2016年12月8日木曜日
藤田踏青「眼をアルバムにして入る木造校舎」(『現代自由律100人句集・第三集』)・・
『現代自由律100人集・第三集・平成28年度版』(自由律句のひろば・1000円)が出た。
「自由律句のひろば」のマニュフェストが巻末にに掲げられている。
この句集は自由律を多くの人々の身近な文学にするために発行しました。「自由律句のひろば」は新しい会員を求めています。賛同いただけるかたの参加を歓迎いたします。
また、今号の序には、
自分が何を思い、何を感じたかが自由律の真意であり、面白さもそこにあります。世の中に自由律をもっと広げて行きたい希望はこの一冊によって叶えられるでしょう。
自由律句のひろば 代表
那須田 康之
とあった。一読、気付くことは、「自由律俳句」とは、一言もいっていないことだ。あくまで「自由律句」である。ここに、一般的に流布している「自由律俳句」という呼称ではなく「自由律句」。ここにこの句誌のこだわりがあるように思うが、現代ではほぼ片隅に追いやられてしまっている現状に対する、いわば定型の俳句に対するいわゆる自由律俳句の普及への志が伺われる。
俳句史的には、戦前の改造社版「俳句研究」をながめただけでも、あるいは、ホトトギス全盛と思われている大正時代の俳句についても、じつのところ、明治の新傾向俳句から自由律俳句が俳壇を大きく席巻していた事実が理解されるだろう。
と言えば、「自由律句」というあえてする呼称は、いわゆる俳句ではなく句・・、彼等の自由律?復権にかけた思いにちがいない。
ここでは100人一句をすべて挙げるわけにはいかないので、愚生と同じ「豈」同人の藤田踏青と愚生が山口県生まれだから、山口県人のみを一人一句掲げることにする。
誤作動をくり返す二人の小骨 藤田踏青
喜寿つれて土筆 阿部美惠子
トラの身代わりか子猫がやってきた 石竹和歌子
夕焼けが海からはみ出している 植田鬼灯
暑い暑いと言ってもつくつくぼうし 内田麻里
ひっそり不自由を抱いている 小野芳野
風が転がる 佐伯初枝
孤独が肩を叩いて目覚めた夏の午後 佐々木研信
もう母でない母と座っている 島田茶々
影と歩く影があるく倖せな影といる 清水八重子
青空の広さに廻り道 下瀬美保子
流れる涙ぬぐっている訳もなく 竹内朋子
空っぽにして始める 田中里美
茶碗に残った一つぶも箸にする 富永鳩山
ボタン取れかけたことも直ったことも 富永順子
まだ昇る段がある登るしかない 橋村美智子
呑み込んだ言葉どこを漂う 原田智美
一匹残った蚊のさびしさがたたけない 久光良一
不機嫌という棘を抜いて眠る 部屋慈音
金魚ちょうちん戻れない日々ぶらさげる 増田壽恵子
雨音でいっぱいの部屋にいる 松尾 貴
山桃とってくれる前髪を風 松永眞弓
にぎやかに鳴いていたセミの数だけ死があって 森永友世志
この雪道は二人のふるさとへつづく 山本説子
里芋の葉に朝露の鬼ごっこ 和崎治人
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