2021年10月31日日曜日

樋口由紀子「押し入れは言いたいことを言うべきだ」(「What’s」創刊号)・・・

 

「What’s」(編集発行人 広瀬ちえみ)、「『What’s』創刊のごあいさつ」には、


(前略)川柳人だけでなく俳人も参加してくださいました。お互いのジャンルを斜めから眺めているより、ごちゃ混ぜの一冊になったら楽しいのではないかと思いました。

 人生において「あれかこれか」の選択をしまければならないとき、私は決して熟慮の末ではなく、おもしろそうな方をを選んできました。会員のみなさんも(たぶん熟慮せずに)二つ返事で参加してくださいました。


 とある。その他、エッセイには叶裕「瑞々しい終幕/『杜Ⅱ 杜人同人合同句集』を読む」、月波与生「『そら耳のつづき』を読んで」、兵頭全郎「はれときどき妄読」、広瀬ちえみ「『々々くん』って後ろから肩をたたいたら」がある。ともあれ、以下に、本誌より、一人一句を挙げておきたい。因みに、ブログタイトルにした句の樋口由紀子は招待作家である。


  チンドン屋どうすることもできなくて     樋口由紀子

  たましいのつまみどころを忘れた日       水本石華

  今しか見ないからずっと目がきれい       竹井紫乙

  老眼鏡で宝の地図は見えたかい         月波与生

  会いましょうわたしを消してあなたを消して  佐藤みさ子

  爽やかや何枚も空剥がされて          川村研治

  なんのはずみか十五夜は上機嫌         妹尾 凛

  溺れてはいけない澄んだ水などに        鈴木節子

  年寄を楽しむ死ぬのも楽しみ          中内火星

  もういいか死立て直しがききません      鈴木せつ子 

  たいへんな局面どこいった蓋は         浮 千草

  かわせみの垂直という方法           野間幸恵

  新型コロナ暖房器具ではありません       鈴木逸志

  体のなかの音組み立ててから起きる       加藤久子

  しょうこりもなくそうぞうをうらがえす     兵頭全郎

  夏休み 朝顔日記はじまりぬ         高橋かづき 

  秋だわね総理が何と言おうとも        広瀬ちえみ

  ゑのころや尻に敷きたる求人誌          叶 裕  



     撮影・中西ひろ美「友だちとふざけてもみた冬隣」↑

2021年10月29日金曜日

江良純雄「秋色を着る庭石も哲学者」(第30回「ことごと句会」)・・・

 


  第30回・(メール×郵便切手)「ことごと句会」(2021年10月30日付け)、雑詠3句、兼題「石」1句。今回より、杦森松一氏が参加されることになった。よろしく、お願いします。以下に一人一句と短評を抄出しておきたい。


   手花火や秘めし言葉の先に落つ      武藤 幹

   草紅葉戦の響きそのままに        江良純雄

   山葡萄潰す生き方一人かな       らふ亜沙弥

   やんま来て石に目鼻を描く日和      渡邉樹音

   鰯雲てんてんてんてん量子論       金田一剛

   坂の燈枯れゆくものとして祈る      照井三余 

   月今宵旅人と詠む気比の月        杦森松一

   星ぬれぬれとして身から刃の抜けて行く  渡辺信子

   石にして遺書継承す王の国        大井恒行


・「秋色を・・」ー「秋色を着る」石。それは石の上の落葉なのでしょうか。そこはかとなく秋を感じる風情に佇む石は黙の哲学者。情景も美しい(樹音)。

・「手花火や」ー多分線香花火でしょう。どうしても火の玉のブルブルを無言で見つめてしまいますね(信子)。言いたいことを花火の燃えかすが代弁してくれた、と感じる。ストレスがポトリと落ちる(純雄)。

・「草紅葉・・」ー一面の草紅葉。戦国武将の血で染められた、歴史もあったか!?(幹)

・「山葡萄・・」ー昔から自生しているブドウに敬意を払いながら、自分の存在を主張している、人間の強さを感じさせます(松一)。

・「やんま来て・・」ー中七「目鼻を描く」がユーモラスな光景(恒行)。

・「鰯雲てん・・」ー何度、調べてもわからない量子論だが「てんてんてんてん」が目に浮かんだ、それだけで良いと思った(亜沙弥)。

・「坂の燈・・」ー一番悩んだ句。「枯れゆくもの」の起点・視点がよくわからないのですが、何故か惹かれた句(樹音)。

・「月今宵・・」ー旅人と、と(ふたりで)詠まないで、旅人として一人詠みのほうがいいと思いました(剛)。

・「星ぬれぬれ・・」ー星ぬれぬれ・・・この感覚が好きだ(亜沙弥)

・「石にして・・」ー願わくは、よき王のよき遺言でありますように!(信子)。


            

      撮影・鈴木純一「コスモスを暗くしてまで月は出る」↑

2021年10月28日木曜日

高橋修宏「きりぎしに干涸らぶ桃か方舟か」(「575」8号)・・・


 

 「575」8号(編集発行人・高橋修宏)、表2・右側下段隅には「私は進歩しない。旅をするのだ」(フェルナンド・ペソア)の献辞がある。また、本田信次と高橋修宏の二人詩誌「NS」3号が同送されてきた(上掲写真右)。俳句とエッセイ(論考)の二本立ての個人誌である。エッセイ(論考)には、打田峨者ん「だ。それはー見捨つるほどや〔二〇二一夏〕、田野倉康一「詩と美術は近いか」、今泉康弘「ジョニーはどこへ行った」、松下カロ「井口時男に語られて 金子兜太と中上健次」、松王かをり「三橋敏雄の戦争句をめぐってー『畳の上』『しだらでん』を中心に」、高橋修宏「六林男・断章十五(1) 他者としての〈女〉」、星野太「忌日の権能(四)」。その中の上田玄の句について論じた今泉康弘「ジョニーはどこへ行った」の結びちかくに、


 (前略)俳句商業誌では、読者(俳人)に対して、季語について、自然現象について、啓蒙する記事をよく見かける。ただし、環境問題や都市化によって、それらが破壊され、壊滅・絶滅へと赴こうとしている、という問題は、ほとんど取り上げられない。なぜなら、多くの俳人は自然そのものを愛しているのではなくて、自然と触れ合っているという観念だけを愛しているからだ。歳時記の示す観念という、一種のユートピア空間を、多くの俳人は愛している。そうして俳人たちが逃避のための観念的自然愛を続ける限り、現状は続き、さらに悪化する。俳句に対して、自然との触れ合いとうう観念だけを求め、愛するとき、俳人を読解する基準は、季語・歳時記の世界観だけとなる。

 これに上田玄は反抗している。様々な先行作品、先行言語表現を踏まえて、その世界を作品に取り込み、作品を重層化させること。そこに、季語に対抗する、世界が生まれる。むろん、その道のりは容易ではない。


