2022年6月28日火曜日

秦夕美「はらひてもつきくる影のごときもの沖縄はなほしぐれゐるのか」(「GA」89号)・・

 

 「GA」89号(編集発行人・秦夕美)、その「あとがき」には、


(前略)のんびり海を眺め、俳句を考える。孫が就職して、頭も心も財布も暇になった私は、性懲りもなく、また句集を出すことにした。漢字一字の句集は持っていない。いつも見ながら夢を追っている雲、校正その他を考えるとうんざりするが、今ならまだ出来そう。『雲』は軽く、フランス装でいこう。目標が決まると気持ちまでシャッキとする。来春の完成までは生きていられそう。

 表紙の葉はオドリコソウかな?雑草として抜く時、可愛いので使うことにした。


 とある。やっぱりね・・・。ここ数年、句集を出されるたんびに、これで最後だ、最後だとおっしゃっていたが、やはり、また出されるのですね。嬉しいことです。ということは、来春までは、愚生も生きていかねばならない。他に、エッセイ「八十代」には、


 (前略)うっかり、若い人に弱音でも吐けば、「平均寿命が延びたし、私のまわりの八十代の人はは元気ですよ」と返って来る。当たり前だ。元気な時しか人に会わないもの。人のいる時は見栄はって、シャキッとしているが、その後はグッタリ横になる。日常生活を何とか維持していくだけで、前には考えられなかったほどのエネルギーがいるからだ。

とあった。そして,もう一編「畳」。見開きページで「蕪村へ」の2編がある。ともあれ、本誌より、句と、短歌のいくつかを以下にあげておこう。


  木は立つて人は坐りてお正月

  どことなく罪の香ぞする鏡餅

  梳ること残したり冬椿

  白桃や遺伝のひとつ虚言癖

  あれは嘘躙り口より春の音

  ベルリンの壁の破片のあたゝか

  椿つばきキリマンジャロへいそぐ雲

  ミャンマーへふりつむ音符薄暑光

  あの世にも北京ダックのゐる夕焼

  徐々に徐々に治る手足も八十代誰のせいでもなくて老いゆく

  一本二本数へて草を抜きいたり頭の中が暇すぎるので

  元気でゐる時間短くなりゆけり水煮ることが今日の仕事か


      芽夢野うのき「あれは白露草いつもそこにある」↑

2022年6月25日土曜日

越智友亮「枇杷の花ふつうの未来だといいな」(『ふつうの未来』)・・


  越智友亮第一句集『ふつうの未来』(左右社)、序は、越智友亮がかねてより私淑と言いし池田澄子。その中に、


(前略) 地球よし蜜柑のへこみ具合よし

      冬の金魚家は安全だと思う

 折も折、大変な世の中になっている地球、「地球よし」と高らかに言祝がれ、その言祝ぎは「蜜柑のへこみ具合」への言祝ぎと同等に並べられている。その程度の、地球への「よし」だったのだ。この能天気と言ってしまいたい「よし」の単純ゆえ、地球の不確かさを手渡され、早々に私はどぎまぎした。また、「家は安全だ」と、単純にわざわざ告げることでの、「安全」という言葉が思わせる危うさに気付かされる。 (中略)

     ゆず湯の柚子つついて恋を今している

     雪もよい湯気のにおいのからだかな

これを書いていた頃、よく、どさっと俳句が届いたものだった。私は簡単に、いいわね、などとは言わなかった。ダメ出しを繰り返した。彼はめげなかった。「ゆず湯」の句は懐かしい。最初どういう句であったか覚えていないけれど、少なくとも三・四回は行ったり来たりして、曖昧なところを消し、意味が動かない、ここで決まった。その経緯を記すことが出来ないのが残念だけれど、彼は、ギブアップしなかった。  


 そして、著者「あとがき」の中には、


 (前略)序文を書いてくださった池田澄子さんに折に触れてさまざまなことを教えていただきました。「ゆず浮かべ父と政治の話かな」という作品を「ゆず湯の柚子つついて恋を今している」に推敲できたいくつかのやり取りは私のよき思い出です。心から感謝を申し上げます。(中略)

 これからも、誰にでもわかる平明な言葉で、ひとつひとつの言葉の働きお信じ、「今」を書きたいと思う。


 とあった。愚生が越智友亮に最初に会ったのは、偶然に、俳句文学館である。彼はまだ十代だったように思う。自己紹介で池田澄子に私淑していると言ったので、帰りに一時間ばかり、大久保駅前の喫茶店でお茶を飲んだ。そのことは、翌日には池田澄子に伝わっていて、失礼はなかったかしら・・、と心配気な様子の電話をいただいた。弟子というよりは、まさに親代わりのような厳しい愛情だったと思う。ともあれ、愚性好みに偏するが、集中より、いくつかの句を以下に挙げておこう。


