岡田耕治第二句集『日脚』(邑書林)、本文部分を4章に、それぞれに分けた理由が「あとがき」に記されている。例えばⅠ章については、
第Ⅰ章「先生」については、一九九六年一月~二〇〇四年十二月まで。「花曜」編集長として、「鈴木六林男に代わって『花曜』を編むこと」というミッションは、否応なく私を育ててくれた。
というように。ブログタイトルにした「日本国憲法」の句は、ただちに師であった鈴木六林男の句「
憲法を変えるたくらみ歌留多でない」を思い起こすことができるし、その表現手法を学んだのだと理解できる。こうして、各章にまとめられた章にはそれぞれに岡田耕治のいわば生活を支えた実業での業績も併せて述べられているが、つまり、岡田耕治の現実的な歩みが句の歩みとともに、その変遷として読めるのである。その誠実な在りようにこそ、むしろ岡田耕治の全体が句集として示されているのではなかろうか。
著者も「俳人は、師匠を亡くしてからが勝負」と記しているが、鈴木六林男亡きのちの句業の行く末が「香天」創刊後の道行として、確実に定まったのだといえよう。
ともあれ、愚生の好みでいくつかの句を以下に挙げておこう。
牡丹の芽友は女のもとにいる 耕治
緑陰に入り精神をはたらかす
先生のいつも鞄敗戦日
聞き耳の至近にありし初時雨
余命という未来のありて著莪の花
六日からきざむ九日秋立ちぬ
赤蜻蛉向き変えるとき高くなる
虫の声読まずに捨てるメールにも
えんぴつのひらがなだけの日記果つ
鰡飛ぶを見ることにしてまだ飛ばず
岡田耕治、1954年大阪府泉南郡生まれ。
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