 とある。また、松王かをり「三橋敏雄ほ戦争句をめぐって」は、


(前略)季語の働きを充分に知った上で、なぜ無季としたのか。言い換えれば、季語の持つ地層の深さを知ったからこそ、「戦争」を「無季」とするしかなかったのではないか。戦争とは、四季を愛でる営みの対極にあるもの、つまり、「戦争」の本意が「無季」なのである。


 とあった。そういえば、生前、三橋敏雄は、句を作る際に、色々、案じた末に、どうしても相応しい言葉が見つからないとき、最後に季語(季題)を入れる、と言っていた。「戦争」という題だ、とも言っていた。ともあれ、本誌より、以下にいくつかの句を挙げておこう。


   枯木灘流灯を消しまた荒ぶ          花尻万博

   橋かかる象(すがた)ならんか草おぼろ    三枝桂子

   たそがれや指鉄砲に散るはらから      増田まさみ

   蚊帳ぬちに人形母の声で泣き         松下カロ

   照り返す葉裏の桃の被曝量          高橋修宏

   マスクして口中に満つ秋の暮        打田峨者ん



   撮影・芽夢野うのき「すまほいま拗ねているから裂け柘榴」↑

2021年10月25日月曜日

永田満徳「不知火や太古の舟の見えてきし」(『肥後の城』)・・・

 

 永田満徳第二句集『肥後の城』(文學の森)、帯文は奥坂まや、それには、


 阿蘇越ゆる春満月を迎へけり

 永田満徳さんは熱情の人だ。

 その熱情は、生涯の道として邁進する文学に対しても、自然も人情もおおらかな家郷に対しても、力強く燃え上がっている。

 満徳さんの愛してやまない肥後の雄大な天地は、近年、地震と水害という災厄に見舞われた。この句集は、傷ついた故山に捧げる、ひたむきな思いの披歴に他ならない。


  と記してある。また、著者「あとがき」には、


(前略)震災は句集『肥後の城』の成立に大きな影響を与えた。熊本城を悼む気持を句集の題にして、熊本地震の句を起承転結の〈転〉の部分に当てるつもりで編集を進めていたところ、人吉で大水害が起こり、奇しくも二つの大災害を悼む句集になった。


 とあり、また、


「俳句大学」は、「花冠」名誉主宰の高橋信之氏の発案で、「俳句スクェア」代表の五島高資氏と計らって、インターネット時代の俳句の可能性を探ることを目的に設立し、ネット上に新たな句座を創出した。月一回のインターネットの「俳句大学ネット句会」や毎日、あるいは週一回のFacebookグループ「俳句大学投句欄」のイベントなどに投句し、講師として選句を担当してきた。今日まで継続して来られたのは、ひとえに「俳句大学」の活動に対するご理解とご支援の賜である。


 とも記されている。ともあれ、愚生好みに偏するが、いくつかの句を以下に挙げておこう。


   塩振つて塩の振りすぎ夏の昼       満徳

   いがぐりの落ちてやんちやに散らばりぬ

   ふるさとは橋の向かうや春の空

   照紅葉墓域というて墓はなく

   慰霊の碑も埋立ての地も灼けてをり

        *水俣湾埋立地に建つ「水俣病慰霊の碑」

   居住地が震源地なる夜長かな

   日田往還中津街道彼岸花

   葉牡丹の客より多く並びをり

   野分あと雲は途方にくれてゐる

   春雷や自殺にあらず諌なり

   戦死者に敵味方なし日の盛

   指につく粘着テープ憂国忌

   

 永田満徳(ながた・みつのり) 1954年、人吉市生まれ。



 撮影・中西ひろ美「芽はいたたいたたと言ふて持ち上げる」↑

2021年10月24日日曜日

木田智美「セルビィのいそうな百葉箱に秋」(「オルガン」26号より)・・


 「オルガン」26号(編集 宮本佳世乃・発行 鴇田智哉)、4名の座談会は「セルビィと究極」、この座談会のタイトルは、一見しただけでは、何?であるが、要は髙柳克弘著『究極の俳句』と木田智美句集『パーティは明日にして』の句「セルビィのいそうな百葉箱に秋」をめぐっての話である。読者諸兄姉にあっては、直接、本誌に当たって読まれることをお勧めするが、ここでは、以下の部分を引用しておこう。


田島 「究極の俳句」という言葉が「あまねく時代を超えた俳句」ということなのかどうか。同時代における「多様性」という広がりのなかで、俳句をどういう時空で語っているのか、ですね。(中略)

宮本 本質っていったい何なんだろう?

福田 髙柳さんは、俳句とは何かと問う。その答えになるのが、本質ということでしょう。だけど、ひとつのジャンルにあらかじめ何かしらの本質があって、それは変わらないはずなんだと言っちゃうと、俳句というものはひとつの定義があって、それは揺るがないという発想になる。そうするとジャンルというものは、その点では変わることができないんだということになる。だけどそれは本当なのか。ジャンルというのは、もとは生物の種ののことです。この用語が隠喩だということを思い起こしておく必要がある。世代の入れかわりとともに、たえず揺らいでいく。その揺らぎは、ある時点、ある場所でひとりの人がぼんやり思い描くよりも、おそらくずっと大きいはずです。

鴇田 髙柳さんは、「伝統」が「時代や環境にも左右されるし、そのときどきの俳人の考えによって、姿かたちを変えていくことを、積極的に評価したい」と言っているので、「本質」はその向こう側にあることだよね。「俳諧自由」の竜骨だけは、いつまでも変わることがない」と書いている。(中略)

福田 本質は「俳諧自由」だと言いたかったんだとすると、「究極」ということばがいよいよあやうくみえます。「究極」というのは、目的地、行きつく先、とどのつまり、ということだから。そこを目指すことが前提になってしまうと、もう「自由」とはいえない。

田島 本書は、俳句とは別の創作ジャンルをかなり意識して書かれていますね、いくつかの章は別ジャンルの話から入ってます。他の俳論と比べると、だいぶ意識的だなと。俳句の歴史とともに、ジャンルを横断して書こうとしているというのは分かりますね。

 

〇口語俳句のこと。

福田 ただ、ジャンル間で議論がなされて、ジャンルが揺れ動いていくような議論よりは、どちらかというと俳句の固有性みたいなものを押し出したいんだろうなと思うんですよ。けれど、それによって削がれてしまっているものがあるように思っていて、その点で一番気がかりなのは、第五章なんです。要するに、いわゆる「口語俳句」の話です。もともとは、髙柳さんが大学時代に友人を俳句に誘ったときに、その友人が、おそらく〈柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺〉の句を念頭に、「俳句って、コロ助みたうなしゃべりかたするよな」と言った。髙柳さんは、相当腹が立ったみたいで、その友人に対して、俳句が今でも文語を使う理由を伝えようと書いている。髙柳さんは、「去来のいう『風姿』、すなわち一句の格調の高さとはどこから生じるのか」と問うて、「それは時間だ」と答える。(以下略)


