2014年3月21日金曜日
テーマは戦中、終戦直後の俳句・・・
樽見博著『戦争俳句と俳人たち』は労作である。当時の原資料がふんだんである。
「あとがき」によると「日本古書通信」編集の仕事をされているらしいから、確かに資料収集という面では、お手の物というところなのかも知れない。しかし、もし古本を家業とされていたのであれば、それゆえ儲けのチャンスを逸することもあったはずでは・・。
それでも、当時の資料を手にするには、あらゆる手だてと時間、資金を必要としたに違いない。
まずは、それらのたゆまぬ努力に敬意を表したい。
いわば、俳句史にとって戦中は空白期間である。戦火によって灰燼に帰した資料も多いし、まして、戦時色にひたされたすべてを記憶の底に閉じ込めておきたいか、もしくは放擲してしまいたい、語りたくはないもろもろもあったに相違ないからだ。
著書の第一部は山口誓子、日野草城、中村草田男、加藤楸邨という昭和の初期、新興俳句運動を経て、現代俳句の曙を生きた俳人個人にスポットを絞っての戦争俳句の蒐集に費やし、第二部(この章が、とりわけ貴重だと思われるが)、「戦前・戦中の入門書を読む」のテーマのもとに、内藤鳴雪、高浜虚子から始まって、荻原井泉水、水原秋桜子、大須賀乙字、飯田蛇笏、富安風生、星野立子、長谷川素逝など30名の俳句入門書のことごとくを例示したことではなかろうか。つまり、戦時にどのような俳句指導が俳人によって行われたが明らかにされているのである。それら入門書の発行年月日をたどり、目次などをたどるだけでも、その内容がどのように変化していったかが推測される。
俳句表現にとって変わらないものと変えざるを得なかったもの、さらに、率先して変えていったものなど、今になれば、ある種の痛ましささえ思わないわけにはいかないが、それは、現在只今にも通じている現実への回路である。
すでにして、好ましくない自主規制的な言語狩りの鬱勃たる現状況がないわけでもない。その意味では五・七・五のただ指示するのみの短い器は、かつても今も、十分に私たちの存在のありようのほうに規定されて読まれる都合のいい詩器の一面を有しているものなのかも知れない。
愚生は本著を手にしたとき、とっさに樋口覚の『昭和詩の発生「三種の詩器」を充たすもの』(思潮社)を思い浮かべた。これは昭和詩の発生の根源を、良し悪しではなく戦時に満州で出された「亞」という詩誌を通して語った著で、戦中詩史の空白を埋める作業だったように思っていたからだ。
樋口覚の著書も、樽見博の著書も、一人でも多くの人に、是非、読んでもらいたい一書である。
最後に、本著の第二部「戦前・戦中の入門書を読む」から桜木俊晃『伝統俳句のこころ』(昭和17年10月、全国書房刊)からの孫引きだが、引用して挙げておこう。
「有難いことには大陸の征野に吟じ、大洋の艨艟の上に、あるは傷痍のベッドの上に 詠ぜられつつも、その作品を一貫する精神はやはり大和心であり、日本精神であるこ ちである。俳句は所詮日本的なるもののうち最も高雅な日本的なものでしかない」
「稿を終るに当たつて、真珠湾九軍神を讃仰する諸先生の俳句を記して筆を擱くことに する」
散つて万朶の花とかがよう九軍神 月斗
極月八日潮の明暗醜を攘つ 蛇笏
若桜初ざくら散るはなやかに 蕪子
母子草その子の母もうち笑みて 虚子
その母を讃へまつれば春の露 風生
浪の花と散りけむもおもふだに寒き 別天楼
花咲くや九軍神さて幾億神 東洋城
花散るよおほきひかりのいくさ神 徂春
止まざるの心は神ぞ梅白し 冬葉
七花八裂九弁の牡丹かや寒月に 井泉水
ウメ↓
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