳三は乳児して両親に先立たれ、姉に育てられる。祖父は三月亭石巴と号し、文化文政のころ、日野宿一帯では大いに知られた俳人で、松原庵星布尼などとも親交があったという。また長兄の為次郎は閑山亭為翠と号し、盲目ではあったが豪胆な性格そのままの豪快な句を作った。その影響か、歳三も多摩時代は俳句をたしなみ、句会などにも顔を出していた。

  春寒や撫てさひしきほんのくほ    石巴

  かそへても詮なきかりの別れ哉    為翠

 姉ノブが日野宿名主佐藤彦五郎に嫁ぐと、歳三は佐藤家によく出入りし、彦五郎にも非常に愛された。この彦五郎も春日庵盛車の号を持つ俳人であった。(中略)

 彼の俳句について、司馬遼太郎は『燃えよ剣』のなかで、沖田総司の口を借り、「ひどいものだ。月並みだ」と言わせているが、このころの俳句は皆月並みだったのである。

  さしむかふ心は清き水かかみ

 巻頭の句。この句のみ一ページ分用いてある。水鏡に映る自分の顔を見つめていると、心が澄みわたるようだ、という句意である。亰に行く前のピンと張り詰めた緊張感が感じられる。(中略)

 函館を脱した市村鉄之助が小島家にもたらした歳三戦死の報の中に、辞世の和歌があった。

  よしや身は蝦夷が島根に朽ちるとも魂は東の君や守らむ  (中略)

 実は歳三の遺体の埋葬地は長年不明のままであった。近年、加藤福太郎という人が詳細に調べた結果、函館近郊の七飯村の篤志家が密かに土葬にしていたものを、明治十二年に改めて火葬に付し、遺骨は旧幕府軍戦没者の慰霊碑として函館に建立された碧血碑に収められた、ということが分かった。多摩では、明治十二年、高幡山金剛寺境内に、ゆかりの人たちの手で、近藤勇と土方歳三を顕彰する「殉節両雄の碑」が建碑された。

 日野の土方家の墓に、実は歳三の遺骨はないのである。


ちなみに土方歳三の句を以下にいくつか孫引きしておこう。


  しれㇵ迷いしなけれㇵ迷ㇵぬ恋の道     歳三

  朧ともいわて春立としのうち

  三日月の水の底照る春の雨

  横に行く足跡ㇵなし朝の雪

  ムサシノやつよう出て来る花見酒


 せっかくだから、「あけぼの集」から、知人幾人かの句を挙げておきたい。


  潔く骨を晒す日百日紅        赤野四羽

  声出せる喜びにあり百千鳥      安西 篤

  鰻裂く礼を尽くせるところまで    伊東 類

  げんこつの握手にも慣れ夏ふかし   岡本久一

  鯉のぼりときめきに似て息を抜く  金谷サダ子

  天国で百歳祝ふ母の日よ       笹木 弘

  マラソンが途切れて孕み猫が来る   沢田改司

  うりずんや過去はかけらにシーグラス 芹沢愛子

  桃と桃かすかに触れてゐてこはい   遠山陽子

  いつも迷う夢の終りの葱畑      髙野公一

  夏野にはただの女として映る     永井 潮

  作りすぎたる句のごとく紫木蓮    西村智治

  手から手へ渡す銀河のだまし舟    前田 弘

  八月とは黙って父が拾う石      宮崎斗士

  夏めくや化粧に汗の玉ひとつ     武藤 幹

  方角を見失ってる蝌蚪の群      望月哲士

  上を向く泰山木の白い声      山崎せつ子

  ジャズを聞くががんぼ窓に遊ばせて  好井由江

  騙し絵の裏も騙し絵聖五月     依田しず子

  天に笛地にあふれたる嘆きかな    大井恒行



★閑話休題・・・第39回東京多摩地区現代俳句協会俳句大会 作品募集・・・


●募集要項 雑詠2句 2句一組につき1000円 (何組でも可、ただし未発表作)

