「牡牛と歌手」2013 の案内ハガキ↑
先に神奈川県立近代美術館 葉山で開催されていた谷川晃一・宮迫千鶴展「陽光礼賛」には、事情ゆるさず行けなかった。わが家からは、一日日帰り旅になるので現状では、一日中家を空けることが難しいのだ。それゆえ今回の東京での個展には、案内状(ギャルリー東京ユマニテの展示2016年~2017年1月21日)を頂いた時から、是非とも行かなけれなならないとおもっていたが、これも明後日21日が最終日である。
ともかく、今日は渋谷の漢方内科・渋谷診療所に一ヶ月分の煎じ薬をもらいに行かなければならない日なので(愚生や愚妻の煎じ薬を調合してもらうのに一時間半くらいはかかる)、その待ち時間をぬって会場の京橋まで取って返したのである(銀座線で乗れば20分くらいだった)。
実は、「豈」のデカルコマニーの表紙絵・風倉匠と谷川晃一氏は友人だったという。
それを知ったのは、谷川晃一氏が俳句の小冊子を出されたときに「豈」を贈り、その返信に、「豈」の表紙絵の風倉匠は、懐かしい友人だったとしるされていたからだ。
その風倉匠が亡くなってからはや9年が経とうとしている。愚生はよく知らないが、1960年代の前衛美術家たちネオ・ダダの活動盛んな時代、赤瀬川原平などともに、同時代の仲間だったのではなかろうか。
谷川晃一、1938年、東京生まれ。
ユズリハ↑
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