 ともあれ、本誌より以下に一人一句を挙げておこう。


   秋風の影の模様が木のやうに        鴇田智哉

   耳鳴りを団扇に払いきれまいか       福田若之

   嬉々と地が浮いてくわくらんだと覚ゆ   宮本佳世乃

   鷺草やマスクのなかの口ふくざつ      田島健一



★閑話休題・・髙柳克弘「眠られぬこどもの数よ春の星」(「鷹」10月号より)・・・


 「オルガン」26号の座談会つながりで「鷹」10月号(鷹俳句会)、特集の対談は、髙柳克弘『究極の俳句』をめぐって/「季語と自我 奥坂まや×髙柳克弘」である。こちらは、結社「鷹」の内輪の座談会であるが、他に、書評として、柏倉健介「俳句を疑う、俳句を信じる」が併載されている。その結びに、


 俳句を考えるにあたって徹底的な懐疑からスタートした本書の著者は一方で、芸術を、文学を、その読み手を、全面的に手放しで信頼している。私にはそのことが怖い。現代は、「自らの俳句信条とともに距離と責任の所在を明確に判断する『私』」が「霧消してしまった」(青木亮人の俳句時評、「文藝年鑑2021」)時代なのだから。しかしそれは著者も充分わかっているのだろう。だからこその、俳人としての決意の一書とみた。


 とあった。対談もごく一部分になるが、抄出しておこう。


髙柳 奥坂さんはかねてから自分の俳句は「季語への供物」だと言っていますね。『究極の俳句』では、季題中心主義からの脱出ということを言っているので、ここも大きく違うところかなと思います。

奥坂 供物として新しいものじゃなければ、季語に喜んでもらえないわけです。同じような句を詠んでも、「また同じ供物か」となって、季語が死んでしまう。アプローチする方法は違いますが、季語を常に新しくしていかないといけないというのは髙柳さんと同じだと思います。

髙柳 そうですね、私もこの本の中で、いかに芭蕉が季語の本意に対して挑戦的だったかを述べています。芭蕉は、自分の思想や人生観を通して、季語を塗り替えていったという見方です。



      撮影・鈴木純一「茶の花の刈られそんじのなほ白く」↑

2021年10月22日金曜日

森田廣「生れ素性は虹の雫や野紺菊」(『出雲、うちなるトポスⅢ/潮鳴り遥かに』)・・・


          

           

 森田廣句画集『出雲、うちなるトポスⅢ/潮鳴り遥かに』(霧工房)、表紙画/疾風(水彩・アクリル)森田廣。装幀・増田まさみ。「いま、ここにーあとがきに代えて」の中に、


 (前略)戦災や大震災等に私事を並べるのは場違いのことであろうが、私は三十歳を少し過ぎたとき、生死の淵をさまよう事故に遭い両腕を失った。一時は死の誘惑に落ちそうにもなったが、時を経て漸く立ち直りつつあった在る日、フランクルの『夜と霧』に出会った。


  ナチスのアウシュビッツ強制収容所に囚われ、非人道的労働に疲れ果て、虐殺におののく人達がはからずも落日の荘厳な光景に見入っていた。と、一人が「世界はどうしてこんなに美しいのだろう」と呟いた。大自然の霊妙な美と、不条理の極限に置かれた人間の存在。それは俳句表現に向かう意識の動かし難い転機となった。天地造花の妙を見せる世界は、他方あまりの悲惨な事象をもたらす。そこに生きる一つの存在。俳句表現もまた「存在」につながるべきものという指標がそこにあった。

 予期せぬ高齢に恵まれ、出来ればシンプルな表現を心掛けたい思いもある。むろん、どんな表現であろうと俳句表現に値することばでなければならないが、更に言えば、その表現意識のもう一つ深みにある何か(・・)をたずねたいのである。その何か(・・)を端的なことばにすれば「いま・ここ」にという思いであり、「刻々のいのち」或いは「刻々の永遠」とも言える思いである。


(中略)なお掲載句は前句画集『出雲、うちなるトポスⅡ』以降の句作品から一二〇句を抄出した。(中略)

 ここ一年半余り、体調ままならず本格的な絵画制作が出来なかった。その間イメージメモとして描いていた小さい水彩に次第に専念していった。極めて小品であるが、私の絵画感覚の地が出ていると思われ、句画集として併載することにした。


 とあった。ともあれ、以下に集中より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておきたい。


   どこまでが出雲の空や辛夷咲く      

   さくら山劫初の眼玉掘りいるや

   鮒の死を離れて告げる花筏

   揚げ雲雀馬はいつまで留守なるや

   汽水外れの白骨の鳥青嵐

   母はきのうトマトを採りにアンデスへ

   銀河から墜ちし流木発火せり

   霧山脈やさしくあれど睦まざる

   煮凝りの幾世からまる篝火や

   十二月八日星空よりイマジン

       *太平洋戦争開戦の日、時を経て奇しくもジョン・レノンの

        仆れし日が重なる。

   方舟と紛う空舟(からふね)夕しぐれ

   人声の人におさまり雪暮れゆく

   雪の上に出雲純系と墨書せん

       *先師小蕾に「われひとや出雲純系雪消えゆく」の句あり。


 森田廣(もりた・ひろし) 1926年、島根県安来市生まれ。



         芽夢野うのき「青柿の青に宿るや老少女」↑

2021年10月21日木曜日

長谷川和子「小鳥来る庭師の親子無口なり」(府中市生涯学習センター・秋季講座「現代俳句」)・・

 


  府中市生涯学習センター・秋季講座「現代俳句」の二回目、前回に、当季の席題「紅葉」「小鳥来る」を出していたので、句会模様に進行し、その間に、現代俳句の若き二人だった攝津幸彦と田中裕明を紹介する予定だったが、全体では、時間不足気味で、次回以降にでも続けていきたい。次回、三回目は11月11日(木)、宿題は言葉「朋・友」をキーワードにして、無季の句を一句と11月は冬季に入るので、冬の句を一句、合計2句を持参することになっている。

 句会模様にして、その実践のなかから、歳時記のことや、仮名遣いや俳句の歴史などを、実際に、その場で出された句を契機にして進行させているので、いわば、でたとこ勝負的になっている。スリルがあって、反応が良いとなかなか楽しい。もっとも無季の句を作ってもらうのは、逆に、いかに有季定型の句が自由に作れるかということを体験してもらうことでもある。最後に自由律で作ってきてもいいか?と質問されたので、もちろん自由律でもかまいません、と言った。ともあれ、以下に、本日の一人一句を挙げておきたい。


