太穂ご子息・古沢耕二氏↑
本日、10月12日(日)お茶の水の東京ガーデンパレスに於いて、『古沢太穂全集』刊行記念レセプションが行われた。『古沢太穂全集』(新俳句人連盟)は、昨年3月に刊行され、昨年の今頃、刊行記念レセプションが開催されることになっていたが、昨年は台風のため今日まで延期されていたのだ。今年も台風19号が接近ということで、その天候が心配されたが、どうやら今日開催でセーフであった。
全集の刊行は2013年の太穂生誕100年を記念し、31年間にわたり新俳句人連盟委員長の重責を担った古沢太穂の功績を顕彰するもので、いわば新俳句人連盟の総力を集めての事業でもあったと思われる。「鬣の会」は今年、『古沢太穂全集』に鬣賞を贈賞している。
監修は敷地あきら・諸角せつ子。序文には金子兜太、大牧広、友岡子郷、復本一郎、石寒太、加藤瑠璃子。太穂の俳句理解者の幅広さの一端をうかがわせる。
愚生が古沢太穂の名を記憶に留めたのは兜太『今日の俳句』(光文社)であった。そして、ほぼ同時期に刊行された楠本憲吉『戦後の俳句』(社会思想社)によってである。収載されていた句は、
啄木忌春田に灯す君らの寮 太穂
ロシア映画みてきて冬の人参太し
白蓮白シャツ彼我ひるがえり内灘へ
であった。
閉会前に、太穂ご子息の古沢耕二氏が挨拶された。面差しは太穂にそっくりである。プロ棋士ということだった。そういえば、太穂は将棋が極めて強かったらしい。その血が流れているのだろう。
愚生の太穂との思い出は、「俳句空間」第8号「さらば昭和俳句」の特集でプロレタリア俳句について、インタビュアーを谷山花猿にお願いし、収録のあと居酒屋に連れていってもらったことだ。たしか、「道標」の事務所で行なったと思うが諸角せつ子も同席されていた。その居酒屋で思ったことは、職場俳句の運動を推進していた頃の太穂は多くの仲間に囲まれ、句の温かさと同じ温かさを有していたにちがいない、ということだった。
もう26年前のことになる。調べてみると太穂はすでに76歳、でもはるかに若く見えたなあ・・・。
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