2017年4月7日金曜日
高橋龍「明の春彼(あ)の日或(あ)る日に後退(あとずさり)」(「面」121号)・・
「面」(面俳句会)は、1963年4月西東三鬼死去により「断崖」が終刊。「断崖」東京支部を母体に発足した同人誌である。いわゆる三鬼門である。ただ1984年通巻99号で休刊し、2002年100号をもって復刊、現在は、創刊同人は一人もいず、三鬼門をはずして現在に至っているという。今年は三鬼没後55年、というわけで三鬼特集である。再録されているのは、山本紫黄と山口澄子の対談「三鬼先生裏話」(「断崖」終刊号・昭和37年10月)、「師弟対談、西東三鬼・三橋敏雄 俳句よもやま」(「俳句研究」昭和35年12月号)。労作は、高橋龍の「戦時下の東京と西東三鬼」(自・昭和三年 至・昭和十七年)の詳細な年譜。さらに戦後、三鬼が広島に取材した作品「有名なる町」8句(「俳句人」昭和22年・5)をめぐるGHQの「検閲文書」のコピー。高橋龍の解説によると、
一、検閲期間(昭20・9-昭24・10)に提出された資料は終了後、メリーランド州立大学)歴史学教授G・W・ブランゲが米国に持ち帰り「ブランゲ文庫」と命名された。そのうち雑誌三五〇〇誌(紙)九五〇〇冊がマイクロフィルム『占領軍検閲雑誌』として雄松堂から発行され、国立・国会図書館の「憲政資料室」で一般に閲覧できる。二、そのうち俳誌は、六六五誌「俳句研究」「現代俳句」のような総合誌、「ホトギス」や「馬酔木」という旧派の雑誌まである。(中略)現に三鬼の句についても初出の「俳句人」ではパスし、「暖流」ではひっかかっている。四、三鬼作品と窓秋の鑑賞文の違反理由は、「暴力または社会不安の扇動」にあたるであって、プレスコードには原子爆弾に関する項目は一つもない。しかしながら、原爆投下は、占領軍が最も知られたくない覆い隠したい事実なのである。(中略)この「社会不安の扇動」を支えているのは、さらに漠然とした「公共の安寧を乱す」である。(中略)
「公共」黄門様の印籠のようなもので、目に入らぬかと言われれば、へいと頭を下げざるを得ない。公共の範囲はもっぱら国家権力が決めているのだ。「共謀罪」に「公共の安寧を乱す」は今も生きている。
と述べている。
本号には23名の同人作品20句が掲載されているが、以下に三鬼の弟子であった三橋孝子と「豈」の同人である人の句のみを挙げておきたい。
白昼の”夕日の滝”はただの滝 三橋孝子
あの日から冬が嫌いに長濤忌 池田澄子
白日傘脚美しく迫りくる 北川美美
ソムリエの指美しき西東忌 福田葉子
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