2014年4月6日日曜日
上田薫「老残をひそと歩めば春淡き」・・・
「老残をひそと歩めば春淡き」の句は(下写真参照)、謹呈短冊に「贈」と書かれ「薫」と署名がある。愚生にとっては、初めての方からの寄贈本。謹呈短冊に自句を書かれる方は珍しいので、それだけで印象に残った。
愚生のいつもの癖で、奥付の略歴にまず目を通した。それには「1920年生まれ。京都大学文学部哲学科卒。名古屋大学教授、東京教育大学教授、立教大学教授、都留文科大学学長をつとめる」とある。著書も多数お持ちで著作集まで出されているが、浅学不明にして、存知あげなかった。
帯には「教育哲学の最高峰、上田薫の最終論考と、上田薫の思想が凝縮された俳句400余句を収録」とある。
著書『林間抄残光』(黎明書房)は、前編に論考・エッセイが収められ、後編に「残光」上田薫句集(全)として400余句が収められている。
独学ながら俳句を本格的に始められたのはどうやら90歳近くになられた頃からのようである。
古希の頃の句が19句、50歳の頃の一句合計20句が補遺として収められいるが、多くは、2007年4月から現在までに作句された句群である。
本書の第一章「老い深くして未来を思う」を読み始めてすぐに、すっかり引き込まれてしまった。
書き出しは、「一 環境問題の酷烈さ」と題して、
あえて奇矯の言をなすことを許されよ。幻想の論と思う人あれば思いたまえ。
で始まり、以下のように断言する。
人類はいま核問題、人口問題、民俗対立・宗教対立の始末などに直面して、何の見通 しもてぬままいる。かく対応力の乏しいところへ環境よりする大混乱を招いてどう立ち向 かえるか、現に人びとはとみに利己に走り、不自由への耐力に乏しい。国益に固執して 世界の利益などよそごとである。危険にたえるための財力などろくにありそうもないが、こ こでも軍備を撤廃しようなどとは夢にも思うまい。この不可測の深刻事態への態勢として は、最悪といっても過言ではあるまい。人類は知性と文化を誇ってきたが、武力に固執し ていつまでも人間特有の馬鹿げた共食いに狂奔していては、多くの動物に恥じねばなら ぬ。人類究極の悲惨な運命はここにも示唆されている。
書中には、このような真言が目白押しである。次の句がある。「心弱りしかさしたることもなきを思ひにとどむる」と記して、
九十路(くそじ)春昨日きし人今日もきて 薫
九重路春ひとり来てまたいつかひとり
さしたる用もなきままに訪れくれる人の数へりぬ
巻末に配された解説とでも言うべき橋本輝久「思想と表現の均衡ー上田薫の俳句の深さ」は、文字通り、橋本輝久の師恩とでもいいたいほどの誠実さに溢れた懇切丁寧な玉文である。橋本輝久には上田薫が1958年に創設した文部行政を批判し社会科の「初志をつらぬく会」の会員としての長い交流があるようである。が、しかし、本格的に俳句を通しての交流となると2008年、上田薫米寿記念に出版された『沈まざる未来を』に収められた上田薫俳句について感想を送ったときからということになろう。
上田薫は短歌も作っているが、「作句の立場」でこう述べている。
私は短歌のときと同様作句の動機に常人とは違ったものをもっている。自分の思想自体 を深めることを俳句に期待しているからである。事実句の対象と作者の表現の上でのつば ぜり合いには、哲学的な何かがひそむと私は考えずにはいられない。視点が当然そのよう にそこに傾けば、出てくる俳句はどうしても俳句一般の世界から外れていかずにはいない であろう。
上田薫の真情にあふれたこの書は、人に勧めたくなる感銘の一本である。最後にいくつかの句を紹介しておきたい。
水澄むとずれの深さを知らずゐて 〈ずれは動的なる奥行き〉
松飾り断ちゐてわれはなほ戦後
真黒き髪やや恥ぢゐしを九十路冴え
句作など老残の果てにつつきしが十年(ととせ)遅きをしたたかに知りき
(2008年・冬雲所載)
橋本輝久と伊勢にて
明かき部屋に君と冬凪(なぎ)愛しみけり
人類死滅して
花吹雪人果てしあともかく舞ふか
敗戦に日、靖国神社
好戦の性(さが)なほうづくか夏往けり
老い深めば泣けど笑むがに春消えゆく
悲しみはより深い悲しみのなかで癒される
夏原の色やや褪めて海の音
いのちしばらく尽きはてずゐて秋ひかり
これが春か
よろぼひ行くこの生きさまを春と言ひ
のたうてどいのちニヒルに冬をゆく
古希の折には次の句を作っている。
老いのしむ句は作らじな花四月
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