大場弌子句集『遠州灘』(角川書店)、大場弌子(おおば・いちこ)、昭和10年、静岡県生まれ。集名は以下の句から、
秋燕や遠州灘は母の海 弌子
跋文の黒﨑治夫は、次のように述べている。
本句集は、「港」入会からの四年間の作品から成っている。『椎の花』から『遠州灘』までの十年間の余白がある。その余白部分にもう一人の弌子さんがいる。私は、近い将来に『大場弌子作品集』として、その余白の部分も含めて、全人格の投影された作品集を見せて頂きたいと思っている。
涼風や俳誌「港」をふところに
一方、序文は大牧広。そこには、
さて、大場弌子さんは、細川加賀が興した「初蝶」に拠って、俳句の道に進んだ。
と書かれ、また、
加賀思ふ金木犀の香なりけり
ふたたび触れるが、細川加賀という俳人は、ときに磊落、ときに繊細、そのような俳人であったと思う。(中略)
作者は、あのかぐわしい金木犀の香を想うとき、同時に細川加賀を思う、と書いている。その純一性こそが作者を思わせるのだ。
とも記している。さすがに年齢を重ねた節目に詠んだ句には、作者の人となりが現れていよう。例えば、
秋袷七十八とは腑に落ちぬ
酔芙蓉八十歳とはこそばゆし
八十のからだ大切年酒汲む
水澄むやこれより先が晩年か
ともあれ、いくつかの句を以下に挙げておこう。
海境(うなさか)
に雲立ち上がる大暑かな
卒業の先生の手の泣いてゐる
片足を富士にかけたる冬の虹
ときどきは杖となりたる日傘かな
花の種撒いてゆゑなく溜息す
美しく老いて行きたし酔芙蓉
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