2014年6月9日月曜日
研究資料「大岡頌司多行俳句集成」・・・
手元に、発行者も発行所も発行年月日もなにも記されていない(つまり、奥付のない)冊子が3冊ある。いずれもワープロで印字された私製のものである。ひとつは、彼の多行の句ばかり約260句収載した「大岡頌司多行俳句集成」(句集の序なども収載)、そして、「大岡頌司研究資料集」、これには高柳重信、河原枇杷男、寺田澄史、加藤郁乎、永田耕衣、安井浩司などの書評や句評さらに大岡頌司主要俳論抄などが収めてある。それぞれ約40ページもの仮綴じの冊子である(もう一冊は「
大岡頌司自選百句 附/『昭和俳句選集』入集句・補遺」。いずれも「研究資料」という囲みがある。
たぶん、大岡頌司に関する研究会が行われた折に配布された内輪の冊子なのであろう。
さすれば、この冊子を手作りしたのは酒巻英一郎に違いない。
平成15年、65歳で亡くなる直前、大岡頌司の病床に届けられた『大岡頌司全句集』(浦島工作舎制作・七月堂)の編集委員の一人だった酒巻英一郎こそが、唯一の大岡頌司の弟子と言って間違いはないからである。その酒巻英一郎はかつても現在も大岡頌司の三行表記の句の継承者でもある。
その大岡の多行表記の句を収めた『利根川志圖』評で加藤郁乎は次のように記している。
何よりも手作りの仕事を愛する大岡頌司は、既製品ずれしたポエジーを最も嫌う俳人だ。彼には彼なりのメートル原器、それを確かめつつ伸縮させて止まない触感という名の物差しが儼としてある。意味性のよだれくりをべとつかせるだけの当世風俳句とか、板チョコの屑をねぶり合せたごとき甘えの造型論など、彼の全く採らないところである。
我名薨じて
三位となれや
冬の蝶 頌司
それにしても、今時、大岡頌司の名を口にしても、いわゆる俳壇では、ほとんどの人がご存知ないようである。確かにマイナーポエットであったとはいえ、その名を聞いたこともないというのは寂しいものだ。
入手しやすい大岡頌司のテキストといえば『現代俳句全集』第5巻(立風書房)に収められた阿部完市・飴山実・飯島晴子・宇佐美魚目・大井雅人・大岡頌司・川崎展宏・河原枇杷男・後藤比奈夫・鷹羽狩行等のなかでの一人だったくらいなものだから、仕方ないのかも知れない。
かつて愚生が月刊「俳句界」に在籍した折に「魅惑の俳人」のコーナーで、何度か企画案に乗せたことがあったが、愚生の力量不足もあって、ついに、認められず、実現できなかった(唯一の心残りだったかも?・・)。
ともあれ、大岡頌司の句のいくつかを紹介しておきたい。
かがまりて
竃火の母よ
狐来る
ともしびや
おびが驚く
おびのはば
しばのとを
たたきつづけて
われとなる
ちづをひらけば
せんとへれなは
ちいさなしま
黄泉の厠に
人ひとり居る
暑さかな
川下に向つて
左側が左岸である
どのごおとんか
あねもねの
攝津を
殺す
橋あまた
アジサイ↑
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