あたかも章立てのように挿み込まれているモノクロの森崎竜次の写真が本句集の装丁のシンプルさと呼応していて良い。
本句集の出自が少し変わっている。著者の「覚書」によると、
六月十三日から昨日までの、約二週間の躁鬱の成果、ここに創作された言葉の断片を、句集と称するにあ、少なからず後ろめたくもあるが、棄てがたい、いましがたの懐旧として纏めた次第である。読者諸賢も、忌憚のないご批評をいただければ幸いである。
二〇一五年 六月二九日
とある。著者は1951年神奈川県生まれ。歌集、評論集もある。現在は歌誌「月光」会員とあった。
作品は、いわゆる多行形式の句で、多くは高柳重信の四行書きを踏襲している。
慰安夫も
ゐない
ゐないと
兵隊が 雅治
地図に
ない
国家(くに)を想へば
沖縄忌
薄目の
眼の
老犬
白き
花芙蓉
淡竹(はちく)とふ
筍
旨し
雨後の月
*閑話休題
先日、昔の仲間より送られてきた「止めよう!辺野古埋立て 9.12 国会包囲」行動のチラシを送ってきたので、本『花蔭論』(桃谷舎)のなかの句「辺野古にも/行かず/紫陽花/瓶に刺す」に触発されたので、掲載しておく。今や国会周辺は、かの60年安保闘争以来の抗議行動で連日埋め尽くされているらしい(愚生は情けなくも家の近くを散散歩し、たまに横断歩道の信号の変わり目あい、急ぎ足のときに安保粉砕!闘争勝利!とつぶやいて息を切らせながら勢いをつけて渡るのみ)。
おはやうと
こゑを
かけられ
さくあした
ふたりぶん
かんをけが
たりないと
いきてゐる
ひとさしゆびで
ひとをさした
ことは
ある
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