2016年5月5日木曜日
正木浩一「冬木の枝しだいに細し終に無し」(「港」5月号・川口真理連載稿より)・・
川口真理が「港」4月、5月号と「正木浩一ー天性の詩人ーを読む」を書いている。『正木浩一句集』より(1)、(2)となっているから連載なのかも知れない。現在、正木浩一の名を知る人も少ないと思われるが、第一句集『槇』(ふらんす堂)を出版した頃、つまり正木浩一健在の折りは、愚生らのなかでは、妹・正木ゆう子よりも句の評価が高かった記憶がある。没後に出版された『正木浩一句集』(深夜叢書)の最後の章は、とりわけ絶唱の句群だった。
両句集の装丁もかつて流行をみせた段ボールケースに入ったもので、シンプルで良いものだった。いずれも正木ゆう子の夫君・笠原正孝の手に成る。
正木浩一、昭和17年熊本市生まれ。昭和47年より「沖」へ投句。平成4年没。享年49。
愚生は一度だけ、お会いしたことがある。しかし、それは、正木浩一が余命を知って、上京し、最後の挨拶に来られていたさなかに、正木ゆう子、中原道夫、筑紫磐井、池田澄子、攝津幸彦、仁平勝などと一緒に呑んだように思う。
川口真理は「散る櫻白馬暴るるごとくなり」の句に以下のように書き綴っている。
バ音の重なりにより、狂気の気配が濃厚な掲句である。〈白馬〉という語が、浩一らしくうつくしいが、うつくしさが際立つだけに狂気もより深くなるのである。集中の句の中でここまでの激しさを正面から感じさせる作品は稀なだけに、目を奪われるが、散ってゆく桜の本質を、それ迄にない新しさで表現し、なおかつ、それが時を経た今でも類のない瑞々しさを湛えているということに、改めて天性の詩性を思い、深い感慨を覚える。
以下にいくつか句を引用する。
鶴やいま北の暗きを来つつあり 『槇』
芹ということばのすでにうすみどり
つまづきて炎天をなほ白くする
蜻蛉のとどまるときの翅はげし 『正木浩一句集』
さるすべり百日の寂はじまりぬ
刃のごとき地中の冬芽思ふべし
花柊痛みなきとき我もなし
冬菊の芯まで凍ててよみがへる
寒風や母叱しては母に謝し
落つるとき椿を打ちし椿かな
陽子
寒き世に泪そなへて生れ来し
家を離れて闘病生活に入る
冬といふあらゆる冬を一身に
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