2017年1月13日金曜日
柏田浪雅「鉈彫も木屑も佛雪ばんば」(『螢火の塔』)・・・
柏田浪雅句集『螢火の塔』(角川書店)。著者は「老いの遊み」であった俳句が近年、自己構築の様相を呈してきたと、「あとがき」に次のように記している。
事は三年前の「岳」入会をもって始まります。俳句を始めたあとは、「冬浪」「古志」「ランブル」と結社を変わり、自身の弱みの克服を目指して参りました。その時々の主宰を始め会員の方々には大変お世話になり、心豊かな日々を過ごさせて頂きました。この場を借り感謝申し上げます。
と、気配りの人らしい。それは集中の、
踏鞴踏(たたらふ)むこと多き性海鼠噛む 浪雅
の句に触れた序文の宮坂静生がその人となりを以下のように記していることからも伺える。
柏田浪雅の体型は見るからに堂々としている。風貌にも眼力がある。その大きさ、鋭さが俳句に現れる。まず作品がちまちましていない。小手先の捻りがない。真正面から持てる力をぶつけるように作品を掬い挙げる。そして、大らかなモラリストとしての人間的な安心感を接する人に与える。
そうだと思う。愚生も年に一度だが、現代俳句協会年度作品賞の選考委員会で会う顕彰部長としての柏田浪雅の姿が髣髴としてくる。
以下に句をいくつか挙げておこう。
寒林のどこかを掃いてゐるらしく
雷を食うて大魚となりにけり
ひやひやと夕日のなかへ柩押す
父来るやこの世かの世と木の葉降り
逝く父に子の画きたる秋の馬
柏田浪雅、昭和17年、宮崎県生まれ。
「岳」つながりで、序文を書かれた宮坂静生の句集『噴井』(花神社)から、以下にいくつか句を紹介しておきたい。
今回通読して強く思っことは、句集『噴井』には社会的メッセージの込められた句が実に多くあった、ということだった。それは現在只今の社会的な状況、世界の在り様を反映してのものだ。それはまた、有季定型翼賛型の句への叛乱でもあろう(地貌がそれを支えている)。
その宮坂静生は昭和12年、長野県生まれ。
鷹柱あれば草柱も
草の絮舞ひ立つこれぞ草柱
干し幻魚(げんげ)とは面妖な冬の貌
冬の象に揺られ三橋敏雄かな
泣いた戦後運動靴のない九月
宮崎進展(神奈川県立近代美術館葉山)
捕虜収容所(ラーゲリ)の夏黒パンは死の軽さ
斑猫や人類遠くまで来過ぎ
怒りゐて鶴凍鶴になりきれず
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