   青空をキャンバスにして紅葉映ゆ      清水正之

   小鳥来るパン屋の屋根の青緑        井上治男

   小鳥来る赤い実ひとつ忘れもの       井上芳子

   (とも)逝きてわれ何せむぞ紅葉散る   濱 筆治

   紅葉谷路線バス行く急カーブ       長谷川和子

   夕暮れの銀杏一樹に小鳥来る       壬生みつ子

   あか子抱き紅葉のような手を包み      吉永敏子

   いつ帰る尋ねる母に小鳥来る        杦森松一

   枯枝のモビールゆれてかすかにつた紅葉   山川桂子

   こどもの手もみじいっぱい夢のせて    大庭久美子

   小鳥来て母の面影すがすがし       久保田和代

   小鳥来る何もしなくてよい日かな      大井恒行 



     撮影・中西ひろ美「よさそうな所にて秋談笑す」↑

2021年10月19日火曜日

高橋修宏「大小の人の柱 の鹹き夏」(「つぐみ」NO.201)・・


 「つぐみ」NO.201(俳句集団つぐみ)、本号の巻頭の「俳句交流」は、「豈」同人でもある高橋修宏「オリンピア」7句と小文。それには、


 もとより俳句における〈定型〉とは、ひとつの拘束である。しかし、その拘束こそが、自己を自由にするのだ。知らず知らずのうちに自己の中に降りつもり、あたかも自然であるかのように馴らされていく日常感覚。そこに亀裂を走らせ、切断し、解き放ち、そして亡命をはかるための装置、それが〈定型〉だ。その場に立ち上がる自己は、すでに日常の時空を生きる主体ではない。死と生、彼岸と此岸、虚と実のあわいに佇む、いわばマージナル=境界的と呼びうる主体―。


 と記されている。本誌には、他に、外山一機の連載俳句評論(85)「『戦火のホトトギス』に思うこと」がある。ともあれ、本号より以下に一人一句を挙げておきたい。


   幽霊を待つ忠犬のいとしけれ          高橋修宏

   草の実や肉食獣を揺り起こす          有田莉多

   秋の虹誰も奪へず誰か消す           安藤 靖

   解体の前にも後にもねこじやらし        井上広美

   汗の背を押されて天の風となる         入江 優

   「いいだんべ」亡夫(つま)のくちぐせ照紅葉  鬼形瑞枝

   金木犀 ポケットに入れて スキップだ     金成彰子

   二百十日水の広場に水あらず           楽 樹

   外国より暑中お見舞い生きてますか       津野岳陽

   山越えの海からの風稲実る          つはこ江津

   しりしり乾く八月の吃音           夏目るんり

   庭仕事終了蜥蜴が見回りに           西野洋司

   大丈夫という人がいる秋のすきま       ののいさむ

   三人が頷くナンバンギセル           蓮沼明子

   順々に木がゆれ合歓の花が咲く         平田 薫

   コスモスの咲いていたよと振り返る       八田堀亰

   母の形見にオロナイン軟膏と終戦日      らふ亜沙弥

   もうだれだか訊けぬ写真秋晴れ         渡辺テル

   白桃を叱りつけてる香具夜姫         わたなべ柊

   「句が痩せる薬有〼」金黙星          渡 七八



撮影・鈴木純一「雑草ト云フ名ノ草ハ無イあっそう雑草みたく生きているだけ」↑

2021年10月16日土曜日

北山順「ノータッチ貫き花野まで逃げる」(『ふとノイズ』))・・・

           


  北山順第一句集『ふとノイズ』(現代俳句協会)、序は今井聖、その中に、


  (前略) 目借時数へるたびに増えてゆく

 この句、「数へる」の主語は「私」であると考えていいが、何を数えるのかわからない。さらに「増えてゆく」の主語は何だかわからない。(中略)主語の省略は別にして目的語が省略されることは以前は無かったと言ってもいい。他動詞を用いながら目的語が無ければ文の体を為さない。しかし俳句は文ではなくて「詩」だから何でもありという認識である。


 とある。そして、


  (前略) 鹿よぎる夜や製本の美しき

 夜間だから鹿が「よぎる」のは視覚的現実ではなくて脳裡の想像。製本の美しさは形や色や文字の総体。そして「美しき」も説明できない脳裡の感覚。しかし、読者は「鹿」も、美しい「本」も形としてイメージできる。「や」を境にして想像の中の二つの物象が重なる。イメージの架け橋として切れ字が見事に機能している。


 と結ばれている。また、著者「あとがき」には、


(前略)句作を始めてかなり長い期間、私は仮名遣いというものにあまりにも無頓着でいて、これまで書きためたノートを見返すと歴史的仮名遣いと現代仮名遣いのどちらの句も混在しているという状態でした。そのため、句集内の「刺さない虫」の章には現代仮名遣いで書いた句を、それ以外の章では歴史的仮名遣いで書いた句を収めることといたしました。


 とあった。集名に因む句は、


   義士の日のテディベアよりふとノイズ


 であろう。そして、本句集は、2020年、第38回兜太現代俳句新人賞受賞の副賞として刊行された句集であるという。ともあれ、以下に、いくつかの句を挙げておきたい。


   春深むいまも魔王の眠る壺

   以下略が木下闇より漏れ始む

   原爆忌夫人が祖父を訪ね来し

   剝き出しのsuicaをかざし悴める

   解像度不足の裸婦と二日月

   ギブアップする選択や青き踏む

   暗転に水鳥だけが残される

   部屋でなく服でなく吾の黴びてをり

   飾り罫やや太くする冬支度

   夕焚火返事を待たず投げ入れる


 北山順(きたやま・じゅん) 1971年、広島県生まれ。



    撮影・芽夢野うのき「だんすダンス足踏んでまた秋空」↑

2021年10月14日木曜日

豊里友行「咲き誇れ鴎一騎の我が書を捲る」(『ういるす籠り』)・・


  豊里友行第4句集『ういるす籠り』(沖縄書房)、表紙の紅型は金城宏次、裏表紙の写真は著者、英訳は松本太郎とある。各句、「あとがき」すべてに英訳が付されている。因みにブログタイトルにした句「咲き誇れ鴎一騎の我が書を捲る」の英訳は、


  Blooming.lonely seaglls turn over my book


 である。著者「あとがき」には、


(前略)私は、この時代の試練をウイルス籠りと呼ぶ。私にとって一度っきりの人生において私たちの生き方を大きく変えたこの感染症に悩む期間を忘れることはできないだろう。

全ての人類は、より良く生きたい。

人間一人ひとりが、より良く生きたい。

私は、さまざまな主義・主張が、言い争い武器を持って戦おうとも俳句や写真から希望の光を見出したい。 

言い争いや武器では、人類の一人ひとりの幸福を叶えることはできない。

私にとって俳句の杖は、生きるささえになって歩みとなる。

そんな希望の光をこの句集『ういるす籠り』に込める。

私自身が、このような時代を真剣に見つめ直す中で見出したコトやモノを俳句によって世に問いたい。


 とあった。因みに、「ういるす籠り」の句を以下に挙げると、


  ういるす籠りの銀河系をごらん      友行

  ういるす籠りの銀河の帆を燈す

  ういるす籠りの寝る母合歓の花


  ともあれ、集中より愚生好みに偏するが、幾つかの句を挙げておこう。


  がりがりと蟷螂が三日月齧る

  臆病な私の本音キャベツ剥ぐ

  収奪の雨も選挙の民意かな

  ふるさとは蜻蛉の音符で溢れてる

  ∞の芽吹きへ花の風車祝(カジマヤー)

