2016年12月11日日曜日
虚子「美しき御国の空に敵寄せじ」(『日本レジスタンス俳句撰』より)・・
マブソン青眼選句・フランス語訳『日本レジスタンス俳句撰(1929-1945)』(パリ・ピッパ社・2000円)には、戦前の新興俳句弾圧事件に連座した俳人を中心に18人の略歴と一人4句ずつ、各人の似顔絵(ないものは特徴のある版画・池田充)が、作品は日本語とローマ字で読み、三行のフランス語訳が付いて、各人見開き2ページで収められている(残念なのは本文中の三谷昭が三谷明と誤植されている)。
マブソン青眼の序文において指摘されていて、出色であるのは、戦前の俳句史に即しながら、高濱虚子の果たした役割について、句を挙げて言及しているところだろう。その虚子の句は、
戦ひに勝ちていよいよ冬日和 (1941年12月17日真珠湾攻撃直後) 虚子
勝鬨はリオ群島に谺して (1942年2月12日シンガポール戦最中)
美しき御国の空に敵寄せじ (1944年2月15日)
そして、序文は以下のように閉じられている。
軍国主義が再び勢いを見せてるこの頃こそ、1940年代に弾圧された俳人の名誉回復と弾圧に協力した俳人の責任追及を果たすべきだろう。二度とあのような大戦の道を歩むことがないように。「昭和俳句弾圧事件記念之碑」を建てる必要もあるだろう。本撰集をその前の紙の碑(いしぶみ)としたい。
*本著は日本の書店では販売されていないので、申し込みは直接、マブソン青眼まで、
mabesoon@avis.ne.jp 電話FAXは、026-234-3909
郵便振替口座は 「参月庵 00560-1-75876」
因みに収録されている俳人は、秋元不死男、新木瑞夫、藤木清子、古家榧夫、波止影夫、橋本夢道、平畑静塔、細谷源二、井上白文地、石橋辰之助、栗林一石路、三谷昭、中村三山、仁智栄坊、西東三鬼、嶋田青峰、杉村聖林子、渡辺白泉。
憲兵の怒気らんらんと廓は夏 新木瑞夫
戦死せり三十二枚の歯をそろへ 藤木清子
血も見えず敵飛行士の亡せゐたり 波止影夫
我講義軍靴の音にたゝかれたり 井上白文地
血も草も夕日に沈み兵黙す 三谷 昭
特高が退屈で句を考えてゐる 中村三山
*閑話休題(藤田嗣治展)
戦争つながりと言うわけでもないが、愚生は今日、府中市美術館の「藤田嗣治展ー東と西を結ぶ絵画」を観に行った。自転車で5,6分も漕げば行ける近いところに住んでいるのだが、なかなかチャンスがなく、ともかく今日は最終日だったので、何が何でもというわけで行ったのだ。戦争画の最高傑作といわれた「アッツ島玉砕」も悲惨だったが、一つ置いた隣の「サイパン島同胞臣節を全うす」によりひかれた。
たぶん、高柳重信がわずか一週間ばかりのラジオ放送で以後ついに歌われることがなく、国民から忘れ去られた歌「サイパン玉砕の唄」を病床の折笠美秋を見舞うためのテープに吹き込んで歌っていたのを繰り返し聞いたことがあったからだ(それは、赤尾兜子の遺句集の出版記念の会に関西にカセットテープを持っていき、参加者に見舞いの声を録音したものである。鈴木六林男、和田悟朗、三橋敏雄、高屋窓秋などの声もあった)。
「美しき御国の空に敵寄せじ」(1944年2月15日)は連句。「食飽かずとも暖とらずとも」に付けたもの。
返信削除「美しき御国の空に敵寄せじ」だけでは意味不明。マブソン青眼は「作句理念を曲げて」としているが、これは連句なのでそれを見落としている。(季節は「暖」で冬季)
虚子は当時の多くの国民と同じように「消極的戦争協力」と、私は考えている。出征兵士の句を巻頭にしたり、軍事郵便の投句料を免除したりして戦時下の弾圧から逃れるために必死だったのである。このことはすでに「高浜虚子入門」で述べている。
マブソン青眼は、虚子が蕪子を使ったのか、蕪子が虚子に阿ったのかと書いているが、そうではない。蕪子は虚子を越えて俳壇に君臨したかったのである。
その蕪子から身を守るために、虚子はいろいろな策を凝らしているのである。
戦争協力と見られる句には、必ずと言っていいほど、(新聞や放送局の)「求めに応じて」と前書を付けている。これは、逆に危険なことで、ある面では「消極的抵抗」とも考えられる。
松田ひろむ 様
返信削除コメント有難う存じます。
貴兄の虚子の戦時の協力姿勢についての見解は理解できました。
ただ、虚子が果たした俳壇に及ぼした政治的な役割については、存外、もっと大きいものがあったように思いますが、それは戦時体制を経験せずに、戦後民主主義の恩恵にあずかってきた愚生らには、さらに状況が悪化しないうちに声をつなぐ必要性もあるのかな、と考えています。