2017年1月10日火曜日
攝津幸彦「南国に死して御恩のみなみかぜ」(『俳句に憑かれた人たち』より)・・
松林尚志『俳句に憑かれた人たち』(沖積舎)は、現代俳人を大正一桁世代(林翔・阿部青鞋~津田清子・高島茂)、大正二桁世代(成田千空・楠本憲吉~金子皆子・鈴木石夫)、昭和一桁世代(飴山實・穴井太~折笠美秋・友岡子郷)、昭和二桁世代(宇多喜代子・安井浩司~西川徹郎・攝津幸彦)、に分けて47名が論じられている。また、付録として6名の俳人(富澤赤黄男、瀧春一など)と「『縄』『海程』『ユニコーン』前衛の虚と実と』」を、「ユニコーン」(昭和43年5月創刊~45年4号で終刊)の同人の一人であった松林尚志ならではの子細な分析が読みどころだ。
ブログタイトルに攝津幸彦の句をあげたが、本著の最後に収載されている俳人としては主要な3句を挙げての出色の攝津幸彦論である。何よりも1930年生まれ、昭和一桁世代である松林尚志による精緻、かつ説得力ある論であることが嬉しい(若い世代にも批評の眼がよく行き届いている)。この「南国」の句を含む「皇国前衛歌」の10句について以下のように記している。
千代に続いた皇国のために散る美しさを歌う一方、ワルツに興じ、今日は帝劇、明日は三越というような銃後を示す。そのような時代をなつかしく再現すればするほど諷刺は痛烈さを増す。幸彦は決して告発し、批判するわけではない。一所懸命に生きた人たちと時代を再現するだけである。そのことが自ずから国家や人間への問いかけとなっている。
また、他の個所では、安井浩司との関連において、攝津幸彦の「『すでに、彼は言葉で俳句を書くのではなく、俳句で言葉を書いているのかも知れない』」という浩司論も鋭い」と述べた後に、
考えてみれば、浩司は決して言葉を弄ぶのではなく、言葉に君臨する司宰者の趣さえある。幸彦は浩司との違いを意識したからこそ、真剣に浩司に迫ろうとしたのだと思う。幸彦は浩司に寄り添うような作品をいくつか残しているので、二つだけ挙げておきたい。
厠から天地創造ひくく見ゆ 浩司
永遠にさそはれてゐる外厠 『陸々集』
法華寺の空とぶ蛇の眇(まなこ)かな 浩司
法華寺の厠正しき暑さかな 『四五一句』
幸彦が浩司を学ぼうとしたことが、この浩司語彙の摂取だけからも窺えよう。
句集、詩集、さらに数多くの評論集を出している松林尚志の筆には、愚生はいつも教えられることが多い。そして、それらの論への信頼をあつくするのだ。「あとがき」にも偽りがない。
最近の俳句界は裾野が広がり、余技としてひねる程度でも仲間入りできるレベルの盛況ぶりで、結構なことであるが、一句にできるだけ思いを込めようと骨身を削った人がいたことも知ってほしいと思う。私は文学としての詩を志した人を多く取り上げたつもりである。
松林尚志(まつばやし・しょうし)、1930年長野県生まれ。
ミツマタ↑
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