2015年10月10日土曜日
矢上新八「東京のもみない饂飩すすり食う」(『浪華』)・・・
矢上新八句集『浪華』(書肆麒麟)は全句大阪弁で書かれた句集だ。巻末に「方言の索引」が付いている。掲句でいえば、「もみない」が大阪ことばというわけである。それによると「もみない」は「まずい・美味くない」とある。
そりゃーそうだろうと思う。愚生だって、故郷山口から京都、21歳の時には、さらに東京に流れ着いたときは、まず饂飩を食べた。その時に、ワッ、醤油のなかに饂飩が浮いている、と思った衝撃はいまだに忘れがたい。関西は、やはり饂飩で、まずいと思われる饂飩でも何とか食べられるくらいには美味いのだ。最近では東京でも関西風の饂飩が食べられるので少しはましになっている。東京は蕎麦の方がはるかに美味い。
大阪弁で俳句を書くようになったことについて、著者は、
たまたま点けたカーラジオが鹿児島の「さつま狂句」の句会を中継していて、言葉は甚だ難しかったが、聞いていると薩摩弁で詠む川柳のような狂句が方言によって一句に意外な滑稽味や説得力を加えているのを感じ、これを使えば面白いのではないかと考えたのが始まりである。
という。そして、「大阪弁を使う俳句は、途中に十数年間の俳句を離れた期間があるにしても都合三十年余りになる」(あとがき)とも記している。
矢上新八(やかみ・しんぱち)は1944年大阪生まれ。桂信子「草苑」創刊同人。「日時計」「天敵」「未定」「円錐」と澤好摩、横山康夫などと行を共にしてきている。「日時計」時代は攝津幸彦とも一緒だった。で、「衣の中はどのみち裸蜆汁」新八の句に、「どのみち」つながりで攝津幸彦の「花うつぎどのみち曇る父の道」を思い出したりした。
いくつかの感銘句を挙げておきたい。大阪弁の方は索引を引用しないので、読者諸兄姉の読みにお任せしたい。
石の上の生餌がいのく晩夏かな 新八
乾杯やおもろない夜は酔潰れ
虫集く嗚咽の虫もおるやろに
寒い夜に代りばんこの番がくる
手に触れた得物をなおす牡丹雪
命いっこ置くとこもない秋の暮
たいがいは何ほどもない冬景色
エンゼルトランペット↑
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