   留守番つまらなし炬燵から出て歩く

   昭和に戦前戦中戦後蟬時雨

   すすきです、ところで月が出ていない

   草の実や女子とふつうに話せない

   あくびするひとのとなりも冬のくれ

   瓦礫に陽水仙に陽や生きめやも

   うたにしてことのはゆたかはるのみず

   逢うと抱きたし冬の林檎に蜜多し

   雲は夏Wi-Fiとんでない町に

   白玉や今が過ぎては今が来て

   虫しぐれ窓に格子の痛かろう

   最中は餡はみだし黄泉は永久の春

   黙食に酎ハイ薄し秋灯

   信号は夜を眠れず虫しぐれ


 越智友亮(おち・ゆうすけ) 1991年、広島市生まれ。 


 


      撮影・中西ひろ美「髪洗うあす何事もなけれども」↑

2022年6月24日金曜日

寺山修司「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」(『寺山修司の百首』)・・


 藤原龍一郎『寺山修司の百首』(歌人入門⑤・ふらんす堂)、その解説「歌人・寺山修司ー超新星の輝き」の冒頭に、


 かつて寺山修司はサブカルチャー・シーンのスーパースターであった。いや、サブカルチャーというより、正確にはカウンターカルチャー・シーンといった方がよいだろう。寺山修司の表現行為は、すべてのジャンルのメインストーリームに対する明確で意志的なカウンターであった。

 多彩なジャンルで活動する寺山修司に対して、インタビューに来た新聞記者が、こう尋ねた。

「寺山さん、あなたの職業は何ですか?」

すると寺山修司は顔色も変えずにこう答えた。

「私の職業は寺山修司はです。」  (中略)

 かつて寺山修司という多面的な表現者が存在した。その寺山は一九五四年に、まず、歌人として世に登場した。そして『空には本』から『田園に死す』までの単行歌集を上梓し、さらに未刊歌集を含む『寺山修司全歌集』刊行によって、現代短歌の世界に大きな刺激を与えた。超新星の爆発にも喩えるべき輝きだ。それは何度でも繰り返し確認されてよい。


 と記されている。集中の一首の解説をのみを以下に紹介し、他は短歌のみをいくつか挙げておきたい。


  テーブルの上の荒野をさむざむと見下すのみの劇の再会

「テーブルの上の荒野」の一首。何より「テーブルの上の荒野」というイメージが冴えている。再会した男と女がさむざむと見下すのみという場面設定もよい。何があったのか、これから何が起こるのか。読者の想像力はひたすら刺激される。

 この一連には「ここより他(ほか)の場所」を語れば叔父の眼にばうばうとして煙るシベリア」があり、帝政末期のロシアの荒涼たる光景も広がる。

 寺山修司の短歌としては、あまり語れないが、この倦んだ虚無感は、記憶されてよいのではないか。

 

  ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし

  雲雀の血すこしにじみしわがシャツに時経てもなおさみしき凱歌

  ラグビーの頬傷は野で癒ゆるべし自由をすでに怖じぬわれらに

  蝶とまる木の墓をわが背丈越ゆ父の思想も超えつつあらん

  一本の樫の木やさしそのなかに血は立ったまま眠れるものを

  麻薬中毒重婚不法所持サイコロ賭博われのブルース

  一本の馬のたてがみはさみおく彼の獄中日記のページ

  大工町寺町米町仏町老母買ふ町あらずやつばめよ

  売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき

  間引かれしゆゑに一生欠席する学校地獄のおとうとの椅子


 藤原龍一郎(ふじわら・りゅういちろう) 1952年、福岡県生まれ。



    撮影・鈴木純一「南天は難を転じるなんちゃって」↑

2022年6月20日月曜日

半澤登喜惠「『桔梗の水替えた』病室の白板に」(『耳寄せて』)・・

 

  半澤登喜惠第一句集『耳寄せて』(金雀枝舎)、序は今井聖、その中に、


 (前略)登喜惠作品には、従来の俳句にい生かされて来た嘘の正義や嘘の倫理観への信奉を恥ずかしく思い起こさせるような率直さが提起される。

  賞味期限無かりし頃の祭の夜

 祭や夜店を郷愁でしか詠えない俳人はこの句に違和感を覚えるかもしれない。どうしてもすべてを郷愁の中に包み込みたいから。夜店で食べたさまざまの食品の成分や衛生状態はどんなものであったのであろうか。(中略)

  父の日と気付くポンペイ遺跡の中

 「父の日」は登喜惠さんの父上のことを思ったのではあるまい。日頃「お父さん」と呼ぶ夫君のことを考えたのだ。何千年も前の遺跡の中で夫への祝意を感じている。

「お父さん、ありがとう。ご苦労さまと」。

 登喜惠さんは、自己を飾らずに実直に詠んできた。そこは今流行(はや)りの「凛」も「毅然」も「自然体」も見当たらない。ただ素朴にがむしゃらに生きて、そういう自己を赤裸々に詠んできた。

 そしてこれからもそうやって詠んでいくだろう。


 とあった。また、著者「あとがき」には、


  思えば六十歳で短歌に、七十歳で俳句に出合えたことは幸せなことでした。遅い出発ではありましたが、俳句は先の見えてきた私の人生の伴侶として余りあるものとなっています。