●締切  令和3年9月10日(土)必着

●送付先 181-0015 三鷹市大沢2-10-7 大森淳夫方 俳句大会投句係

                   電話 090-9389-4821


●俳句大会日時 令和3年11月6日(土)午後2時~5時 

●記念講演 今野寿美 演題「近くて違う俳句と短歌」

●会場 武蔵野スイングホール11F JR武蔵境駅北口徒歩2分



         
 芽夢野うのき「金曜は魔女の日雨の合歓の花」↑

2021年8月14日土曜日

奥坂まや「窈窕と水母は老いず国老いぬ」(『うつろふ』)・・・

  


 奥坂まや第4句集『うつろふ』(ふらんす堂)、装丁は菊地信義。『妣の国』(平成23年刊)以降、令和3年1月までの370句を収載。著者「あとがき」の中には、


 『妣の国』を上梓した平成二十三年には、東日本大震災という未曽有の災厄が起こり、今またコロナという未知の疫病(えやみ)の跳梁の最中です。この十年の間、同年代の友の死も幾度か経験し、特に小学校以来の親友の逝去に対しては、心の傷が疼いてやみません。

『妣の国』は、俳句の師や先達との別れ、両親の看取りなど、私にとって死者を送る句集でした。『うつろふ』は、自ら死と向かい合う句集となったと感じています。


 とあった。ともあれ、集中より、いくつかの句を以下に挙げておきたい。


     加藤郁乎逝く

  青嵐宇宙嵐や郁乎消ゆ           まや

  蚰蜒のしやらしやら通り過ぎにけり

  色さして世より離るるははき草

  月光に兵が征くその中に父

  叫び蔵してことごとく枯木なり

  鶴帰る緋色の蒲団畳みあり

  桜散るいつもわれらを置去りに

  水無月や灯を消して部屋沈みゆく

  吹かれては日の丸古ぶ雲の峰

  実石榴のわわしく裂けてをりにけり

  星なべて自壊のひかりきりぎりす

  春風を聴いてをるかに死者の耳

  春深し木馬駆くるは地に触れず

  春の星この世限りの名を告ぐる


 奥坂まや(おくさか・まや) 1950年、東京生まれ。



         撮影・鈴木純一「うつせみと同じ軽さに蟬の秋」↑

2021年8月12日木曜日

池田澄子(小学4年?作)「万歳の嵐の中を天皇は静かに帽子振られて去りぬ」(「傍点」創刊号より)・・・


 「傍点」創刊号(傍点)、変な同人誌、面白い同人誌、それも創刊号を出したら、主催の長嶋有は同人を脱退すると、「編集後記」にあった。第一特集は「傍点の十句会」、第二特集は「あら丼さんー新井勝史の俳句ー」である。巻頭は、「池田澄子さんインタビュー」、さらに村井康司インタビューなどがある。「傍点」の誕生までのいきさつは長嶋有「傍点夜明け前」に詳しい。その冒頭に、


95年~

 傍点はインターネットのツイッターで集まった面々で結成された団体であるが、主催(主宰にあらず)である僕の俳句活動もまた、インターネットの前身、パソコン通信で始まった。

 筒井康隆氏が中心となって行われた「パスカル短編文学新人賞」に応募するためにASAHIネットに加入したのが1993年のこと(当時21歳)。(中略)

その第七句会のメンバーが中心となって俳句同人誌『恒心風』が95年創刊。パスカル短編文学新人賞応募者(受賞者の川上さんを含む)で、創刊メンバーは16名。


 とあった。色々面白いことがふんだんにある同人誌だが、「特に重要な傍点キーワード11」の中の「①一文字俳号」には、同人50名の俳号一文字一覧がある。例えば、長嶋有は「凡」。この創刊号を愚生に送ってくれた山科誠は「科」とある。また「傍点の十句会」はそれぞれのユニークな吟行記録である。もっとも最近の(十)は「ストリートビュー吟行/苫小牧・カンヌ編」(中島純也・野口真輝)、新型コロナウイルス蔓延による自粛のため外出ならず、2020年5月に行われた「Googleストリートビュー」を使った自宅にいながらの、地図上吟行の報告記である。


 5月23日の句会当日、参加者各々がパソコンやスマートフォンから、コロナ禍ですっかりおなじみになったZoomを起動する。画面に参加者の顔が並ぶ。全員集合したら出発だ。

    夏帽子被り画面の街に行く       麗

 「じゃあ出発しまーす」と、長嶋さんの掛け声で吟行が始まった。(中略)

