2014年12月21日日曜日
六林男「水あれば飲み敵あれば射ち戦死せり」(「muyou・六曜」2014 no.37))・・・
「六曜」は「鈴木六林男」の「六」とその主宰誌だった「花曜」の「曜」を組み合わせた誌名である。編集・発行人を六林男の弟子だった出口善子が務めている。
去る12月12日は六林男の忌日、没後十年にあたり、鈴木六林男の特集を組んでいる。10年を過ぎてなお、各同人の師への思いは深まるばかりのようである。その中から六林男語録を引いてみよう。
暗うつな時代には暗うつを、不安な時代には不安を鮮明にうたえない人間を信用しないことにしている。
あるいはまた、望月至高は「六林男没後十周年によせて」の対談で以下のように語っている。
六林男の俳句が読まれていくには、わたしたちの表現が、大衆の無意識の戦争の欲望を切り裂くインパクトが持てるかどうかということでしょう。
一人の作家が生涯を通じて自己更新して新しい作品を作り続けたなんてまずいませんよ。ほとんど自己模倣に陥ります。それよりも時代に掴まれた作家がどう時代に応えたか、それが評価の中心でなければいけないでしょう。(中略)俳句一般として通じる感性や永続的なものを犠牲にしても、その時代=「現在性」に固執し、時代の固有性としての表現を追求せざるをえない。六林男は虚子や加藤楸邨のように戦争協力をしていい思いをした立場ではない。戦地で銃弾を受け体内に残したまま九死に一生をえて帰還している。これが俳人として「現在性」に固執しなかったらアホでしょう。(笑)
また、岡本匡は、
先生は、1、戦争にこだわる。2、現実に異議をとなえる。3、未来を念頭に置く。を信条とされ、「戦争と愛」を終生のテーマとされていました。
と記している。
大道寺将司は、六林男「暗闇の眼玉濡らさず泳ぐなり」の鑑賞で最後に以下のように述べているのが印象に残った。
六林男は暗闇の眼玉濡らさずに泳ぐと言い切ることで、危うい時代、戦前に戻ってしまうかのようなきな臭い状況を、しっかり目を開き、紗をかけたり、歪ませたりせずに見るという覚悟を詠んだのではないでしょうか。
掲句の詠まれた時よりもまさに今その覚悟が問われているが故に瞠目しないわけにはいかないのです。
的確な紹介と鑑賞を賜り御礼申し上げます。われながら拙さに恥じ入っておりますが、こうして兄事する大井さまの視野にとどめいいただけましたことだけでも光栄です。感謝。
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