  マスクだけ残して街の福笑い

  断食を強いる国家のうまごやし

  エイプリルフールの沖縄開戦日

  曼珠沙華それは血潮の翼なり

  骨として石を葬るうりずん南風(ベー)

  蒲公英の分布に潜む有事です


 豊里友行(とよざと・ともゆき) 1976年、沖縄県生まれ。



撮影・中西ひろ美「朝(あした)には川霧で包んであげよう」↑

2021年10月11日月曜日

成田一子「髪洗ふならツンドラの森の水」(『トマトの花』)・・

             


  成田一子第一句集『トマトの花』(朔出版)、栞文は辻桃子「突き刺さる句」と高野ムツオ「天衣無縫」。その高野ムツオは、


 成田一子の句は大胆である。清々しいほ傍若無人である。例えば、句集名の元となった次の句を揚げれば誰もがそのことを納得するだろう。

   産風邪やトマトの花にトマトの香

 「産風邪」は生まれたての赤子が罹る風邪のことだが、ここでは「風邪」という季語はまず無視されている。夏風邪でもむろんない。文字通り、この世に生を受けて初めて罹る風邪のことだ。言葉の鮮度が命のあり方をまず開示する。取り合わされる「トマトの花」もまた既成季語の情趣を拒絶して潔い。あたかも「茄子の花」や「南瓜の花」が季語なのに、同じ野菜(果菜ともいうらしいが)でありながら、私はなぜ歳時記に登録されないのかと、ひそかに、しかし強く訴えているかのようだ。同時に、その特有の花の色と匂いをもって、私には私にしかない無垢の命があると主張している。


 と記している。また、著者「あとがき」には、


 幼少の頃、私のまわりには三人の俳人がいた。

 祖父の須ヶ原樗子(ちょし)、祖母の菅原良子(駒草)、父の菅原鬨也(ときや)(鷹・槐)である。三人はよく砂糖とクリームのたっぷり入ったインスタントコーヒーを片手に熱く俳句談義を交していた。煙草のけむりもうもうの中、時に子供の目には「けんか」と思えるほどそれは白熱した。(中略)

 また、とある日には〈みちのく〉という言葉について激しくやりとりしていた。詳しい内容はよく分からなかったが、その話し声があまりに大きいので〈みちのくのでんしんばしらほうほけきょ〉と、子供の私も俳句のようなものを近くに行って叫んでみた。すると祖父が私を引き寄せ、膝に乗せて頭を撫でた。祖母も父もさっきまでの勢いが嘘のように静かになり、互いにほほえみを浮かべ合ったりしている。

 なんだか変な大人たちだと思った。(中略)

 普段はやさしい祖父も祖母も、父を交え俳句の話がはじまると人が変わったようになってしまう。

 俳句は怖い、やってはいけない、ずっと思っていた。(中略)

 あれだけ怖いと思っていた俳句の世界だが、最近は句を作っていると何か大きなものに包まれているような安心感を覚えるようになった。それは「怖い」を通り越した、「畏(こわ)い」世界なのかもしれない。(中略)

 「滝」は二〇二一年十二月で創立三十周年を迎える。

 まずは父の仏前にこの句集を供えたい。


 とあった。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。


  息つぎに太陽を飲む泳ぎかな     一子

  短夜や重ねて青む紙の白

  口紅は革命の赤五月来ぬ

  ままごとに修羅場ありけり蝶の昼

  ロックスター金・銀・豹と着ぶくれて

  美しき朝寝のままに死にゐたり

  向日葵や極左の赤いペンキ文字

  白シャツの群アフレコの国家かな

  原爆忌路上に猿が手をたたく

  蕩産や風呂場が冬の河原めき

  鵙の贄天にちひさき五指ひらく

  水風呂の予期せぬ深さ開戦日

  細胞の入れ替はるまで泳ぎけり


 成田一子(なりた・いちこ) 1970年、仙台市生まれ。



     撮影・芽夢野うのき「飛べよ神の雲川の漣集め来よ」↑

2021年10月10日日曜日

志都一人「父子三界時雨れて落つる木の実かな」(「戛戛」第一三三号より)・・


 「戛戛」第133号(詭激時代社)、巻頭の詩篇に、田井義信「あるきなさい」、続けて志都一人「寒の鮒ー三十五句抄」が配されている。「戛戛」第133号の「附録ー追懐 田井義信」の各務麗至の「田井義信詩集」プロフィールによると、


 昭和二十四年二月十二日生。平成二十六年十一月十七日永眠。十歳の句に始まり、十七歳から、ペンネーム田井洋一で各務麗至と「二人」を共同編集。「詭激時代」創刊に参画。後、二十五歳の頃まで文芸同人誌「白翔」に創刊参加。(中略)後年の折々に俳句をひねっていた。因みに長男は「洋一」と命名。

   永遠の時の間のさくらかな  遺作  (以下略)


とある。また「寒の鮒」の「覚書」の結びには、


 滝井孝作の「俳人仲間」から俳句に志都は興味を抱き、無論「無限抱擁」も読んでいて、あるいは檀一雄の句にも接していた。私はその後文章上の勉強の一つでもある俳句の魅力にとらえられて、塚本邦雄から金子兜太にすすみ、三橋敏雄に行きつくのだったが、

 追いつけ追い越せの志都がその頃既に此の世を去っていたなど、知るべくもなかったのである。


 とあった。ともあれ、志都の一人の句と、「戛戛」133付録から、以下に、少しばかり紹介しておきたい。


     ニ十八歳

  妻が燃える煙のきわの山躑躅    一人

  喀血の朝の閑さ寒雀

    気は満ちて三界に巡るも   

    身は田野に伏して庭桜を看る

    春秋三十歳復夢ならずや

    人ごとに酌まんかな一杯の酒

  春光の無限の空の果てはここ

  手に弾けきびしかりけり寒の鮒

     * *  *

  歩きなさい (田井義信)

   歩きなさい

   まっすぐに

   果てない道を  

   一人で

   己を知りなさい

   ゆっくりと

   道草をせず

   歩くのです

   夢を抱いて

   夜のせつなさに

   涙せず

   ひたすらに

   歩きなさい


  追悼             各務麗至

   夭逝は嘘と思ふうそ寒し

    溢れるもの

    溢れるまま空を見上げ

    ーーさやうならはない友よ

    また会はう

   赫々と漢の空や秋のくれ



      撮影・中西ひろ美「秋の日の釣瓶落しの向う岸」↑

2021年10月9日土曜日

藤田踏青「脳の中二階にも獏が見つからない」(「でんでん虫の会」句会報100号『終刊号』)・・


  「でんでん虫の会」句会報100号・終刊号(編集・発行人 藤田踏青)、「終刊の辞」に、


「でんでん虫の会」は故・森田栄一(現代川柳)と藤田踏青(自由律俳句)との発起により、平成十七年に誕生いたしました。その企画・コンセプトは(俳句・川柳・一行詩のコラボレーヨンを目指した短詩型交流会)とし、相互の作品鑑賞を中心とし、作品欄では雑詠に加え、森田栄一提案の〈イメージ吟〉を第四号から始めました。(中略)