    やませ吹くベガスベガスの駐車場    珈   (以下は句のみを抽く)

    ネピア柄の団地に窓や若葉風      寝

    ストリートビュー夏草を越えられず   科 

    四階をともに上りし蚊や払う      森

    見えないが初夏のダクトをくぐっている 炭

    夏の空団地がちょっとだけ動く     与

    風薫る野に並べられ社宅かな      友

    スプーンにアイス飛行機の上も雲    凡

    カルーセル一曲分の夏日陰       雪

    夏服のドアマンの追う獣かな      裏

    よじのぼるアニエス・ヴァルダ大西日  徳

    雹晴れて赤絨毯にブラピ来ぬ      栗

    ソワレはね繰り出す街や星涼し     野

    タキシード脱いでシャワーやカンヌの夜 中

    野外シネマの灯りの届くバルコニー   黒      


 ここからは、「豈」同人でもある池田澄子の貴重なインタビューを少しだが、引用しておこう。


(前略)長嶋 はい。次の質問にいきますか。

山科 質問ではないんですが、(「柱は斧を夢に見るか」/『此処』38ページ)という句がありますよね。人間以外のものに対する池田さんのまなざしが興味深いと思いました。

池田 ありがとうございます。

長嶋 そうですね。なんか人間以外のものと思ってない感じがあるんだよね。その感じはしばしば出てくる。

池田 ここの質問だったのか、こないだの現俳(現代俳句協会の「第44回現代俳句講座」)のほうだったのか、ちょっと私混ざっちゃったけど、電線の・・・。

徳山 ええ、私が質問したのかなと思うんですけど。「電線の芯痒からん凍月夜」「電線が痒い」っていう発想。

池田 それと似てますよね。今の話。私、擬人化って嫌いなんですよ。なんか、一番初歩的な感じがするのね。小学生に詩を書かせると擬人化になる、みたいな。そういうのがあって、擬人化はまずしないつもりなんだけど、読む人がヒョイと読むと、「ああ、なんか擬人化してる」みたいなふうにとったりされるってこともなくはないかなと。別に電線を擬人化してるんじゃなくて、痒いかなって私が思ってるだけね。

長嶋 確かに擬人化って思われちゃう隙があるとも言えるよね。

池田 「電線が痒がっている」と言ったら擬人化。「電線が痒いか」って言ったら、こっちの気持ち。

長嶋 そうですよね。実はすごく厳密なんだよね。どの句も擬人化ではない。


 池田澄子の「つうの会」という句会で、皆さんは研鑚を積んできたらしい。とはいえ、「傍点」のメンバーは、長嶋有によって立ち上げられ、主に20代、30代の同人たちによって構成されている。ただ、第二特集の「あら丼さん・新井勝史」(高崎在住)だけが、2019年9月10日に、腎不全の為に44歳で亡くなられている。


   屋根の雪軽し藤岡ジャンクション     あら丼

   朧夜や軟着陸の余力出す

   骨見えし猫を埋めたり竹の秋

   人生の仮性包茎五月闇

   終戦記念日の派手な乱打戦  


 愚生にとっては、村井康司や長嶋肩甲(有)は「恒信風」のメンバーであり、攝津幸彦や三橋敏雄、池田澄子などのロングインタビューが掲載された実に貴重な雑誌だった。とりわけ、攝津幸彦が生前にかくまで語ったインタビューは、最初にして最後だった(攝津幸彦は「豈」同人のメンバーにさえ、余り語ってはいない)。そして、寺澤一雄は、「童子」に居たころをも思い起させてくれる。ともあれ、「傍点」2号・次号を楽しみしている。



       芽夢野のき「西瓜の花ひそかに天つ日に祈る」↑

2021年8月11日水曜日

三橋敏雄「いつせいに柱の燃ゆる都かな」(増補新装版『証言・昭和の俳句』より)・・・


  黒田杏子編『増補新装版 証言・昭和の俳句』(コールサック社)、その黒田杏子「増補新装版あとがき」に、


 およそ20年前に出ました角川選書『証言・昭和の俳句』(上・下巻)は好評を博しました。「俳句」に連載された13名のロングインタビューをまとめたもの。(中略)

