2015年1月12日月曜日
高岡修「冬菫わが四肢に浮く釘の跡」・・・
先般、高岡修詩集『火口の鳥』(ジャプラン)が上梓されたと思っていたら、続けて『高岡修句集』(現代俳句文庫・ふらんす堂)が出た。帯の句は「月下とはりんどうが飲む水の音」。愚生と同年生れで、かつ「むらさきばるつうしん」の岩尾美義に師事していたとあっては、同行者とも思える親近感がある。もちろん、愚生は、高岡修言語の力技には遠く及ばないけれど、以前から注目している俳人だ。その巻末エッセイ「俳句における詩的言語論(抄)」には、以下のようにマニュフェストされている。
むしろ俳句は、書かないという意志において書く文学行為である。小説や詩のような言語を重ねるという行為を捨て、短歌形式の完璧な韻律さえ捨てた。書かないという意志において書くという、世界の表現史上に類例のないパラドクスは、しかし、その作品の内界に、怖るべき高度と広さを獲得した。
そして、「あとがき」には、
その詩の極北としての俳句世界の現前を、私は半世紀近くもめざしてきた。だが、いまだに道は遠く、険しいままだ。この一書を遥かなる詩界への一里程とするほか、仕方ないようである。
とある。
ここでは、彼の挑んでやまない詩界のもう一書、彼の第16詩集『火口の鳥』を紹介しておきたい。
(前略)私も今回は、全編を二十行以内で書こうと思ったのです。あるいは、単純に、一篇でひとつのことしか書かないと。(詩集「あとがき」)
そして、そのように書かれた詩編の多くに登場するのが「死んだ子どもたち」であり、不在の「子どもたち」である。さらに詩集名の「火口の鳥」については、以下のように記されている。彼の書斎から見える桜島の、
その火口の左端に一羽の岩石の鳥がとまっています。岩石の鳥は今にも飛び立とうと言わんばかりに大きく羽を広げています。しかし、羽を広げたまま、その鳥はいつまでもそうしたままです。
その鳥を発見したのは、四年余り前、突然に息子が三十七歳で亡くなってから一ヶ月ほどのことでした。よく見ると、いくつかの岩石が重なってできているようで、角度的に、私が住んでいる場所からしか、その鳥を見ることができません。それ以来、私は、その岩石の鳥を死んだ息子だと思っているのです。
詩集からは、「子どもたち」が言葉として登場せず、愚生好みだった一篇を以下に挙げておくことにしよう。
笛
あなたの
息を
私に
ください
あなたの息で
私の虚ろが
響きわたります
あなたの
最後の息を
私に
ください
あなたの最後の息で
私の虚ろを
満たします
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