 とある。集名に因む句は、


   春暁や死にゆく人に耳寄せて


 である。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておきたい。


   秋の蝶麒麟の首を降りて来る

   黄葉す瘤のある木と洞のある木

   母の短歌父の俳狂夜長かな

   誕生も死も抱くマリア銀河澄む

   花疲れ硝子にガラス注意札

   戦中の少女は傘寿豆の花

   臨月で迎えし母の敗戦日

   あと二枚足りぬ補助券冬の雷

      阿修羅像

   三つの顔互ひに知らず春灯

   「一輛目に乗って居ります」鳥雲に

   ライトアップの棚田に百の夏の月

   昔庄屋のどこに坐るも隙間風


  半澤登喜惠(はんざわ・ときゑ) 1931年、愛知県瀬戸市生まれ。



        芽夢野うのき「回れ回れ矢車そう淋しさも」↑

2022年6月19日日曜日

樽谷俊彦「プラトンの春愁ほどけざる抱擁」(『風紋』)・・


  樽谷俊彦句集『風紋』(文學の森)、序は秋尾敏、その末尾に、


  一方で、俊彦さんの平和への思いが消えることもない。

    兜虫いくさ仕度が始まるぞ

    ゴスペルの遠くに戦場の冬

    闇深む二月の海やトリチウム

    八月の死者に付箋がついており

  九十歳を目前に、今なお俊彦さんは新しい表現を求め続けている。すばらしいことである。〈新しみは俳諧の花〉である。これからもその信念を曲げず、存分に俳句を楽しんでいただきたいと思う。


  とあった。また、著者「あとがき」には、


  物心ついた頃にはもう戦争が始まっていた。日支事変である。主要都市での戦勝を祝う提灯行列に加わった記憶が、今も鮮明に残っている。(中略)

 やがて我が町内に投下された爆弾により、店舗・倉庫・居宅が全壊。父親が下敷きになり一時は死亡と伝えられたが、九死に一生を得た。その報を受けて中学の担任(配属将校)に早退を願い出たが、「戦争中に親が死んだくらいでオタオタするな」と怒鳴られた。また、その頃、下校途中に敵機の機銃掃射を受け、わが身の死を意識する体験もした。(中略)

 顧みてわが人生のバックボーンは戦争体験。戦争に鍛えられ、戦争に教えられたが、戦争とは絶対避けなければならないものである。そのためには憲法九条を守り抜くこと。周辺には強い武力を背景に領土の現状変更を企てる国があり、軍拡競争が強まっていることは確かである。しかし、核戦力の使用が懸念される今、大戦に至れば悲惨な末路は避けられない。戦争を知らない政治家の中には、戦争ができる普通の国にしたいと願うものがいる。心配だ。わが国としては専守防衛に徹し、難しいことではあるが世界に対し、軍縮を呼びかけ続ける存在であってほしい。これが人類の英知。


 と記されている。そして、集名に因む句は、


  風紋を残して冬の月西へ


 である。「広大な砂漠に耿耿と冬の月、あちらこちらに美しい風紋が語りかけるように輝いていた。古代エジプトでは西は死後の国、そして再生が信じられていた」ともあった。ともあれ、愚性好みに偏するが、集中より、いくつかの句を挙げておこう。


      機上

  雲海の奈落シベリアの暗い河

  消えやらぬ地震の痕跡竹の秋

  炎昼の声玉音と呼ばれけり

  むきになり草抜いている原爆忌

  滝壺やこの世に生まれしときの音

  卑弥呼にも体臭あらむ蓮ひらく

  蛇になる少年蛇を飼う少女

  薔薇の血を入れ替えている真夏の夜

  一字ずつ伏せ字をおこす終戦日

  夕焼けの一皮剥けば闇である

  冬銀河世界地図には空がない

  見ぬ聞かぬ言わぬ若者鳥帰る

  秋深しいくさ知る人知らぬひと


 樽谷俊彦(たるたに・としひこ) 1932年、大阪市生まれ。



    芽夢野うのき「枇杷の家まだあかるさのほのと宇宙」↑

2022年6月17日金曜日

武藤幹「人混みに独りを創る日傘かな」(現代俳句協会「金曜教室」)・・


          


  本日6月17日(金)は、愚生が担当する現代俳句協会「金曜教室」の第1回目であった。今後一年間、第3金曜日の予定である。いつものことながら、最初の顔合わせ句会のときは、自己紹介俳句を即吟で一句、自身の名前を詠み込んで作っていただき、それを初めて会う方々の自己紹介に繋げている。当然ながら、愚生も下手な見本を「夏よ健康寿命平均を越えオオイツネユキ」として、提示した。愚生の予定では、当初、2句持ち寄りの互選はなかったが、参加には、当日2句持参とあって、素早く、協会の方々の清記の協力があって、急遽、互選を行うことにした。ただし、合評は無く、愚生の全句寸評で時間一杯を使った。互選をすれば、どうしても獲得点数が気になっしまうようで、タイトルにした句、「人混みに独りを創る日傘かな」が最高点を獲得した。ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。