このたびの増補新装版にはあらたに現在この国の第一線でご活躍中の皆様から書き下ろし四千字の玉稿を頂いております。


 とある。その活躍中の人とは、五十嵐秀彦・井口時男・宇多喜代子・恩田侑布子・神野紗希・齋藤愼爾・坂本宮尾・下重曉子・関悦史・高野ムツオ・筑紫磐井・対馬康子・寺井谷子・中野利子・夏井いつき・仁平勝・星野高士・山下知津子・横澤放川の20名である。当時の「俳句」編集長は海野謙四郎。この新たに書き下ろされた論考には、時代のながれた分だけ、見通しの良くなった部分もある。さしずめ、ほぼ20歳下の関悦史「グランドホテルのまぼろし」では、「グランドホテルは消えた。/その間際の光芒として本書は残されたのである」と結んでいる。ここでは、仁平勝「少年と老人の文学ー三橋敏雄について」で、愚生を登場させていただいているので、引用するが、あらためて、仁平勝の記憶力に脱帽している。


 あるとき私と大井恒行が国立の「ロージナ」という喫茶店にいたら、そこに三橋さんが高屋窓秋さんと一緒に入ってきた(三橋さんがまだ八王子に住んでいるころで、高屋さんは国立に住んでいた)。私たちは立ち上がって挨拶し、三橋さんも軽く会釈されて奥のほうの席に着いたが、やがて三橋さんたちが先に店を出て行った。するとしばらして三橋さんから「ロージナ」に電話があり、私たちは近くの居酒屋に呼ばれたのである。


 愚生が覚えているのはここまでで、以下は、仁平勝の言である。


 (中略)そこで話した内容を二つほど覚えている。一つは自慢話になるが、私はすこし前に「俳句研究」で、そのころ発表された〈戦争と畳の上の団扇かな〉の句を採り上げ、「畳の上の団扇」という日常の風景にリアルな「戦争」の像がある。といった評を書いていた(初めて総合誌に書いた文章である)。それを三橋さんが「あの句を正しく読んでもらえた」と褒めてくれたのである。

 もう一つは、三橋さんが私たちにいろいろ俳句の話をしながら、「俳句は少年と老人の文学だよ」と言ったことだ。私も大井恒行も三十代半ばだったから、「じゃあ、我々はどうしたらいいんですか?」とツッコミを入れたように記憶しているが、この言葉は印象に残った。


 とある。もう一か所、「俳句空間」(1992年2月号、特集・西東三鬼のいる風景)で三橋敏雄インタビューを仁平勝にお願いしている部分がある。じつは、「俳句空間」(弘栄堂書店版)では「さらば、昭和俳句」(1989年、平成元年・第8号)で三橋敏雄インタビュー(阿部鬼九男)では「戦中俳句」について聞いている。この「「さらば昭和俳句」のインタビューは、他に、阿波野青畝「昭和初期のホトトギス」(聞き手・宇多喜代子)・古沢太穂「プロレタリア俳句」(聞き手・谷山花猿)・金子兜太「社会性俳句~前衛俳句」・(聞き手・夏石番矢)を行っている。つまり、そののち、ほぼ14年を経て、証言・昭和俳句のインタビューは実現している。その内容の重厚さでは、質量とも角川「俳句」のものであることは止むを得ない。

 ともあれ、以下に、本書収載の一人一句を挙げておこう。


  ひとづまにゑんどうやはらかく煮えぬ    桂 信子

  暗闇の眼玉濡らさず泳ぐなり       鈴木六林男

  甚平や一誌持たねば仰がれず        草間時彦

  湾曲し火傷し爆心地のマラソン       金子兜太

  成人の日をくろがねのラッセル車      成田千空

  心太みじかき箸を使ひけり         古舘曹人

  虹二重神も恋愛したまへり         津田清子

  白蓮白シャツ彼我ひるがえり内灘へ     古沢太穂

  塩田に百日筋目つけ通し          沢木欣一

  ひばり野に父なる額うちわられ       佐藤鬼房

  凧なにもて死なむあがるべし        中村苑子

  母の忌の花火いくつも上がりけり     深見けん二

  あやまちはくりかへします秋の暮      三橋敏雄



         撮影・鈴木純一「金は噛む銀ブラ二人静な銅」↑

2021年8月10日火曜日

大関靖博「蟻地獄人類は今生き地獄」(『大蔵』)・・・


  大関靖博第7句集『大蔵』(ふらんす堂)、句集とはいえ、このテーマによる先行研究は無いだろうと著者の自負する評論の付録「芭蕉と華厳経」、さらにその論についての東大寺長老・狭川宗玄の書簡と著者のいささか長めの「あとがき」が付されてる。その少し長めの「あとがき」の中に、