「世界的にのろさのシンボルである蝸牛(でんでん虫)を何故選んだのだろう。まったく何も考えずに、藤田・森田の田田(でんでん)でいいじゃないか、と軽く即決の命名である。(中略)」。

 発足から一年後に森田栄一の急逝という一大困難を乗り越え、今年で十七年目を迎えることができましたが、「でんでん虫の会」は百号をもって終刊することになりました。(中略)

 私としては、従来から刊行途中での急な廃刊は避けたいと考えており、この百号で終刊することに致しました。終刊に関しましては、事前に会員へのアンケートを実施し、色々なご意見を参考に、編集室として決断に至った次第です。百号での終刊につきましては、何ら悔いもなく、やりきったという気持ちが正直なところです。遅刊が一度も無かったことも自負の一つでもあります。それには編集・発行の第一の協力者の妻の助力があったからこそで、妻には感謝あるのみ。


 とあった。本号には、会員作品とエッセイ、さらに藤田踏青による「万華鏡」(珠玉の言葉)と題する箴言の採録,書評「森さかえ『木星は遠すぎる』」、「でんでん虫の会・略史」(1号~100号)など充実の内容である。これまでの奮闘に敬意を表したい。ともあれ、以下に一人一句挙げておこう。


  誰も居ない枯野は木馬のもの         久保田寿界  

  愛の行方を見届けたいが洗濯がある       小山貴子

  何をしてもいいという自由を寝ころんでいる   久光良一

  ぼくが止まると美術館が歩く          府川素床

  「破」「非」「不」が罷り通り空は青い    藤田美登里

  夢まぼろしの翼は明日へたたまずに      吉田久美子

  極楽へ一度だけ乗ってみたいな花筏       若杉縷縷

  そこまで行けば何とかなると苦よもぎ      藤田踏青 



       撮影・鈴木純一「蟷螂の枯るるにあまる緑かな」↑

2021年10月8日金曜日

竹馬狂吟集「鬼ぞ三ぴき走り出てたる/おそろしやあらおそろしやおろしや」(「コスモス通信」第42号より)・・・


「コスモス通信」第42号(発行者・妹尾健)、妹尾健「初期俳諧について」のなかに、ブログタイトルにした「鬼ぞ三ぴき走り出てたる/おそろしやあらおそろしやおそろしや」を抽き、


(前略)周知のようにこれは別々の作者の句である。意表をついた前句に意表をついた答えを出すのが付け句である。なんのことはないそれだけである。それが面白いのは前句の問いありは場面設定といったものにどう付け返すかが、この「竹馬狂吟集」の全体の方法である。俳諧はこの応答のおもしろさやおかしさを伝えねばならない。 

 勿論、大笑いですんでしまう句もあるのだが、この場合そうした鬼の出現とバカバカしさを表現したことに対する笑いが大切なのである。(中略)

 このような世界の拡充は室町期から連歌の流行にかけて発展していく。やがてこの卑俗な世界の対象は近世近くになると

   月に柄をさしたらばよきうちわかな

といった山崎宗鑑の句のように収れんされてくる。そして卑俗な部分は捨象されてのちの川柳や雑排にところを得るということになる。(中略)山崎宗鑑の句には、月とうちわの機知しかのこされていないことになる。だからそこには人をニヤリとさせるものがない。(中略)

初期俳諧は確立した美意識をもっていないかもしれないが、いわば卑俗なエネルギーに満ちている。そのエネルギーはぼくの閉口をこえて旧来の社会通念や貴族連歌の制約を徐々にではあるが打破していったのである。

 このエネルギーはまず卑俗な対象とそのおかしさを表現することであった。

   運は天にありとやあがるゆふひばり

 室町人のあすの生命とたつきの道の困難さをひっそりと述べた句である。こんな句もつくられていたのである。


とあった。「コスモス通信」はいわば個人通信誌であるが、他に、桂信子の句を鑑賞した秋華連載「エッセイ 秋潮の綺羅」、招待作品に竹味千賀子「白秋」がある。以下に句を引用しておきたい。


   落日や秋潮の綺羅わが身にも    桂 信子

   蝶番のあまた骨格きしむ杖    竹味千賀子

   月光にかの公爵の挨拶す      妹尾 健

   天上に小鳥の声は高まりぬ      

   決心の古書買う町の秋しぐれ     

   草の香のあたりにでればゆるしけり  

   西鶴忌市井の中は風ばかり      




          


★閑話休題・・・府中市生涯学習センター「現代俳句」秋季講座第1回(10・7)・・・


 昨日は府中市生涯学習センターの現代俳句講座の開始日だった。秋季講座は5回あって、最後は12月に一日入っている。コロナ禍で12名の人数制限があり、今回は抽選で落選された方がおられる。ちょっと残念。聞くところによると、愚生の前の講師は高田正子だったらしい。全く初心の方もおられるので、やはり、一から始めることになる(一回目は必ず自分の名前を詠み込んで自己紹介俳句を作っていただく)。最初は、俳句の来た道について、大雑把に説明はするが、とはいえ、実践的にと考えているので、次回は2句兼題を出した。持参していただくことになっている。すでに、愚生の講座で3期連続の常連の方もいらっしゃるので、今回は12名のうち9名の方が複数回受講者であったので、これから、もうひと工夫しなければいけないところである。以下は、自己紹介一人一句(順不同)。初めて作ったと言われてもにわかには信じられない。キチンと型に入っている。


     山川桂子いねむりがちに能を見し

   スマホデビューそれでどうなる清水正之

   母の死に久保田和代の秋しづか

   秋の野にオカリナを吹く壬生みつ子

   子の心玲瓏たれと託せしか  (牧の玲子)

   秋日和井上芳子空見あぐ

   長谷川和子ミステリー読む長き夜

   松一や古希の手習秋の空   (杦森松一)

   濱筆治(はまふでじ)実在するや秋の雲

   傘寿すぎ井上治男冬近し

   冬野菜育つを待ってる吉永敏子

   大井恒行府中の森の秋に住む

   


        芽夢野うのき「金木犀地獄耳へと香りたつ」↑

2021年10月6日水曜日

黒田杏子「天心に寂光の月後の月」(「藍生」10月号)・・・


「藍生」10月号(藍生俳句会)、特集は、「『証言・昭和の俳句』増補新装版」、執筆は、井口時男「無私と自由と」、筑紫磐井「『証言・昭和の俳句 』の証言ー『証言・昭和の俳句』は『史記』たり得るか」、齊藤愼爾「『証言・昭和の俳句』散策」、黒田杏子「増補新装版 あとがき」。そして、黒田杏子「『証言・昭和の俳句』増補新装版」の中に、


 (前略)「黒田さん、そりゃ無茶ですよ」と言われた大冊が只今重版(二刷)に向って驀進中。「類書がない」「最高の入門書」「俳壇史即ち現代史」などとのご評価を頂き、なんとすでに全国百二十の主要図書館に収蔵もされました。

