2014年7月31日木曜日

三橋孝子「紫黄忌のしんだふりして死んだのネ」・・・


「雷魚」99号に三橋孝子の句が掲載されている。たぶん三橋孝子は定期的には、唯一、この「雷魚」に句を発表しているのではなろうか。また、「雷魚」同人以外の方が「雷魚を読む」と題して前号評を寄稿されているが、今回は、広渡敬雄。前98号の三橋孝子「鳥雲にそばがら枕ならべほす」の句を、三橋孝子「表札は三橋敏雄永久の留守」、三橋敏雄「夜枕の蕎麦殻すさぶ郡かな」の句を引いて見事な鑑賞をしている。
今号の三橋孝子の句は、戦争を含め忌日に満たされている。

      きりかぶがならぶ斜面よ重信忌       孝子
      火口湖乃ゆうらん船や広島忌
      「ひばり伝」再読したり敗戦日
      遠富士のいただきけぶる魂まつり
      紫黄忌のしんだふりして死んだのネ
      
「遠富士」には三橋敏雄「裏富士は鴎を知らず魂まつり」の句を即座に思い起こさせるだろう。
日日逝った仲間の俳人たちのことに思いを馳せている。
三橋孝子は三鬼の最晩年の若き弟子。愚生が二十歳をわずかに出たころ、三橋敏雄に最初にあったその頃、三橋敏雄は溌剌として若き孝子と結婚したばかりだったようで、皆から羨ましがられていた。

     昭和遠しされど昭和史なお遠し
     とびきりの水密桃は仏壇に
     桐一葉ひび戦前をいしきする

その「雷魚」は次号百号をもって廃刊すると編集人・寺澤一雄が記し、八田木枯追悼号を出して退会した小宅容義の追悼号が出せないのは、自らの非力だと無念の思いを述べている。
その追悼・小宅容義の特集は「現代俳句」8月号(現代俳句協会)が掲載している。
もっとも、寺澤一雄の無念が達成されていれば、きっと違った特集になったと思うが、その無念の思いだけで十分・・・。

ナスの花↑

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