2014年2月22日土曜日
《そして、》・・・
20年ほど前、ちょっと変わった冊子があった。
東京から仙台に引っ越した橋本七尾子が「小熊座」の佐藤きみこ、高野ムツオと仲良くなって、発行所を佐藤きみこ宅において、その都度「題」を与えて締め切り日までに送稿するというものであった(題は発行人の輪番で出題)。ほぼ隔月のペースで発行されたように記憶している。発行人は便宜上池田澄子・大井恒行・佐藤きみこ・高野ムツオ・橋本七尾子が務めたが、愚生は名前だけで何もしていない。
表紙絵などデザインは、確か渡辺誠一郎がやっていたように思う(もしかしたら、実務全般も?)。
締切を過ると自動的に句はボツになっていたので、攝津幸彦や愚生は、とにかく打坐即刻を地でいくように、締め切り直前に、かの山川蝉夫(髙柳重信の別号)の例にならって、5分以上は考えないと嘯きながら、句ができると、すぐに投函していた。
「《そして、》-1」(1993.3)のお題は「鶏」、「《そして、》-2」のお題は「日本」。
「《そして、》-1」の「あとがき」に、橋本七尾子が以下のよう記している。
(前略)、固まらず、人と人をつなぐ接続詞の役割をつとめられればーというのがささやか な句集の願いである。
立場の違やその距離のために同席する可能性の薄い人たちだが、たとえ紙上とはい え、一つの主題で発想と表現の多様さを競い、また楽しんでいただきたい。「誰もいなく なる」までのしばらくの間を。
《そして、》は、1996年12月に「悼」の題で「追悼 攝津幸彦」を出して終った。寄せられた追悼句は78名。もっとも厚い26ページ。「あとがき」は高野ムツオがしたためた。
仙台に住む「そして」のメンバーのうち四人が、久しぶりに会したのは土井晩翠顕彰の 催しがあった十月十九日、攝津幸彦の初七日のことである。(中略)誰からとなく、話題は 攝津幸彦の死に及び、これもまた誰が言い出すともなく悼句集を出そうという話しになっ た。(中略)、この薄っぺらな紙の供養塔が、集まった人々の彼の俳句への熱い思いを伝 えてくれることと信じる。攝津幸彦よ、永遠に安らかに眠れ。
《そして、Ⅳー5》に攝津幸彦は遺稿ともいうべき句を、「平成八年九月二十日の私」と題して5句を投稿していた。
機関車の日の丸日の丸勝ちうさぎ 幸彦
糸電話古人の秋につながりぬ
はいくほくはいかい鉛の蝸牛
祭笛今宵ゆふべの洗ひ髪
オマージュにタルタルソースの夜の秋
創刊「《そして、》-1」の一人一句を以下に挙げておこう(25名)。
ソプラノの鶏育てたし氷割る 赤松の里恵
月光や」ねぐらの鶏が声洩らす 淺沼眞規子
にはとりへ白黒映画の手が伸びる 此口蓉子
鳴きつれる鶏の思いを考える 池田澄子
明けない春の 銀糸の鶏のぬいぐるみ 大井恒行
絵の島で鶏と契ってをりました 荻原久美子
鶏鳴いてころんだままの雪だるま 五島高資
初夢に母いて鶏を股ばさみ 佐藤きみこ
うそ寒き手に包む火の玉子かな 鈴木修一
少彦名を呼べば鶏ふりむきぬ 鈴木紀子
遺失物に鶏小屋の冬の暮 高野ムツオ
鶏冠太るかすみの家に棲みついて 田尻睦子
初湯して江戸の鴉もオノマトペ 筑紫磐井
ゆるい靴長鳴鶏を鳴かしめよ 永末恵子
鶏鳴に田螺の蓋をちょと開く 中原道夫
眠りてはなお押し合いぬ春の鶏 橋本七尾子
砂月夜ひとりに帰りねむる鶏 原久仁子
冬の断崖蹴爪に光満ちてゆく 深町一夫
ゆふかすみにはとりの声はりつきぬ 冬野 虹
着膨れてなんだかめんどりの気分 正木ゆう子
短日やふくみ笑いのにわとり来 増田まさみ
尻おもく飛ぶにはとりよ夏の暮 山内将史
きさらぎをかき回している軍鶏の足 山本敏倖
鳥の目を洗ふかどには春来たる 渡辺誠一郎
鶏小屋への招待受ける春の闇 渡部陽子
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