2015年12月23日水曜日

表健太郎「火へ歩む鹿を最後の秋とせよ」(「LOTUS」32号)・・・



「LOTUS」32号は、曾根毅句集『花修』評と表健太郎『天地論抄」評の特集である。句集『花修』は今年の俳壇の評価もよく、多くの好意的な批評に接してきているので、ここは、愚生も執筆させていただいた表健太郎「天地論抄」評の方を紹介しておこう。流ひさしの玉評は以下のように結んである。

   火へ歩む鹿を最後の秋とせよ
 人間以外の動物は火を本能的に恐れる。それゆえ「火へ歩む鹿」は尋常の「鹿」ではない。これは「機械」と化した表の懇願的命令である。自分をこれ以上追い詰めるな、もし追い詰めた場合は自分も滅びるが諸君も滅びることになるぞというわけである。
 これが表の本領であり、覚悟である。果たして我々にこの覚悟ありや。

他の「天地論抄」評の執筆者は菊井崇史、三枝桂子(三枝は天地に「あめつち」とルビを付している」)である。いずれも力評である。その三枝は、

 彼が『天地論』という世界で追求しようとしているものは、俳句形式やその起源ともなるものが生まれるよりももっともっと遥かな遠い過去の「物と言葉」の始原性に関わることなのだろう。

と述べる。菊井崇史は、

 業火になる必要はなく「見える」の一回性の明滅として、さやさやと「怪物」であることは矛盾しないのだ。しかし「引火」を途絶えさせてはならない。一度、一度、「夢」の出現を句作の都度に見出さねばならない。

ともいう。ともあれ「LOTUS」にあって、表健太郎は九堂夜想とともに、その創刊号から期待されている若手の2枚看板であった。
以下は母屋の「LOTUS」に間借りしている幾人かの「豈」同人の作品を以下に上げさせていただく。

      
   天病みて蝶をさしだす眞葛原        丑丸敬史
   こがらしや疾く疾く二号も歩み来よ     鈴木純一
   白桔梗ありわが家のむこうあり       高橋比呂子
   
   かやつりぐさへ
   なんばんぎせる
   よるとみせ               酒巻英一郎

   プロソディー1掛け2掛け3掛けて      北野元生
   





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