2015年9月20日日曜日
飯田冬眞「時効なき父の昭和よ凍てし鶴」(『時効』)・・・
『時効』(ふらんす堂)「あとがき」によると飯田冬眞は小説家になりたかった時期があるらしい。
師事したのは秋山駿(2年前の10月2日に亡くなった。もうすぐ忌日がくる)。その師に「(小説家になりたいのなら)砂を噛むような生活を三年続けてごらん」「本物の文学は、みな砂を噛むような生活のなかから生まれてきたものだからね」「けれども、多くの人は、たったの三年すら無味乾燥な生活に耐えられず、喜びや楽しみを見つけて、小説など書く必要がなくなってしまうから」とあった。俳句を敗北の詩といった高柳重信は「君は俳句をやるほど不幸なのかね」と問ったが・・・。
そして、飯田冬眞は「今は、俳句も小説と同じように砂を噛むような生活や時間のなかから生まれてくるものなのだと思い始めています」という。
近頃の句集にはめずらしく作者と言葉の距離がほとんどない作品集であることは間違いないだろう。かつてもいまも多くの俳句作品は境涯に支えられている。だが、その等身大を乗り越えるとさらに、句境は拡がるだろう。
「砂を噛むような生活はいましばらく続きそうです」と冬眞はいう。だが、それが、同時に、黄金の時期だったにちがいない、と、きっと振り返るときがあるだろう(それがなにより精神を支えている根源なのだから)。いまを手放すことなく生き抜いてほしい。愚生のように別の喜びや楽しみを見つけてしまわないように・・・。
集中の感銘句を以下に挙げておきたい。
涅槃の日ぐわれきは海へまかれたり 冬眞
海鳴りの父の帰らぬ雛の家
うしろから闇に抱かるる遠花火
闘牛の眼を赤く勝ちにけり
雲の峰こんなものかと骨拾ふ
痛みあるものから離れゆき朧
村相撲砂にまみるる蒙古斑
時効無き父の昭和よ凍てし鶴
力抜くために入りゆく巣箱かな
桃の日や母ひつそりと髪を染め
表札にアルファベットやエリカ咲く
燕来る父を詠まざる死刑囚
乳房あるマリアおそろし絵踏かな
愛と期待のこもった序を鍵和田ゆう(禾+由)子がしたためている。
献上一句。
時効無き昭和の父母に冬のまことよ 恒行
飯田冬眞(いいだ・とうま) 昭和41年札幌市生まれ。
マンジュシャゲ↑
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