2014年8月29日金曜日

竹岡一郎「攝津幸彦、その戦争詠の二重性」・・・



「現代俳句」9月号(現代俳句協会刊)に、第34回現代俳句評論賞受賞作・竹岡一郎「攝津幸彦、その戦争俳句の二重性」の全文が掲載されている。
400字詰原稿用紙約50枚の力作である。
略歴によると、竹岡一郎は1963(昭和38)年大阪府生れ。大阪府在住で平成4年「鷹」に入会、藤田湘子に師事。その後「鷹」新人賞、「鷹」俳句賞受賞。現在「鷹 月光集」同人。俳人協会会員。句集に『蜂の巣マシンガン』(ふらんす堂)がある。
選考委員会の選考過程を読むと、激論が交わされ、例年になく熱心な討議が繰り返されたようである。接戦のすえに選考委員7名の多数決となって一票差で受賞のようだ。
(応募作は記名であったらしいが選考は無記名の方がいいのではないか)。
最初から一位に推したのは高岡修。選考委員長の秋尾敏には、当初から、佳作となった武良竜彦「『不可能性の文学』大いなる可能性ー高野ムツオ」との一騎うちの予感があったらしい。とはいえ、選考過程を推測するに、必ずしも竹岡一郎リードで最後まで行ったという感じではないようだ。むしろ、秋尾敏が整った文体と評した武良竜彦に分があったのではなかろうか。たぶん、選考が進むにしたがって、竹岡一郎の評価が上がって行ったのではなかろうか。つまり、選考委員のなかで、自らが最初に推した候補者が、受賞作候補から消えたときに、竹岡一郎の論に与する委員が加わったのだろう。さらに推測すれば、竹岡一郎の視点が攝津俳句を読むに際しての独特、斬新な視点と、論を運ぶ際の竹岡自身の切実な情意を理路をもって推挽した委員の論理に説得力があったに違いない。それを裏付け、それを認めざるを得ない力が竹岡一郎の評論にあったからではないだろうか。
竹岡一郎の「受賞のことば」に愚生の名があって恐縮したが、確かに、独断ともいえる強引さがみえる論であはあったと思う(「鷹」に発表された攝津幸彦論よりもそうだったかも知れない)。だが、その力技とも思える筆運びと、そこに読者を引き込んでいく魅力的な展開を躊躇していては、竹岡一郎の論の魅力は半減してしまう。
ここからは、愚生の勝手な想像だが、選評で高岡修が「一読、今回は竹岡一郎の『攝津幸彦その戦争詠の二重性』を一番に推そうと決めた。攝津作品それぞれに対する読みの深さの多様さは予想以上に優れたものであった」と記していることが、決め手であったよう思う。たぶん、その選択は間違っていないと愚生は付け加えておきたい。そしてまた攝津幸彦の作品を、攝津幸彦自身が抱えていた俳句表現への想いのいくばくかを切開してみせた竹岡一郎の力量にさらなる展開があることを確信する。


                    キバナコスモス↑

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