  グラビアの少女流れる夏の川        川崎果連

  闇動かすか回廊の山棟蛇          久野康子

  万緑の中活き活きと老いるかな       村上直樹

  泣きにいくハンカチ持って芝居小屋     岩田残雪

  鍼灸師蘊蓄ぽろり汗ぽろり         宮川 夏

  肺活量増やし玟瑰咲いている        森須 蘭

  梅雨晴間三行半で書く葉書         鈴木砂紅

  言語野から堕ちて喃語を喋る朱夏      石川夏山

  夕立来てあつと言ふ間に我を消す      白石正人

  老いらくの恋五月雨を駆け抜ける      武藤 幹

  バラライカのなかも三角五月闇       林ひとみ

  梅雨の薔薇咆哮したきときのあり      山﨑百花

  クラゲバー水槽覗く妖しい目        杦森松一

  真っ直ぐに天仰ぐ君たちあおい       植木紀子

  参道の夜店に集い我忘れ          高辻敦子

  駅ピアノひと夏の恋吾もあり        多田一正


 次回7月15日(金)の宿題は、主義主張は別にして、無季の句を2句持ち寄りです。よろしく、お願いいたします。


     芽夢野うのき「仮面うつくし土曜の花は海紅豆」↑

2022年6月16日木曜日

杦森松一「焼き茄子の弾ける音に香飛ぶ」(府中市生涯学習センター「現代俳句」講座)・・

 



 府中市生涯学習センター春季講座「現代俳句」第5回(最終回)、事前に有志の方は、隣の府中市美術館・府中の森公園を散策して、ミニ吟行を試みられた。それで句会をした。

 終ってのち、短時間であったが、下のレストランでコーヒータイム。きすげ句会にも参加されるという方がいらした。さて、秋季講座「現代俳句」が開催されるかどうかは、いまのところ、まだ不明である。ともあれ、はじめて、特選も入れての句会だったが、以下に一人一句を挙げておきたい。句会風景の写真は撮り忘れてしまったのでご容赦下さい。


  あぢさゐの染めかはる毬雨催ひ         中田啓子

  青葉闇過去遡る古時計            久保田和代

  大渦をうがち龍となる桐古木          山川桂子

  新緑の間に間に青の囚われり          高野芳一

  雨あがる匂い誘われくちなしの花        井上芳子

  梅雨晴れや人の歩みもせわしなく       泰地美智子

  捩じられて捩じれしままの捩じ花よ       寺地千穂

  やっとここまだ行く気なの?雲の峰       濱 筆治

  かるがもがわがもの顔のビデオトープ      清水正之

  かるの子の五羽が育つや池狭し        壬生みつ子

  一二三四五(ひふみよい)紫陽花の青数へけり  井上治男

  ぎゅうぎゅうと我が物顔に七変化        杦森松一

  梅雨晴れ間「おかえりやさしき明治」展     大井恒行


では、皆さん、縁があったまたお会いしましょう。それまで、お身体大切に・・・。



     撮影・芽夢野うのき「駆け出してみよその闇を鴨足草」↑

2022年6月14日火曜日

宮本佳世乃「桜餅ひとりにひとつづつ心臓」(「オルガン」28号より)・・

 

 「オルガン」28号(編集 宮本佳世乃/発行 鴇田智哉)、特集ともいうべき座談会「オルガンを解くー宮本佳世乃」。最初の小見出しに「言葉に何かを付けることが俳句だと思っていた」とあり、そこには、


宮本 (前略)私の俳句の作り方は、季語プラス十二音、もしくは五音プラス季語を含む十二音でした。今だから言いますけど、俳句を始めて二年くらいまでは、ある決まった言葉に何かを付けることが俳句だと思っていたんです。(中略)

田島 鴇田さんは〈くちなはに横のありたり流れたる〉はどう読みますか。

鴇田 「ありたり」の終止形ではっきり切れ、語形上は二句一章ですよね。で、「流れたり」は意味として「くちなは」の流れとも、時間や宇宙が流れているともとれる。もちろん水とも取れるけれど、「くちなは」の本質としての「流れ」そのものみたいな感じでも受け取れます。さっき田島さんが言った「二句一章の片方が欠けたような感じ」にあてはまるかも。

田島 明らかに書かれていないことがあって。それをどう読むかですね。

鴇田 明らかに遠い二つが「衝撃」的にぶつかるのではなく、二つが遠いか近いか分からないような感じで、欠如を含みつつ合わさる感じか。(中略)

宮本 私にとっては、俳句を作ることが壁を積み上げていくようなものなんです。ちらっと見える部分もありながら、積み上げていった壁は自分を護る手段なわけです。ああ、もう、こんなこと初めて言いましたよ~(笑)。


 とあった。他に、「オルガン・連句興行 巻拾弐」があり、捌きは、浅沼璞(曳尾庵〔えいりあん〕 璞)の「転合留書(てんがうとめがき)がある。ここでは、その連句の「オン座六句『巣箱の穴』の巻」の冒頭表6句と、同誌同号よりの一人一句を挙げておこう。


