2014年4月10日木曜日
打田峨者ん「瞑(メツム)れば純白の闇 核の冬」(『光速樹』)・・・
己(オレ)の死へ遅刻する蠅 核の冬 峨者ん
一人づつ」はい!「一人づつ 核の冬
核の冬 未生(ミショウ)の友と冬ざるる
「核の冬」の句で、愚生がすぐさま思い出すのは高屋窓秋である。
核の冬天知る地知る海ぞ知る 窓秋『花の悲歌』
核の冬海は鉛となりにけり
高屋窓秋には、核に関連してほかにも句が思い浮かぶ。
核といふ一語に尽きて日が没す 窓秋
死の灰に人は馴染めり天がふる
死の灰の天のひろ天がふる
「核の冬」はもとはといえば、核戦争による地球上の環境が変動し氷河期がおとずれるというものだが、実際にチェルノブイリ原発事故による放射能は上昇気流に乗ってヨーロッパはいうまでもなく、日本も汚染された。近くは福島の原発事故によっても放射能汚染は広がってしまった。
人類の滅亡が待ち受けていることは想像の範囲であろう(山川草木だってそうだ)。
掲げた核の冬の連作の句の作者は打田峨者ん。句集名は『光速樹』(書肆山田)。
まったく未知の作者で、句は独学のようである。
巻末の略歴を紹介しよう。
打田峨者ん(うちだ・がしゃん)
俳諧者、朗詩人、画家・打田峨(たかし)
1950年11月、東京生まれ。東京在住。幼少期を北海道、岩手で送る。
句歴26年。無所属。
私家版句集に『暴君龍忌』(1989秋制作)等。
旅、又、我流の打楽器単独演奏を好む。
句も我流ならば、生き方も我流のようだ(すこし羨ましい)。
もちろん挿画も著者自身だから多才というべきであろう。
我流といいながら、句集の句の配列は夏からはじまって秋・冬・春・再び夏に戻ってくる季寄せ。歳時記風なのは形式性も備えているということか。
有季定型、花鳥諷詠ばかりの句集を見せられつづけている愚生などには、その制度的修練を経ていない分だけ魅力的、興味が湧いた。
手花火や悩める瞳(マミ)は瞬かず 峨者ん
いつか灰 いつか塵 いま 汗と汗
風死しては旗あまた垂れ敗戦忌
パウル・クレーの星への小道
宇宙地図 先づ折る露の対角線
悼 吉岡実ー一九九〇年
詩人の訃 日輪草(ヒグルマ)の黄の昏睡季
赤錆噴く輪廻(リンネ)の車軸 草ひばり
愚生の旧作での核の句は、
ムルロア環礁
フランス人形みな美しき核の風 恒行
「・・・制度的修練を経ていない分だけ魅力的、興味が湧いた。」:まったく。
返信削除私も寸評を書きました。http://blog.goo.ne.jp/abunobu