 このたびは、第二部として、活躍中の男女二十名の書き手の方々に書き下ろしの原稿(四百字十枚四千字)を頂いております。ここに三名の方の玉稿を転載、特集としてご覧頂くことと致しました。


 というわけで、本書を未だ未読の方は、本誌「藍生」といわず、是非手にとられたい。


 ここでは、黒田杏子「あとがき」の結びを、紹介しておきたい。


  いまさら、私があらためて記すまでもなく、俳句・HAIKUをめぐる状況は二十年前とは信じられないほど大きく変わってきています。HAIKUは世界語となりました。

 パンデミックのさなか、二〇二一年の終戦日、八月十五日に世に出る新しい『証言・昭和の俳句』全一巻・増補新装版がおひとりでも多くの皆様、読者に迎えられることを希い、祈っております。


 ともあれ、本誌「藍生」本号よ、黒田杏子の句と「藍生集」巻頭から6名の方の一句を以下に挙げておこう。


     七月十七日夜、栗島弘さん永眠

  句狂人栗島弘雲の峰         黒田杏子

  梅雨の月彼の世の母と同い年    今野志津子

  香港を梅雨の暗雲覆ひつゝ      加治尚山 

  ひらき継ぎ散り継ぎ幽き沙羅の花   深津健司

  花茣蓙や古謡を歌ふ祖母の膝    渡部誠一郎

  長梅雨や庭石を踏む何物か      半田良浩

  消息の不明な詩人ねむの花      秋山博江 


        

        FB夜窓社からのスクリーンショット↑


★閑話休題・・・ワイズ出版岡田博さん追悼。新文芸坐、10月11日(月)レイトショー20時開映:追悼・岡田博「銀幕に刻まれた映画への想い【無頼平野】」・・・


●無頼平野(1995/99分/35mm)

  監督:石井輝男 出演:加勢大周、岡田奈々、佐野史郎 ©1995ワイズ出版

  ・レイトショー 開場19:40 開映20:00

   於:新文芸坐(池袋駅から徒歩3分)

     指定席一般1300円、学生・友の会シニア1100円。




影・鈴木純一「3センチほどのキマダラカメムシに15ミリメートルの魂」↑

2021年10月5日火曜日

原満三寿「かくれんぼ長じてとくいはくもがくれ」(『迷走する空』)・・


  原満三寿第8句集『迷走する空』(深夜叢書社)、跋は齋藤愼爾「瞑想する空への誘い」、それには、


 句集『迷走する空』は、「俳乞食の空」、「いのちたちの空」、「絶滅危惧種の空」、「明日の空へ」の四章から構成されている。(中略)

 俳乞食は陸沈することに安住することなく、「おのれの百鬼を夜行さす」、つまり百鬼夜行する行動に躍り出た俳人たる徘徊者への変貌を意味する。

  「門」ひらく合歓の木陰で無字の僧

 超難解句の登場である。「門」とは何か、そして「無字の僧」とは?門で想起するのは建造物の出入り口、漱石の小説『門』やカフカの短編『掟(おきて)の門』だが、掲句との関連が不明、悶々とあせるだけである。(中略)

 このカフカの不条理な短編が掲句と全く何のかかわりもないと思えないので、ひとまず書き添えておく。なお、〈無字〉とは仏語で、「真理は文字に表せないということ」と注釈にある。そう言われても禅問答の如きもので、今の私には要領を得ない。(中略)

   鳥かえる古代緑地へいざかえる   満三寿

「古代緑地」は、もしかしたら詩人吉田一穂の言葉を指しているのでしょうか。(中略)

「あるとき地軸が三十度傾いたたんだ。(中略)ところが地軸が三十度傾いたために、温帯が極になってしまった。緑地が氷原に変わったんだ。白鳥は・・・かつての緑地、今はツンドラになってしまった故郷に還る。あの古代緑地に回帰する本能。かれらの帰巣のための飛翔や泳走に方向感覚のあやまりはない。磁気のように正確な方向軸を自ら持たぬ奴は詩がかけない」ー真壁仁氏、吉田一穂の顔が、いつしか原満三寿氏の温顔と重なった。その背後からカフカが「色即是空」と唱えながら透明な浮遊体になり、掟の門をするりとくぐり抜けて、『迷走する空』へと向かう姿が幻視されたのだった。


 と、記されている。そしてまた、著者「あとがき」には、


(前略)この先、地球はどうなるのか、生き物たちはどうなるのか。そんな思いに駆られ、「迷走する空」と題した所以です。

 それでわたしに何ができるかといえば、俳句面した俳句や無精卵まがいの俳句はできませんので、迷走するものにむけての俳諧を、と愚考しているのですが、枯蟷螂のごとく妖剣戯作丸をふりかざすばかり。困ったことです。


 とあった。原満三寿健在である。ともあれ、本集より、いくつかの句を以下に挙げておきたい。


   莫逆の俳乞食が秘す青地球         満三寿

   俳乞食 おのれの百鬼を夜行さす

   腰あつき花も嵐も死の山へ

   のぞいたるバストをのぞく即身仏

   路地ごとに空蟬老人ふきだまる

   多情多恨いちどもなくて百日紅

   鬼ごっこつぎつぎきえて合歓の花

   野良犬(のら)うえてついに人灯に屈服す

   花になる途中の悲鳴が隣家から

   ぎょろ目して今を蜻蛉のさびしさや

   地に芙蓉 空に叡知のキノコ雲

           *叡知=サピエンス

      金子兜太

   オオカミは〈きよお!と喚〉き産土へ

   まほろばの〈善人猶以て〉核の傘

   聡太の〈飛]To be or not to be 青嵐譜

           *二〇二〇年八月 王位戦第四局 藤井聡太の封じ手

   炎帝へ一揆の裔は〈0〉を描く

   俳乞食のぞむ明日の青地球


 原満三寿(はら・まさじ) 1940年、北海道生まれ。  



     
芽夢野うのき「ゴーヤの花や正しく狂う日の黄色」↑

2021年10月4日月曜日

小川双々子「炭俵照らしてくらきところなる」(『俳句の深読みー言葉さばきの不思議』より)・・


武馬久仁裕『俳句の深読みー言葉さばきの不思議』(黎明書房)、帯の惹句に、


  俳句の不思議さ、面白さを深く楽しむ!

  ●坪内稔典の「たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ」は、なぜ俳句か?

  ● 後藤夜半の「滝の上に水現われて落ちにけり」は、縦書きだから名句!

  ●阿部完市の難句「桜鯛箱をならべて箱のこと」は、〈重ね言葉〉で読めばよく分かる。

  ●俳句の「二階」は、「異界」。

  ●芭蕉とAI一茶くんの俳句、どちらが優れている?