(前略)正岡子規は世に〈業俳〉と〈遊俳〉があるが、自分の俳句は〈書生俳句〉であると述べている。今日〈書生〉はなじみがないので私は、〈文学志向の俳句〉と解釈している。そして〈文学志向の俳句〉を私は短くして〈文俳〉と呼びたい。〈文人俳句〉とまぎらわしいが〈文人〉ではなくて〈文学〉の〈文〉と解釈して頂きたい。このように考えると俳人のジャンルが〈業俳〉・〈遊俳〉・〈文俳〉と三種類に分けられて分かりやすくなると思う。勿論私が目指すのは〈文俳〉である。(中略)

 私は個人的に俳句は志と思と詩の三位一体のものであると思う。(中略)〈志〉は〈志操〉でひとたび決心したら守って変えない志(こころざし)のことだ。(中略)次に〈思〉は〈思想〉である。〈思想〉は自分の頭で考えたこと、また古今東西のかんがえを自分で取捨選択してわがものとした考え方である。(中略)第三のものは〈詩〉である。つなり〈詩想〉は俳句の中での詩的な考え、及び俳句という詩を作ることに駆りたてる着想である。(中略)というわけで換言すると俳句は志操・思想・詩想の三位一体の有機物といえよう。このあたりを体にたとえるならば〈志操〉は体を支える〈骨〉であり、〈思想〉は体を動かす筋肉であり、〈詩想〉は体の命を保持する血管を流れる〈血液〉ということになろう。


 と述べられている。また、付録の「芭蕉と華厳経」では、


(前略)本稿の骨子は華厳経と芭蕉の間に謡曲の『江口』をかけ橋として双方の関連を認めるというスキームである。そしてその三者のキーワードを〈遊女〉に置くというものである。華厳経と『江口』との関係は大和猿楽が大寺院の神事の時に演じられた源流を思えば、仏教を題材にした能の作品が残っていても不自然ではなかろう。芭蕉と『江口』との関連は『江口』が西行と深い関連があり、既に多くの芭蕉学者が二者の深い連関を指摘するところである。

 東大寺は華厳宗大本山であるから日本の華厳経の中心であり今日華厳学研究所が東大寺に設けられていて、現在でもその地位を保持しているのである。(中略)

 私の仮説が正しければ『善財童子 求道の旅』の引用から考えて芭蕉の『幻住庵記』における〈幻住〉というキーワードは華厳経に依拠したものと考えるのである。(中略)

又、『奥の細道』は世界文学に貢献できた日本の唯一の文学作品であると思う。このグローバルな作品は東北という当時の文学的フロンティアにおいて西行の点を芭蕉が線でつないだという意味でローカルである。しかしその内容の中で三国(愚生注:日本・唐土・天竺)の宗教や文化をなるべく不自然にならないように融合させたという意味でグローバルである。(中略)つまり日本のグローバリゼーションは第一期を大仏開眼とすれば、その後のグローバリゼーションは芭蕉の文学的世界において実現されたことになるのだ。鎖国の中でのグローバリゼーションであったということになる。

 

