「静かな場所」NO.16は田中裕明「ゆう」の終刊後に創刊、発行されるようになって10年の歳月を閲しているという。誌名の由来は、「
小鳥来るここに静かな場所がある 裕明」の句からである。
青木亮人は、連載で「はるかな帰郷(10)-田中裕明の『詩情』についてー」を書いている。田中裕明の生きたであろう時代を吉本隆明、荒川洋治の著をひもといてたどろうとしているが、例えば、荒川洋治が確か、戦後詩に学んだものは修辞だけだった、というようなことを言っていたような気がするが(記憶力が悪いので、もし、大きく違っていたら、愚生の思い込みにすぎなかった、ということで勘弁願いたい)、詩集『水駅』の「世代の昂奮は去った。ランベルト方位図法のなかで私は感覚する」と言挙げした衝撃はむしろ愚生ら団塊の世代を撃っていたのではなかったろうか。そこに少し遅れてきた田中裕明は、いささか醒めた眼差しを有していたように思える。
ともあれ、青木亮人が「
次回は蓮実重彦が一九七〇年代後半に刊行した『夏目漱石』も参照しつつ田中裕明の『自己』のありかと時代性を考えてみよう」と記していることに興味をつないでおきたい。
以下に同号の一人一句を・・・
さむうなり老妓は外に出ずうなり 谷口智行
臨海を超ゆる無音やねこじやらし 森賀まり
病室の窓細く明け冬麗 和田 悠
聖歌いま囁きめいてゐるところ 対中いずみ
引率の先生休む花八ツ手 満田春日
漕ぐ度に鳴る自転車や秋桜 木村定生
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