2014年2月10日月曜日
最年長35歳、最年少14歳、平均28歳・・・
「『われ未だ定まらぬ』羞恥と誇りを抱く若き俳人によって、この『未定』は出発する」、「ともかくも『未定』が、ごくらくとんぼの集団ではなく、不屈の創造精神と批評精神の持ち主の相互形成する場であり続けるために、奮起しよう」と編集後記に記したのは夏石番矢。
「この『未定』に集まりたるもの、12月末現在で二十二名。最年長三十五歳、最年少十五歳、平均二十八歳」と記したのは澤好摩。創刊号は1978年12月10日発行。700円。
編集人・夏石番矢、発行人は澤好摩。表紙カットは夏石番矢。
季刊誌として出発し創刊号の特集は「戦無派世代の今日」。特集の論は、4名、跡部祐三郎「方法論の行方」、夏石番矢「一戦無派俳人の今日観」、横山康夫「〈提燈を遠くもちゆきて〉と幻想し」、米本元作。評論に澤好摩「鈴木六林男ノート②」。
最年長35歳は覚えていないが、最年少15歳は水島直之だったということと、今は俳句を辞めている(と思う)米元元作は八木三日女の子息で東大将棋部?だったような・・・(愚生の記憶違いかもしれないが、何しろ36年まえのことだから・・)。
「未定」はその後、宇多喜代子、池田澄子、高屋窓秋を同人に迎えたこともあるが、現在は高原耕治発行人で、多行形式の俳誌として持続されいるものの、創刊同人は一人もいない。
とりあえず、攝津幸彦の名句もあるので、創刊同人一人一句を挙げておこう。
風の日の野川か葱の絵を投げよ 大森澄夫
抽象へひつじは行けり息消して しょうり大
麦秋の少年に繭送らなむ 林 桂
あらざらむこの世のほかを夏の暮 藤原月彦
遠景にてちからすこしの校塔よ 水島直之
出口なき平野に春の男立つ 武馬久仁裕
雪地獄電球爆すかも知れぬ 跡部祐三郎
北さしていかづちの丘ぬけられず 加藤路春
金曜の日向に赤き貝の舌 葛城綾呂
炎天の雲間から父降りてくる 佐藤弘明
ピストルを極彩色の天へ撃つ 澤 好摩
昼顔の前方三里大津波 志水のりお
太古よりあゝ背後よりレエン・コオト 攝津幸彦
天井裏をはんみょうが飛び父眠る 夏石番矢
戦艦の上空絶対零度かな 橋口 等
半鐘が湖面に触るる二十五時 比田義敬
潮騒に裸体を盗られゐたりけり 諸角和彦
日の沼を淋しき首のむらがれり 矢上新八
天命といへど水母は泳ぐなり 横山康夫
山羊よりも痩せてわたしが水の上 米元元作
されど雨されど暗緑 竹に降る 大井恒行
*流ひさし(作論ともなし)
攝津幸彦も「未定」創刊同人であったが、当時すでに「日時計」「黄金海岸」の後に続く同人誌を構想中であり、澤好摩に新雑誌創刊のときは「未定」を退会することになるがいいか、と、事前に分かり合っての同人参加であった。「未定」発刊後およそ、一年を経て「豈」は創刊されたのだった。従って「豈」創刊当時は、愚生は「未定」「豈」の双方に同人参加していた。
一方、坪内稔典は第二次「日時計」の終刊(1974、冬、2月)後、「現代俳句」(ぬ書房)の発刊、各地での現代俳句シンポジウムを開催することを構想していた。
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