 と結んでいる。ともあれ、本句集からいくつかの句を挙げておこう。


   揚雲雀空に酸素のある限り      靖博

   草の絮生に息あり死に影あり

   白鳥の眠りて月に漂へり

   秋遍路白衣に生身詰め込みて

   戦より七十四年目の残暑

   白牡丹誕生も死も白衣にて

   噴水や我は輪廻のどのあたり

   蠛蠓や戦死者凌駕コロナ死者

     酒井良治氏御葬儀

   濱町は秋笑みの遺影は法被着て

   太陽に誉められてゐる菊日和

   余りたる生もありけり紅葉山

   帰り花命は二つなかりけり


大関靖博(おおぜき・やすひろ) 1948年、千葉県幕張町実籾(現習志野市)生まれ。



     芽夢野うのき「夕芙蓉そのいろ愛でる日がへりぬ」↑

2021年8月9日月曜日

筑紫磐井「戦前の、オリムピックが湧いてゐる」(『概説 筑紫磐井・仁平勝』より)・・・


 加藤哲也『概説 筑紫磐井・仁平勝』(実業公論社)、「はじめに」で、


 本書は、拙著『概説 中原道夫』。『概説 今井杏太郎』に続く、概説シリーズである。なぜ、いま、筑紫磐井(つくしばんせい)と仁平勝(にひらまさる)かということだ。(中略)現俳壇において、俳句の実作と理論の両面からそれらを追求している俳人たちの代表格が、この二人の俳人であり、評論家であると思うのである。(中略)

 その意味で、この二人を取り上げた次第である。実際、そういう意味もあって、普通の俳句の論説では珍しいのであるが、今回は、二人の俳句の解説だけでなく、評論についても多少の論説を加えたものである。

 

 と記されている。筑紫磐井、仁平勝とも愚生にとっては、少なからぬ縁があるので、よくここまで、加藤哲也の興味の赴くままに、書物として立て続けに刊行している、その力量に敬意を表しておきたい。もっとも『概説 今井杏太郎」にしたところで、内容は、仁平勝がいかにすぐれた、俳句の読み手、論者であるかということを縷々に述べ立てていたのだから、本書に至るのは、当然の成り行きかも知れない(仁平論については、これは筑紫の説を慧眼として多く抽いている)。

 未知の読者のとっては、両者の句集刊行順にそって、あるいは、それぞれの著作に沿って解説されているので手頃なのである。ただ、前者・筑紫磐井について、惜しいと思ったことは、彼の最初の原点ともいうべき『定型詩学の原理』(ふらんす堂)への論及がなかったことである。興味ある読者は、直接本書に当たっていただくとして、部分だが、本書から、ほんのわずかだが、引用しておこう。まずは筑紫磐井の第三句集『花鳥諷詠』の宣言、


    宣言

 定型といふことを極限まで考へたすゑ、定型は決して五七五にある訳ではなし、汝(な)が心中(しんちう)にあり、と考へつくにゐたりました。(中略)近頃の若い人たちは、花鳥諷詠といへば、ただもつぱら社会を離れた風流ごとと考へてをられるやうですが、これも、花鳥は心外にのみあるものではなし、目前の風流は即ち地獄にほかなりません。(中略)諸君がくれぐれも花鳥諷詠の末流に惑はされぬやう、直(ひた)にこの道を進まれんことを祈ります。


 次は、仁平勝の尾崎放哉『大空』について述べた件、


 大事なことだが、最初に五七五という定型の観念がなければ、「自由律」という俳句のモチーフは出てこない。五七五が前提にあるから、その定型を否定することが「自由律」として意識される。(後略)

 このあと、仁平は、「自由律」とは定型にとらわれないことではなく、意識的に拒否することで成立しているという。だから、そういう意識のもとに句を作っている以上、俳句に違いないという。その点については、おそらく間違いのないところだろう。私は、この考え方には賛同する。


 と記されている。ともあれ、以下には、筑紫磐井と仁平勝の句を、本書より、いくつか挙げておきたい。


  若き妻を野干(きつね)と知らでさくら狩     磐井

  いかづちも転(まろ)びてあそべ三輪・畝火 

  江戸は春でんろく豆にとらやあやあ    

  けいせいや薄のおもさ・身のかるさ

  もりソバのおつゆが足りぬ高濱家

  俳諧はほとんど言葉すこし虚子

  阿部定にしぐれ花やぐ昭和かな

  南国の鳥よりおしやれ主宰夫人

  老人は青年の敵 強き敵

  俳諧の婆娑羅の道を歩むなり

  皇(す)べる手

  

  戒厳令下菫異常なし 正午(まひる)       

  再会の友よ花野に綱引かむ

  片足の皇軍ありし春の辻

  負け知らずメンコの東千代之介

  手がつきて泣きのねえやは鏡里(かがみさと)

  山眠るいたるところに忍び釘


  女房(にょうぼう)は鶴(つる)

  糸見(いとみ)せぬ身八口(みやつぐち)


