2014年1月7日火曜日
句碑あれこれ
人日の前日、神田明神に、商売繁盛祈願の会社役員らしき人とその一団のサラリーマン諸氏でごった返す中をお参りしようと思ったが、正面から参拝するのをあきらめて、いつものことながら、すぐに裏口を探す悪い癖がでて、やっと辿り着いた所に立っていたのが次ぎの句碑である。
山茶花の散るや己の影の中 筲人
阿部筲人(あべ・しょうじん)だ・・と思った。筲人は三省堂に勤めていたから、神田は縁が深かろう。戦後は「好日」を主宰した。
若葉すやなだれ来る世をみるばかり 筲人(昭和21年)
かつて筲人著『俳句ー四号目からの出発』(文一総合出版)を読んだ。俳句入門書とはいえ一線を画した内容、今は、講談社学芸文庫で入手できる。
富士山頂上を十合目にたとえ、俳壇の頂上には大天狗作家がα数でんと坐って、九号目のβ数の中天狗作家がならび、五合目、四合目には無数の木っ葉天狗が押し合いへしあいという毒舌もさることながら、ともかく裾野からではなく、木っ葉天狗に仲間入りする方法を教えよう、つまり、四合目から出発しろというもの。
ありとあらゆる俳句で、してはいけないことが、例句15万句をもって語られる。
真の伝統俳句?を志すには必読の書である。
ぼくの読んだ昔の版にはなかったが、学術文庫場版には向井敏の解説「日本人の発想の根をあばく」の孫引きになるが谷沢永一は、「本書は有名な『紋切り型辞典』の始めて出来た日本版、日本人の誰もが無意識のうちに陥る月並表現の恐るべき均一性を、最も具体的にあばき立てる事に成功した稀代の名著であり、日本語論および日本人論をめぐる第一級の文献となっている」と記す。
それでも、筲人死後、加藤楸邨の選による『阿部筲人句集』をして「実作者としての阿部筲人は残念ながらついに一家の風を定めるに至らなかったといわなくてはならない」と述べられている。
と・・・思いをめぐらしながら、ついに正面からの参拝をあきらめ、背後から、しかも遠くで二拍手をして、ふたたぶ裏口の階段を下りたのだった。
いくつかの句碑と題した以上、もう少し紹介しようと思う。正月5日の雑煮も少し飽きたといってシラス丼でも食いたいというので、江ノ島へ。まずは俳聖・芭蕉に敬意を表して、
疑ふな潮の花も浦の春 芭蕉
この句はここで詠まれたのではなく、三重は二見が浦作らしい。
次ぎは地元藤沢の俳人・永瀬覇天朗、
桟橋に波戦へる時雨かな 覇天朗
金亀楼別館・江の島館主人・福島漁村、
貝がらも桜の名あり島の春 漁村
最後に江島神社の宮司だった青木蒼悟、
夏富士や晩籟を鎮しむる 蒼悟
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