  対岸を巣箱の穴の見とほせり     鴇田智哉

   春やとばしる泥のキャタピラ    浅沼 璞

  うたごゑの劇中劇をどかどかと    宮本佳世乃

   仕草ひとつで笑ひにもする     福田若之

  あやつりの糸に雫の垂れて月     田島健一

   茶立虫ともつかぬ古ㇸ         智哉


  黒ぐろと雨脚のあり春の海      宮本佳世乃

  春の葉うつろ戦争の皿にのる      田島健一

  亡命やあまねく映る石鹸玉       鴇田智哉

  折れ曲がるあるいは冴え返る光     福田若之 



夢芽野うのき「漂流のほたる袋と手を繋ぐ」↑

2022年6月12日日曜日

永井江美子「苦渋なる詩歌の言葉蟬しぐれ」(『風韻抄』)・・


  永井江美子第3句集『風韻抄』(東京四季出版)、跋は千葉ひろみ「『風韻抄』に寄せて」、千葉ひろみは永井江美子の妹、そのなかに、


 庭に古い」銀杏の木のあった生家で、血のつながらない祖父母との貧しい暮らしは、私にとって心の奥底にふたをして遠ざけてきた暗い記憶であった。


  火の匂ふ家かぎろひて父と母

  秋天を掴み風樹となりにけり


 ご飯も釜で炊き、火鉢で暖をとっていた景が表出してくると、不思議なことに私には難解で理解がおぼつかなかった句も、句集の中でひびき合って何やらカタルシスのように感受されてくるのだった。

 私にとっての『風韻抄』は、姉妹という縁で互いに長い歳月を生きてきて、明日おわるかもしれないという一抹の寂しさを含んだ実りであった。


 とあり、著者「あとがき」には、


 第二句集のあとがきに「この世で送るべき人すべてを送った」と感慨を書き、これからは俳句という道連れと共に、如何に自分自身を送るかという思いで、句を綴ってきた十一年であった。それは充実した時間ではあったが、予期しない悲しみもあった。

 一緒に俳句形式に抗いながら同人誌を続けて行こうと言っていた仲間たち、白木忠、中烏健二、水谷康隆、そそてこの度、佐々木敏を黄泉に送った。彼らは私が送るべき人ではない。只々痛恨の極みであった。この句集に「死」の影が多いのはそんな彼らへの挽歌かも知れない。


 とあった。そうか、佐々木敏まで逝ったのか。合掌。愚生は、この「あとがき」を読むまでは知らなかった。小川双々子門下の俊英ばかりだ。かつて、坪内稔典らとともに、名古屋で「現代俳句」のシンポジウムを行ったとき以来、双々子はじめ「地表」の皆さんには恩義がある。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておきたい。


  ほうたるやすこし濡れたる身八口      江美子

  かぎろひの身のをちこちのまくらがり

  あぢさゐや父にかなしきひとところ

  いきものの翳を映せりあめんぼう

  花奪(はなばひ)の花あざやかに美濃は雪

  女から男へ渡す南風

  晩夏背に明日死ぬ人の澄んでをり

  はくれんにきのふの影ののこりけり

  銀漢に洗ふおよびのひとつひとつ

  見下せばここも他郷や冬木立

  ひやくにちさう百一日を越え生きむ

  月の座のこのしづけさのことばかな

  

 永井江美子(ながい・えみこ) 昭和23年、愛知県西尾市生まれ。



   撮影・中西ひろ美「絵に描いた金魚ほど待つものはなし」↑

2022年6月11日土曜日

平岡直子「いい水は人が飛び込んだら消える」(『Ladies and』)・・


  平岡直子川柳句集『Ladies and』(左右社)、その帯の惹句に、


白鳥のように流血しています

わたしにとって、

男性社会にチェックインする

という手続きを踏まずに

使える言葉の置き場がひとつだけある。

それが現代川柳であるー

異才の歌人として知られる
著者の傑作句集が、ここに誕生。


 とあった。栞文は榊陽子「平岡直子の変」、なかはられいこ「笑いながら、海へ」。その榊陽子は、


 (前略)平岡さんの句を見てみると、〈白鳥のように流血しています〉の景と言葉のズレによる美しい仕打ち、〈償いのような長さのパスワード〉の救いようのない現実への無力感、と、かなりの割合で成功している。


 と記し、なかはられいこは、  


 Ladies and どうして gentleman

句集のタイトルになった一句だ。Ladies and の「ど」からしりとりのように「どうして」がこぼれ出る。それが音になった瞬間、「どうして」がはじめて世界に現出するのだ。意識下にあったざらっとした感触がぷくっと浮かび上がる。分断されたgentlemanを宙づりにしたままで。一句をあらかじめ決まった場所に着地させないこと。異和を異和として持ち続けること。そのために「どうして」を編みこんで平岡の川柳は読者に手渡される。


 と記している。また、著者「あとがき」には、


 わたしが川柳について知っているのは、川柳とはじぶんの主人をあきらかにせず発話できる唯一の詩形だということだ。ここは「どんな言い方をしてもいい」と許されている場所だ。

 川柳はさまざまな誤解に晒されているが、歌人として川柳に出会い、驚き、夢中になったわたしには、川柳がときどきどうしても短歌の美しい死骸に見える。短歌から〈私〉を差し引いて詩情だけを残したような、そういう夢のようなものにみえてしまう。


