2016年8月26日金曜日
鈴木志郎康「俺っちは化石詩人になっちまったか」(『化石詩人は御免だぜ、でも言葉は。』)・・・
81歳の鈴木志郎康の詩集『化石詩人は御免だぜ、でも言葉は。』(書肆山田)が上梓された。
愚生が学生の頃、1970年代、現代詩は全盛のように思えた。その中で鈴木志郎康はプアプア詩人として「極私的」詩を発表し続けていた。
それは今も変わっていない。「あとがき」に、
この詩集も自分のことばっかりです。そこで、この詩集に収めた詩は「極私詩」というのがふさわしいと思いましたね。「極私詩」、なんかかっこいい。
とにかく、書き手の詩人がごちゃごちゃと自分のことを書いた詩なんです。主題を読者と共有して感動をもたらし、普遍性を追求する詩と違い、主題を「わたし、あたし、俺っち」の生活とこだわりに限って口語調で語っていく詩なのですね。まあ、読んでもらって、ひとりの詩を書く老人の存在を感じてもらえば、幸い、というわけです。
と記しているが、元をただせば「極私的」という言葉も志郎康の造語だったのではなかろうか。
本詩集は2015年3月から2016年4月までに書かかれたものである。タイトルにした「俺っちは化石詩人になっちまったか」はweb詩誌「浜風文庫」に発表された詩である。
鈴木志郎康の生活ぶりは「あとがき」に詳しく書かれているので、多くは記さないが、要介護の生活で、介護タクシーで病院に通ったり、それでもその日常から「言葉を貰うというのが、詩を書く上で大変励みになる」という。
恣意的に一番短いと思われる詩を以下に紹介しておきたい。
ドブチャクが続いて困ったもんだ。
ドブチャク、
ドブチャク、
トップチャックならまだしも、
ドブチャクはいけません。
でも、
ドブチャク、
ドブチャクが続いているんですね。
困ったもんだ。
ほら、
また、
ドブチャク、
ドブチャク。
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