2017年2月3日金曜日
池田澄子「啓蟄の稲荷寿司から紅生姜」(「ふらんす堂通信」151)・・
ふらんす堂通信・151の特集は「ふらんす堂30周年特別連載・競詠七句」。競詠者は後藤比奈夫・深見けん二・池田澄子。競詠七句の扉には「お互いに兼題を出し合い、そのしばりで競っていただきます」とある。ひねくれ者の愚生は「そのしばり」というのが、すこし気に入らない。他には野村喜和夫と髙柳克弘の「スペシャル『エロス』対談」というなかなか中味の濃い記事もあって、そちらの「しばり」であれば、不自由の極致の美もないではないが、俳句で用いられる題詠という「しばり」は実は、俳句を自由自在に書く(詠む)ためのもっとも有効な手立てだからだ。むしろ、何の題もなく、自由に書いて(詠んで)下さい。自由律ならなお結構です、と言われたりした方が、俳句をなすには、はるかに不自由で難しいことなのである。
とはいえ、「ふらんす堂通信」の他の連載記事も充実している。執筆陣は吉増剛造、神野紗希、杉本徹、髙柳克弘、岸本尚毅、関悦史。
そして、今号の特別寄稿・杉山久子の文中、
「でも本当にひやかったんよ。友達の〇〇ちゃんがぴーぴー泣きよったからおかしゅうておかしゅうて・・・」
の山口弁に思わず懐かしさを覚えてしまった。愚生は18歳で故郷山口を出奔。ほとんど帰郷することもなく、半世紀が過ぎ去った。それでも年をとってきたせいか、山口弁が記憶の底からふと出てきて、口からこぼれることがあるらしい。まさに故郷は遠きにありて思うものだ。
それにしても、ふらんす堂が設立30周年とは・・・、社主・山岡喜美子を牧羊社時代から知っている愚生としては、他人事なれど、いくばくの感慨がある。娘御の有以子は、二代目を襲う気概あり、今後の詩歌の道のためにもふらんす堂の健在を祈りたい。
ところで、冒頭の競詠七句の兼題は「去年今年」「啓蟄」「菜」だった。無作為に各人一句を挙げておこう。
去年今年きのふとけふが雑り合ひ 後藤比奈夫
いただきし便り宝に去年今年 深見けん二
明けまして兎にも角にもよく噛んで 池田澄子
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