 とあった。ともあれ、門外漢の愚生には、よくは分からないながら、好みだと思えた句をいくつか挙げておこう。


  鬼だとは知らずに握らされていた       

  月蝕のような美貌が欠けている

  ライオンを常温保存する危険

  右胸のあなたが放火したあたり

  息を吹きかけてもほほえまない卵

  すぐ来て、と水道水が呼んでいる

  廃墟ではつい笑いだす歯を叱る

  夏服はほとんど海だからおいで

  心ではいつも砂糖を舐めている

  星条旗専用空気清浄機

  延長コードの範囲であれば初詣

  蒟蒻に誘い文句が書いてある

  次の戦車をお待ちください

  火葬場だものすぐに乾くわ

  耳のなか暗いねこれはお祝いね


 平岡直子(ひらおか・なおこ) 1984年、神奈川県生まれ、長野県育ち。



撮影・芽夢野うのき「あれも紫陽花これもアジサイみなアリバイ」↑

2022年6月10日金曜日

栗林浩「玉砕忌風立つさたうきび畑」(『SMALL ISSUE』)・・


  栗林浩第2句集『SMALL ISSUE』(本阿弥書店)、著者「あとがき」に、


  私の第二句集です。(中略)短期間での句集ですので編年体ではなく、モチーフごとに並べ、読みに資するような小文をいれました。しかし、本来、俳句作品は自由に読んで戴くのが筋ですので、どうぞ自由にお読み戴きたく思います。

 句集名は〈着膨れて立売の手に「BIG ISSUE」〉に因みましたが、「BIG 」よりも「SMALL」が相応しいと考え、そういたしました。したがって句集サイズも小さく致しました。


 とある。各章立ての小文・献辞を二つ紹介しておくと、


 一、社会現象  一人の人間、ひとつの生物としての自分という小さな存在にたちかえり、そこから改めて時代の基底と切り結ぶほかはないだろう。/坪内稔典

 六、いのち  すでに生きてきたほうの人生が、つまり下書きであって、もう一つのほうが清書だったらねぇ。/チェーホフ

                   

 である。ともあれ、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておきたい。


  「塩」よりも「鹽」の字辛し魚醤(うおひしお)  浩 

  おつぱいのかたちの山の焼かれけり

  十国の七国見えず濃あぢさゐ

  姿見を曲がり損ねし冬の蠅    

  夢道忌や煙の出ないたばこ買ふ

  たましひはしろはなねむのひとよはな

  乗りくるに親子もあらむ茄子の馬

  点と点つなげば生るる大文字

  冷まじや天向くままのデスマスク

  国光(こつこう)とふ滅びしものの堅さかな

  「雪の降る街」に生まれて雪嫌ひ

  今年また柱の増ゆる原爆忌

  右利きは右手を汚し梅を干す

  手の甲は手の平よりも冷たくて

  鳥の恋手札五枚がみなハート

  じやがたらのおはるむらさきじやからんだ

  吐魯番(トルファン)に行きたし水辺には小鳥 


 栗林浩(くりばやし・ひろし) 昭和13年、北海道生まれ。

  


      撮影・鈴木純一「ひとまずは息をととのえ捩の花」↑

2022年6月9日木曜日

杦森松一「朝焼けの凪に旗揺れ帰漁かな」(第6回きすげ句会)・・

             

            山川桂子摘みて持参の「八重の十薬」↑  


  本日6月9日は、第6回きすげ句会(於:府中市中央文化センター)だった。「きすげ句会第一集」という瀟洒な手作り冊子を作ってきてくれた(上掲写真)。テーマは「私の好きな句」で、句とエッセイが添えてある。それには、


 きすげ句会の名称は、生涯学習センターの俳句講座から句会を立ち上げた際、センターの傍にある浅間山公園のムサシノキスゲが名称に相応しいとのことで決まりました。


とあり、後記らしい最終ページには、


  人生にはたくさんの出会いがある

  そして 運命を変える俳句がある

この企画は、大庭久美子さんが「句会を始めた時、皆さんに好きな句を出してもらっては」との提案で始まった。(中略)今思うと、今まで俳句等の文芸には全くと言っていいほど縁がない自分に、言葉と文字で表現するコミュニケーション方法の良さを実感しました。このような出会いに感謝します。(文・杦森松一)


 とあった。本日は、雑詠2句+兼題「短夜」1句出し。ともあれ、一人一句を以下に挙げておきたい。


     未明の川で鰻捕る

  短夜明けうなぎの髭の寝ぼけ顔       濱 筆治

  紫陽花や心の底の水溜り       久保田和代

  皮を干し池のほとりに泳ぐ蛇     大庭久美子

  短夜や夢の続きは次の夜に       井上芳子

  短夜や八日目の蟬命惜し        清水正之

  炎天下犬は鼻づら舐めており      井上治男

  初燕巣作りの家慶事あり       壬生みつ子

  日盛りや雀ら影を連れ歩く       山川桂子

  ふらり来てどこを刺そうか初蚊かな   寺地千穂

  短夜や細波数え子守歌         杦森松一

  短夜の魔王が来たる木々騒ぐ      大井恒行


 次回は、7月14日(木)於:府中市生涯学習センター、兼題は「海」。3句持ち寄り。



     撮影・中西ひろ美「芒種かな祈ることしかできなくて」↑

2022年6月7日火曜日

金澤ひろあき「十二月八日なんとこわれやすい卵」(「原点」No.10 )・・


  「原点」No10(口語俳句振興会会報)の特集「第4回口語俳句 作品大賞記念顕彰 記念(誌上)俳句大会」(主催・口語俳句振興会/後援・現代俳句協会)、記念誌上講演は秋尾敏「俳句史を見直す、ということ」、谷口慎也「口語俳句の行方」。その他、森須蘭「作品大賞・受賞のことば」、田中信克「進行形の俳句の魅力ー『木のベンチ』と『深海魚』、久光良一と月波与生「奨励賞・受賞のことば」、田中陽「口語俳句振興会の一年・“多様性“実践」など。そのなかで、秋尾敏が貴重な発言をしているので、部分だが紹介しておきたい。


