2016年11月19日土曜日
秦夕美「理不尽な死あり花野へいそぐ水」(「祭宴」52号)・・・
「祭宴」NO.52(編集・発行、森須蘭)は一年ぶりの発行だそうである。「豈」と同じではないか。「豈」も、今月末には59号が出る。「祭宴」にはまた「自由句会誌」「Dionysosの宴」という肩書もついている。不思議といえば不思議な雑誌である。
愚生は初めて目にするのだが、日野百草という「40代若手俳人」(後記)が勢いのある文章を書いている。
結局のところ現代の若き俳人の「敵」はこれら漫画であり、アニメであり、ニューミュージックの歌詞であり、ゲームのテキストでもある、と云うことである。これまで大先輩が築き上げた俳句という一大文芸は、現状の愛好者を見ても二十年、三十年後に危機的状況になることは明白だ。現に多くの才能ある者であれ、凡才であれ、俳句ではないこれらのニューカルチャーに流れ続けるだろう。(中略)
今すぐでなくてもいい、いつか勇気を持って私達の世代の現代を詠もう、それが俳句がもう一度生きた文芸としての価値を再び得る道である。
愚生も思っている。ただ、二十年、三十先という生易しいことではなく、只今、危機的状況がすでに何十年も続き、俳句独特の微笑の世界に浸りきっているのである。いわば茹で蛙状態といったほうが納得がいく。いずれにしても、丁半どの目がでるにしても、愚生よりはるかに若い人たちこそがすべてを担うだろうという確信はある。それが歴史というものだろう。
ともあれ、今号から招待作家二名と参加者で「豈」同人も兼ねている一人一句を以下に、
端然と不開の門や後の月 秦 夕美
ゴム手袋溝に浮かびて原爆忌 中村和弘
少年はまだ夕焼けを削いでいる 成宮 颯
人界へ言葉生みだす月の部屋 森須 蘭
黒猫の半眼になり虹の村 わたなべ柊
引きずったバッグの傷とハムエッグ 伊東裕起
いち早く日暮の気配ヒヤシンス 杉本青三郎
ツリバナ↑
このたびはお取り上げありがとうございます。日野百草と申します。
返信削除玉藻、軸、鴎座に所属し、伝統俳句も現代俳句も社会性俳句も区別なく、
数十年先の俳界の危機を予見して活動しております。
https://www.facebook.com/uesaki
私はこのままではいずれ、伝統芸能のようになってしまうと危惧しておりまして、
例えば実際に漢詩などは全日本漢詩連盟がありますが風前の灯火です。
人形浄瑠璃や浪曲もその類いです。昭和には興隆を極め商業誌もあったほどです。
現代詩も危ういです、というか次に危ういのは現代詩と思っております。
ゆえに当方が生業としておりますサブカルチャーを引き合いに出して、
森須蘭さんからのご依頼で俳界の危機に関して書かせて頂きました。
祭演は誌面を拝見するにとても若く現世代の作家が多いと思いまして、
普段他では書けない内容で本音を書かせていただきました。
幸い、好評と祭演より聞きましてホッとしております。
重ね重ね、取り上げてくださりありがとうございました。
百草拝
お便り恐縮です。それにしても、星野高士に秋尾敏に松田ひろむのところですか?どなたもよく知っていますが、投句されるときに、それぞれの傾向に分断されてはいませんか?
返信削除ともあれ、お元気で、奮闘して下さい。