  靖国の暑いの暑くないのつて

     攝津幸彦逝く

  秋天に白球を追ひ還らざる

  お待たせといひて日傘をたたみたる

  寒ければ着てなほ寒ければ寝るか


 加藤哲也(かとう・てつや) 1958年、愛知県岡崎市生まれ。



         撮影・鈴木純一「衣のマハ/裸のマハ/骨のマハ」↑

2021年8月8日日曜日

山田耕司「衆人のマスクの白を聖火過ぐ」(「円錐」第90号)・・・


 「円錐」第90号(円錐の会)、特集は今泉康弘著『渡邊白泉の句と真実』評、評者はすべて特別寄稿である。延広真治「今泉康弘『渡邊白泉の句と真実ー〈戦争が廊下の奥に立つてゐた〉その後』」、瀬戸正洋「雑感ー雑読シカ出来ヌ雑文シカ書ケヌー」、松下カロ「小さな言葉による大きな批評ー今泉康弘の作品的評論について」、佐藤りえ「二つの孤独ー『渡邊白泉の句と真実を読む」、木村リュウジ「鼠 渡邊白泉の視点」、そして愚生は、原稿依頼の量を間違えて寄稿したらしく、皆さんより一頁少なく、大井恒行「魂は老いず」である。論考中では、「忘年の友を自認している」延広真治の評が感銘深い。そこには、今後、今泉康弘が評論を書き続けるに際しての愛情あふれる指摘のいくつかがあった。例えば、


 (前略)著者の思いには心を打たれますが、広告主は誰かなどいろいろ疑問も湧きます前著『人それを俳句と呼ぶ』の後記に、「調べることの喜びを身近にいて教えてくれた」先輩、夭折した中込重明(なかごめしげあき)への謝辞を綴っているだけに不審です。 

(中略)調べるのは「事実」を突きとめるためながら、結果として「正解」に達するとは限らないー一見投げ遣りとも思える口振りは、恐らくコロナ禍での図書館閉鎖と関連すると思われます。著者は右の引用部のように自分を納得させて本書刊行に踏み切ったのでしょうか。それだけに沈潜の度は深まったはずです。(中略)

 「渡邊白泉略年譜」。例えば、一九四四年に土浦航海学校などと見えますが、正式名称でしょうか。一九六九年多磨墓地に葬られますが、宗旨もお書き下さい(日蓮宗でしょうか)。なお四三頁「手鎖(てぐさり)」は、テガネまたはテジョウ。一七六頁、「筆箱」は鉛筆消しゴムなどの筆記用具入れ。毛筆は硯箱に入れるのでは。


かくて白泉は見事に甦りました。一重に著者の功で感謝の他はありません。(以下略)


 としたためられている。確かに『渡邊白泉全句集』の三橋敏雄編「年譜」のその部分は、

 

   昭和十九年(一九四四年) 三十一歳

   一月、次男勝出生。六月、応召。横須賀海兵団に入団。兵科は水兵。のち諸所に配乗転勤。


 とあるのみだが、ネットで検索してみると、石井昭著『ふるさと横須賀』の記述によると、海軍航海学校は、「昭和十九年後期入校の十一期生が最後で、二十年一月以降は各海兵団で教育。(中略)七月には、航海学校は校長、海軍大佐大石久保以下全員が、第一特攻隊所属の横須賀突撃隊となり、翌八月の終戦を迎えたのである」との記述がある、など、短期間に相当な機構上の改変が行われているようである。敗戦直前のご都合主義のたまものかも知れない。そして、晴れ間に届いた本著『渡邊白泉の句と真実』を早速、いつもの散歩の足を延ばし、白泉の墓前に、野の花とともに供えたのだった。

 また、本誌本号では、今泉康弘「三鬼の弁護士ー藤田一良(ふじたかずよし)と鈴木六林男」が完結している。愚生は、藤田弁護士には面識もないが、鈴木六林男には、いくつかの想い出もあるので、お互いの気質が彷彿とするようなこの連載を面白く読ませてもらっていた。ともあれ、本誌中より、いくつかの句を以下に挙げておこう。