 (前略)では、この「俳句」という言葉は、いつから使われていたのかというと、すでに元禄江戸時代に其角が使っています。そしてそれ以降も、江戸時代を通して使われています。

 江戸時代の「俳句」は、多くの場合、発句だけでなくて、俳諧全体を指し示す言葉でした。おそらく初めは、漢文で俳諧を言い表すときの用語だったのだと思います。漢文で「俳諧」と言ったら滑稽という意味にしかなりません。俳句なら俳の句とすぐわかります。

 ということは、今でいう連句が俳句だったわけですから、そこには「雑の句」も含まれることになります。「雑の句」というのは季語を含まない無季の句です。

 現在の常識では、「俳句」は発句から生まれたことになっています。しかし、明治の初期までは、「俳句」は俳諧という文芸の全体を指し示す言葉だったわけですから、その伝統をも踏まえるとすれば、「俳句」に無季の句が混じっていても何の不思議もありません。(中略)

 まして、秋桜子とプロレタリア文学系の俳句をまとめて「新興俳句」とくくることには到底賛成できません。これについては、青木亮人氏が二つに分けて考えることを提唱されていますが、私もその見方に賛成します。(中略)

 なぜなら、一般の文学史における新興文学派というくくりが、反プロレタリア文学の潮流だからです。俳句史だけが、プロレタリア文学を新興俳句にくくるというのは、文学史に混乱をもたらすと思います。

 

と記されている。これ以上は、史実を踏まえた指摘も多く、興味のある方は、直接あたられたい。ともあれ、以下には誌上俳句大会の各選者による特選の句と第4回口語俳句作品大賞の中から、句を紹介しておきたい。


  山眠る どこもかしこもマスクの街       鈴木喜夫

  落葉が舞ってもっとたくさん笑えばよかった   鈴木瑞穂

  戦争はしない日本の朝へ雛飾る        北村眞貴子

  昭和という長編だった凩           北邑あぶみ

  十二月八日なんとこわれやすい卵      金澤ひろあき

  葱きざむ世界で私だけの音           中道量子

  老いるとは童心にかえること秋桜        暉俊康端

  柱時計のような親父が少なくなった日本の初春  暉俊康端

  何にでも合う白シャツか脱ぎ捨てる      瀬戸優理子

  あめんぼう明日はいつも目分量         森須 蘭

  正論の無力がわたしの中で煮こごっている    久光良一

  出入口にあるきれいな汚物入れ         月波与生

  エ―ンヤコラ蟻の一揆がはじまるぞ       冨田 潤

  

 

★・・第五回口語俳句 作品大賞募集・・

・募集作品 20句(1篇)2020年以降現在までの作品。既発表・未発表を問わない

・参加資格 制限なし

・締め切り 2022年9月20日(火)

・参加費用 2000円。句稿に同封または郵便振替(00870-8ー11023 口語俳句協会)

・送稿要領 B4・400字原稿用紙1枚に書く(ワープロ可)

・右欄外に表題を書き、20句(そのままが選にまわります)。別の200字原稿用紙に表題・作者名・所属(なければ無し)・郵便番号・住所・電話番号を明記。

・送り先 422-8045 静岡市駿河区西島912-16 萩山栄一方 口語俳句振興会 事務局。電話FAX 054-281-3388

・選考委員 秋尾敏・安西篤・飯田史朗・大井恒行・岸本マチ子・谷口慎也・前田弘 他旧「口語俳句協会賞選考委員及び「現代俳句」編集長。

・主催 口語俳句振興会 後援・現代俳句協会



   撮影・芽夢野うのき「ある朝こんなに淋しくて海芋の白」↑

2022年6月6日月曜日

志賀康「声になる言葉なけれど山葡萄」(「LOTUS」第50号)・・


 「LOTUS」第50号(LOTUSの会)、特集は、第50号特別企画の「LOTUS 50句シュンポシオン」。いわば、各自50句の作品特集である。志賀康の「巻頭随筆」には、


 (前略)俳人の挑戦の意味は、作句の行為そのもののもつダイナミズムやインパクトの追究にある。私はそれを「俳句作品行為」と呼んで論じてきた。

 作品行為のインパクトとは、言い換えれば未知のものとの遭遇であり、そのたびごとの新しい経験のことだ。新しい経験が欲しいばっかりに、俳句を作ってきたというのが正直なところだ。(中略)

