2015年5月18日月曜日

伊丹三樹彦「超季以(も)て 俳句は世界の最短詩」・・・



ほぼ、時を同じくして三冊の書物が届いた。金子兜太と並ぶ95歳翁・伊丹三樹彦(写俳亭)の仕事だ。病から回復されての復活だから、そのエネルギーは敬服に値する。
句集『存命』(角川学芸出版)はすべて新作、書下ろしのようなのだ。

   往生とは無縁の最後 原爆忌         三樹彦
   吾去りしあとは人来ず 寒緋桜
   汗饐えし一兵おのれ 草に仰臥(高槻工兵隊)
   救急車 いや消防車 いや遠吠え  

『海外俳句縦横』(本阿弥書店)は、赤尾兜子・眉村卓などと行った渡欧の旅からはじまる、称して男爵ツアー。 

  火山島嶼 爆発し 凝固し 誕生し
  樹には樹の 花には花の 精の息
  亦も肩すくめて 失語の 落葉のパリ

『写俳亭俳話八十年(不忘一枚連結便②)』(青群俳句会)は雑誌「青群」に連載されていた「不忘一枚連結便①~のエッセイをまとめたもののようである。巻頭には先般亡くなられた三樹彦夫人「伊丹公子の臨終」から始まり、「公子家族葬の日々1~4」に続いていく。「不忘一枚連結便」のミニ・エッセイはもともとは三樹彦の若き日、過去のあれこれの体験を綴った内容だった。さまざまな俳句や俳人をめぐる話が面白い。その掲載誌「青群」の表紙裏には草城、三樹彦の以下の箴言が掲げられいる。

   俳句は諸人旦暮(もろびとあけくれ)の詩(うた)である     草城
   語句を削るに心を削る
          それが俳人を鍛える                 三樹彦

思えば、かつて愚生が現代俳句協会員になったとき(当時はまだ推薦人が必要で、選挙によって10票ほどを獲得することが当選ラインだったような・・・)、その新人参加の懇親会の席で、伊丹三樹彦に「君は俳人らしくないなぁ・・」と言われたことを思いだす。もっとも、参加していた多くの俳人のなかで、一番俳人らしくなく、いかにも自由人らしい服装をしていたのが伊丹三樹彦だった。



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