  初蝶の二三度とんで家を出る        荒井みづえ

  橋掛りシテの涼しき足さばき        田中位和子

  春陰や弁天橋に美美の影          三輪たけし

  五輪旗ぞ地に人体と火とを据ゑ        山田耕司


  天上(てんじうやう)

  天下(てんげ)

  附和(ふわ)の細波(さざなみ)

  不意(ふい)の虹(にじ)          横山康夫


  みずからを紙にくるみて春祭        長岡裕一郎

  遠泳のふぐり寂しと思ひけり         糸 大八

  来てくれてありがたう蜘蛛そつと運ぶ     原麻理子 

  戦前や深雪に千の鈴を埋め          摂氏華氏

  母の忌や何やらヘソのむずかゆし       江川一枝

  国光(こつこう)とふ滅びしものの堅さかな  栗林 浩 

  蝌蚪の群ななめ泳ぎに流れゆく        小林幹彦

  家庭内別居ばたんばつたん冷蔵庫       立木 司

  蝋石の線路果てなき遅日かな        和久井幹雄

  明日より今日を大事に行々子         味元昭次

  蝌蚪二百五百一億日はひとつ        原田もと子

  先生の夢より覚めぬ青時雨          澤 好摩

  こけかけて倒(こ)けてしまえり老の春    矢上新八

  身体を拭く届かぬところもいつか拭く    橋本七尾子  

 


      芽夢野うのき「呼ばれてもヘクソかヅラは寡黙」↑

2021年8月7日土曜日

大河原真青「町灼けてぐにやぐにやの影連れ歩く」(『無音の火』)・・・

            

 

 大河原真青句集『無音の火』(現代俳句協会)、序は、高野ムツオ「まなざしの先ー序に代えて」、帯文は森川光郎、その惹句に、


   野鯉走る青水無月の底を搏ち

 「野鯉走る」の読後以後、/己の範疇を出てゆく句群に/この句の野鯉の姿がうつって/

  やまなかった。/野鯉が走る降雨のあとの/青野に充満する水の香が/無類にして/

  無頼なのである。


 とある。また、序の中には、


 このたび句稿を読んで気づいたことの一つに、このスクラム同様(愚生注*ラグビー選手だった大河原真青の句「湯気立てて泥のスクラム崩れけり」)、変化流動そのものうちに事象の姿を捉えようとするところに真青俳句の独自性が存在することだ。

  寒星や日ごと崩るる火口壁

  根の国の底を奔れる雪解水

  七種や膨らみやまぬ銀河系

 これら自然の諸相をとらえるまなざしがそうである。休むことのない火山の悠久の営みに呼応する寒星のまたたき。永劫の時が止まったままの死者の国、その深みに蘇り溢れ出す雪解水。(以下略) 


 と記されていた。そして、著者「あとがき」は、


 (前略)しばらくして、俳句雑誌に「フクシマ忌」の文字が散見されるようになり、言いようのない違和感を覚えた。その時、福島の震災句は福島の俳人が詠まなければならない、と強く思った。それが福島の俳人の責務だと思った。

 私は二人の師にこう教わった。

「俳句は颯爽としていなければならない」  森川光郎「桔槹」代表

「俳句は孤絶の営みだ」「抽象に走るな」  高野ムツオ「小熊座」主宰

私はこの言葉を指標として、これからも母郷福島を詠み続けて行きたい。


 と記している。集名に因む句は、


   凍餅や第三の火の無音なる     真青


 であろうか。ともあれ、集中より、以下にいくつかの句を挙げておきたい。


   褶曲の疼きをかくし山笑ふ

   空蟬をあふれてけふの波の音

     沖縄

   三線に夕日におばあのあつぱつぱ

   艦砲にあらず摩文仁の日雷

   螢の夜おのが未来に泣く赤子

   砂紋またかたちを変へる慰霊の日

     悼 武川一夫

   帽深く冬の星河を越えたるか

   ジオラマに残りし校舎鳥雲に

   国捨つる覚悟はあらず夏の霧

   冬銀河竜骨のなきノアの舟

   冬ざるる河口の供花も靴音も

   風に向く枯蟷螂もわが叛旗

   わが町は人住めぬ町椋鳥うねる

  

  大河原真青(おおかわら・まさお) 1950年、福島県郡山市生まれ。

  


        撮影・鈴木純一「長崎や差出人の名はなくて」↑