2015年6月16日火曜日
藤井あかり「稜線の一樹一樹や稲光」(『封緘』)・・・
藤井あかり句集『封緘』(文學の森)、序句は石田郷子「水仙や口ごたへして頼もしく」。なかなか良い序句である。
1980年神奈川県生まれ。本年、第5回北斗賞受賞者にして、5年前には第1回椋年間賞受賞とあるから、多くの読者を共感させる安定した力はあるのだろう。愚生は北斗賞の選考委員の一人でありながら、その受賞に寄与することは出来なかった。その理由は愚生の自分勝手な新人賞に対する破たんするような初々しさを期待するという思い込みのせいで藤井あかりのせいではない。
こうして、一本の句集となれば、それはまた別の評価が与えられるだろう。
ちなみに、帯の句は、
言の葉は水漬いてゆく葉冬の鳥 あかり
愚生等の年代、いやむしろ愚生の父にあたる世代、藤井あかりなら、さしずめ祖父の世代の読者を仮定すると「水漬いて」には「水漬く」を想起し、、たぶん「海行かば水漬く屍 山行かば草むす屍」を想像する。そして、その季節は少なくとも冬ではない。作者はそれを知ってか知らずか、見事に「水漬いてゆく葉」と「冬の鳥」に転じて見せるのである。「言の葉は水漬いてゆく葉」は美しく、屍は省略されるが、無意識の通奏低音を奏でる、と読んでも誤読にはなるまい。あとは「冬の鳥」のありかだけだ。
*閑話休題・・・
空蝉をもとのところに戻せざる あかり
には、『封緘』を小脇にして、今日の昼過ぎ、阿部鬼九男氏宅を訪ねて、偶然にも短冊掛けに掛けられていた西東三鬼の空蝉の句「巌に爪立てゝ空蝉泥まみれ」の句に出合ったのだった。
話をもとにもどして最後に愚生好みの他のいくつかの句を挙げ、かつ一句献じようと思う。
咲ききつてゐる苦しさの馬酔木かな
君家に着きたる頃の雷雨かな
群咲いてゐて鬼百合のまだ足りず
会ふまでは人会ひたれば花カンナ
風の音蜻蛉向きを変ふる音
蝶々に雨の錘や秋桜
水漬く葉を封緘にして藤あかり 恒行
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