 とある。書名に深読みというだけあって、俳句の全くの初心者向きというよりも、けっこう俳句を齧った方でなければ、いわばズブの素人では、理解が少しばかり難しいかも知れない。何しろ言葉さばき(レトリック)を解き明かすというのだから・・・。さすがに、小川双々子の弟子であった武馬久仁裕だけあって、圧巻は、巻末の「22 俳句と漢詩の言葉さばき(レトリック)ー小川双々子から李賀(りが)へ」である。その中に、


(前略)ある日、この李賀の傑作を読んでいましたら、この双々子の句に似た表現があったのです。次のようになります。

  炭俵照らしてくらきところかな     双々子

  鬼燈(きとう) 漆(うるし)の如(ごと)く 松花(しょうか)を照(て)らす

                     李賀   

 「漆の如く松花を照らす」という言葉に惹かれました。そのまま読めば、「漆のように真っ黒く松の花を照らす」ということになります。これはどういうことか確認したく思い、「南山の田中の行(うた)」のいくつかの注釈を読みました。双々子の先の句の読み方に関連づけることができないか考えたのです。が、ことは簡単ではありませんでした。納得できる読み方に出会えなかったのです。(中略)


 とあり、その深読みの鑑賞は 約20ページに及んでいる。で、


ながながと書いてきましたが、まとめますと、

  鬼燈如漆照松花   鬼燈 漆の如く 松花を照らす

は、「鬼火が漆黒の光で松を照らせば、そこには、松の花が照らし出される」と読めばよいのです。

 たとえ解釈上は「如漆」が「漆燈のように」であろうとも、その「ゆったりとした橙色のあたたかみのある炎」(9)を上げ燃えているはずの漆燈の光は、この詩を読む者の脳裏には漆黒の光へと転ずるのです。(中略)

 ですから、そこに日常の散文の論理(考え方)を持ってきて読もうとしても、到底できることではないのです。

 読者もまた、散文の論理(考え方)ではなく、詩の言葉さばき(レトリック)を素直に受け止め、読む必要があるのではないかと思います。李賀の「南山の田中の行」は、そのようにして読むことを求めている詩です。

 小川双々子の、

  炭俵照らしてくらきところなる     双々子

も、照らすことによって「くらきところ」が現れるという、散文にはない言葉さばきが、はっきり現れています。読者は、そのような言葉さばきを素直に受け止め、読むことを、この句においても求められています。

 このように、漢詩を読むことと俳句を読むことは、その姿勢において少しも変わるところはありません。(以下略)


 ともあった。ともあれ、例句として引用された作者のなかに、仲間の「豈」同人がおり、句のみになるが、以下に挙げておこう(鑑賞、読みの部分については、直接、本書にあたられたい)。


   友情の二階の壺は置かれけり      摂津幸彦(二階は異界)

   鬼灯やまだ濡れている人の声    なつははづき(鬼灯)

   髪として欲望の朝を洗いけり     高橋比呂子(倒置法)


 武馬久仁裕(ぶま・くにひろ) 1948年、愛知県生まれ。



   撮影・中西ひろ美「どんぐりが不作らしいの猫『知らん』」↑

2021年10月3日日曜日

久保純夫「間引菜のあとは棄民の始めかな」(『植物圖鑑』)・・・

 

  久保純夫第13句集『植物圖鑑』(儒艮の会)、その「あとがき」に、


 新型コロナウイルスの感染爆発が止まりません。二〇二一年八月三〇日の累計感染者数は一四七三一八二人。現在感染者数は二二七五二三人。新規感染者は一三六三六人となっています。(中略)

 この最中、僕は第一三句集『植物圖鑑』を出版します。外出も儘ならない中、植物に纏わる俳句を書き始めました。七月下旬のことです。従って、所収したのは全て、書下ろしの俳句となります。僕の俳句の作り方は単純明快です。例えば、経験の積み重ねー換言すれば「記憶」ーを核・根幹にして作句すること。その方法として、「もの」「こと」にまつわる記憶をさまざまな状況・情景に展開する、ということになります。つまり、この句集では植物というものから、さまざまな像を標榜、抽出しました。


 とある。ともあれ、花の名を依り代に連作された、およそ六百数句のなかから、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておきたい。


   木苺に隠れていたる皇紀かな      純夫

   マンゴーに火縄の匂う夕まぐれ

   端正なドリアンにして刺客なり

   おばあちゃんになれない妻と柿を食う

   橙と別に悪人正機説

   赤子には赤子の覚悟蕗の薹

   くらがりの独活騒ぎだすかくれんぼ

   蓴菜に繋がっている水子たち

   冬瓜の思いもかけぬ合せ技

   不審なる遺伝子治療唐辛子

   紅梅の夜の青空を遊ぶかな

   あるようでない昼顔のあるような

   定型のゆがんできたる龍の玉

   

 そして、同送されてきた「儒艮」第37号のなかの連載「回想録(十)」には、以下のように記されていた。思い起こせば、そういうこともあった。


  2013年4・28~5.3(金)東京行

 H西洋銀座5泊。Hに荷物を預けて、根津美術館へ。尾形光琳の燕子花屏風図などを見る。(中略)30(火)「文學の森」祝賀会。それに先立って行われた「文學の森賞」贈賞式に流美子の代理で出席。『さふらんさふらん』がその対象。流美子死しても思いを残してくれる。嬉しい。金子兜太、黒田杏子。筑紫磐井、四ッ谷龍、津川絵理子、山﨑十生、山口剛、などいろんな方に会えた。あと大井さんと宮﨑二健の店へ。鳥居真里子、中村裕さんらに会う。

   天地崩れてきたり杜若


 同誌同号の一人一句を以下に・・・。


  煉獄を漂うている通草かな      久保純夫

  人間は海から上がり朝ぐもり    藤井なお子

  藤万句はるかに生駒山霞み      曾根 毅

  炎昼の舌一枚を持て余す      近江満里子

  夏草の下は産業廃棄物        久保 彩

  原子炉にたっぷり漬けておいた桃  木村オサム

  小鳥来る視力検査のみぎひだり    志村宣子

  何回もボールをなくす花野かな    原 知子


  

★閑話休題・・・深見けん二「先生はいつもはるかや虚子忌来る」(山岡喜美子「うたをよむ 俳句の神に愛されて」朝日新聞10月3日朝刊より)・・


 朝日新聞10月3日付け「俳壇」の〈うたをよむ〉は、ふらんす堂社主・山岡喜美子の「 俳句の神に愛されて」であった。深見けん二は享年99,今月刊行予定の第10句集『もみの木』が上梓目前だったという。また、昨年6月、103歳にて長逝した後藤比奈夫「(ちまき)より酸素が好きで百三つ」、片や、17年前に夭折した田中裕明、この三人について記されている。その結びには、


 見事なまでに現役俳人として生をまっとうした二人の俳人、深見けん二と後藤比奈夫、その長生の俳人に私は一人の夭折俳人を重ねる。田中裕明。享年四十五。死後すでに十七年が経ったが、その作品は多くの若い俳人を魅了してやまない。

 爽やかに俳句の神に愛されて    

けん二。比奈夫。裕明。まことに俳句の神に愛された俳人たちだった。


 とあった。合掌。


    撮影・鈴木純一「枯れてゆく我が身にひしとしがみつき」↑