 これは私の個人的な感想なのだが、「LOTUS」に限らずほかの俳句同人誌を含めて、どうも全体として内向きの集団になってきているような気がする。内向きというのは、たとえば同人の作品特集や句集評が多い(これには私も恩恵に浴したのだが)とか、自己の俳句論の開陳が少なく過去の俳人の主張を跡付けるエッセイが多いとか、全体に批判が抑えられて相互承認の姿勢が目立つ、というようなことだ。


 と、記されている。ともあれ、その句作品の中から、各同人の一句を紹介しておきたい。


  冬霧や山巻きもどる裾野より       丑丸敬史

  廃園の砂場星夜に光りだす        奥 山人

  糞ころがしの何処までが暮秋       小野初江

  石榴割るために一雷を賜りし       表健太郎

  姥巫女と鬼やまぐわう火のなだり     九堂夜想

  手の灰を吹く 人は橋のように朽ち    熊谷陽一

  言の葉の最後ももいろしぐれして     三枝桂子

  

  擾乱の

  この人を見よ

  花を見よ   (二〇〇五・一)    酒巻英一郎


  百代草大地思わず振り返り        志賀 康

  澄みきっている春水の傷口めく      曾根 毅

  みちゆきのはなびらゆきのみちのくの  高橋比呂子

  雪の午後にも痣がある          古田嘉彦

  風の音(と)の遠きうつつや肩ぐるま   松本光雄 

  ケロイドの誰のものでもない残響     無時空映 


               

      撮影・中西ひろ美「ざあざあと袋の外の世界かな」↑

2022年6月3日金曜日

稲畑汀子「虹立ちて空に方角生れけり」(『稲畑汀子俳句集成』)・・


 『稲畑汀子俳句集成』(朔出版)、帯の惹句に、


 伝統俳句を牽引し、全身全霊を俳句に捧げた稲畑汀子。八十年に及ぶ句業の集大成!

 祖父高浜虚子と父高浜年尾に学び、「ホトトギス」主宰を継承した汀子。人間も自然の一部として詠み、現代の花鳥諷詠を実践、俳句を「共生の文学」へと深めた。既刊七句集に未刊句集『風の庭』を加え、作品五三九八句を収録。本書は、これからの伝統俳句の大いなる道標である。

慈愛と明るさに満ちた天衣無縫の俳人。


 とある。句集解題は岩岡中正、稲畑汀子年譜は小林祐代編、汀子生前にまとめられていたので「著者あとがき」は稲畑汀子。栞文は、宇多喜代子「器量人 汀子さん」、大輪靖宏「花鳥諷詠の中興者なる汀子先生」、長谷川櫂「𠮷野の桜」、星野椿「昼霞」。その星野椿は、結びに、


    六甲に触れし雲あり風花す   平14

 六甲の昼霞が汀子を隠してしまったに違いない。

 お墓は西宮にあるという。またいつか、お墓参りに行きたいと思う。

 鎌倉に帰宅してから涙が止まらない。

 「そう悲しまないでよ、しっかり頼むわよ。」

 そういって微笑んでいる汀子の声が聴こえる。


 と記している。そういえば、かつて、金子兜太と稲畑汀子のある雑誌の正月号用の対談に立ち会ったことがある。兜太が下ネタふうのことをしゃべると、だから品がないというのよ・・、と答えられていたことや、笑いながら兜太と仲良くされていたことや、ご子息の稲畑廣太郎のことを話されたときの、笑顔が思い出される。ご冥福を祈る。ともあれ、ここでは、未刊句集『風の庭』から、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておきたい。


  わが生活一人に馴れて春隣       汀子

  不安なき日は何時のこと下萌に

  復興の遅速三寒四温かな

  我家その未明に焼けぬ原爆忌

      蜻蛉に影なき高さあることを

    悼 武原はん様

  雪を舞ひ月を舞ひ鶴帰りけり

  虹消えてゆく消えてゆく誰もゐず

  ともかくも掃く今日までの落葉かな

  子規の心虚子の心や秋彼岸

  軍艦も遊船も波つゞきかな

  被災地の野山の錦崩れしと

  言ふよりは言はざることのうそ寒し

     虚子忌

  五十年花の忌日を重ね来て

  元気かと問はれ元気といふ残暑

  日本橋生まれの母に震災忌


 稲畑汀子(いなはた・ていこ) 1931年1月8日~2022年2月27日、享年91.横浜市本牧生まれ。



★閑話休題・・「異形のヴァンダーカンマ―」2022年6月3日~6月9日(木)、於:Bunkamura Box Gaiiary(渋谷区道玄坂2-24-1)・・

         ー13名のアーテイストによる驚異の部屋ー
愛実・有賀眞澄・上原浩子・江本創・木村龍・櫻井結祈子・塩澤宏信・髙嶋秀男・トレヴァ―・ブラウン・林美登利・hippie coco・マンタム・横倉裕司

 俳誌「未定」同人時代からの交遊がある有賀眞澄からの案内で、いつもなら出かけていくところだが、愚生の私的事情が許さず、その案内をここに挙げ、皆さんへの案内としたい。

    撮影・芽夢野うのき「夢こそ此岸川のほとりの夕化粧」↑