2016年11月23日水曜日
漱石「菫ほどな小さき人に生まれたし」(「六花」VOL.1)・・・
宇田川寛之の出版社「六花書林」から雑誌「六花」が創刊された。編集後記にその在り様は縷縷述述べられているが、出版業界の構造的な衰退現象、とりわけ雑誌発行の難しさに足元をすくわれないように、との慎重さが伺える。しかし、それでも雑誌を出して前向きに現状を打破していこうという気概がみえる。合わせて詩歌の困難さも引き受けていこうとしているかにも思える。
雑誌編集とは刺激があるが、呼吸が苦しくなるもの。とてもではないが、いまの自分では難しい。単行本はじっくり丁寧に編集することが大切だが、雑誌は勢い、決断力が大切だ。それでも何か行動しなければと思っていた。
このようなところにその悩みがのぞいている。そして創刊号のテーマは、
「詩歌ー―気になるモノ、こと、人」としてお願いした。要するに現在の関心事を自由に記して下さいということ。
なのである。というわけで、愚生は一応俳人なので、本誌に登場している、俳人・橋本直「学問としての俳句」、吉野裕之(かれは歌人でもある)「散文と韻文は豊かにつながっている」、田中亜美「菫ほどな」をとりわけ注目して読んだ。それは田中亜美が漱石の「菫ほどな小さき人に生れたし」に関わらせてみずからの句「冬すみれ人は小さき火を運ぶ 亜美」にまつわるエッセイであった。少し親近感を抱いたのである。訳は簡単だ。愚生が俳句を書き始めた時分、漱石の小説もさることながら、かの人妻の死について詠まれた「ある程の菊投げ入れよ棺の中 漱石」に魅せられて、俳句に深入りしたようなものだからだ。もう半世紀以上前のことになってしまったが、妙にこのことだけは覚えている。
とまれ、これらのエッセイのなかでもっとも俳句形式に対して志を明らかにしていたのは、当否は別にして、以下の橋本直の結びであった。
子規の仕事はその一典型だが、その後本格的に過去を分析して時代を分かつ文学として強くおしだすことを試みた俳人は、大正期の荻原井泉水や高度成長期の金子兜太くらいしかみあたらない。兜太の造型論からすでに半世紀を超えたが現在の俳人の多くは彼らのような仕事を欲望しないようだ。そういう更新の力は失ったのかもしれない。
橋本直(はしもと・すなお)1967年、愛媛県生まれ。吉野裕之(よしの・ひろゆき)1961年、横浜生まれ。田中亜美(たなか・あみ)1970年、東京生まれ。
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