2017年6月19日月曜日

虚子「虹消えて忽ち君の無きごとし」(『虚子散文の世界へ』)・・



 本井英『虚子散文の世界へ』(ウエップ)、「WEP俳句通信」に連載されたものを一本にまとめた虚子研究の成果である。本井英はほかにも冊子「夏潮 虚子研究」を発行し続けている。それらの営為を支えているのが虚子想いの本井英のひたすらな情熱である。全12章に虚子の散文(小説)のいちいちを引用、評価を書きとどめている。虚子は写生文による小説を試みたので、いずれにもモデルが存在するらしい。となると、愚生などは俗人の下世話がついてまわるせいか、第十章「戦後の名品」の「『虹』その後」に以下のように記されると悪趣味の面白さが少し減じられるようにも思う。

寿福寺」は「ホトトギス」昭和二十三年七月号が初出。昭和二十三年四月二十二日、柏翠が愛子の墓標を持って鎌倉虚子庵を訪れ「愛子の墓」の揮毫を依頼したので書いた。その後寿福寺の墓域を虚子、柏翠、たけし、実花で訪れた。たけしがシャベルで土を掘って、虚子の墓の予定されている矢倉の近くに、その墓標は立てられた。
 女弟子へのプラトニック・ラブを、この世ならざる、夢のような物語として発想した「写生文小説」は虚子が意図したとおりの大団円を迎えることとなった。

 写生の概念そのものに、言語表現であるかぎり、フィクショナルなものを含まざるをえない。厳密な事実知らされようが、あるいはそうでなくても、所詮はテキストの面白さにこそ読者は魅かれるのだと思う。
 最後に、本書の結びに「また、実際に於いては土田由佳氏にお世話になった。記して感謝の意を表したい」の件に出会い、土田由佳、どこかで聞いた名だな・・・と、そういえば、愚生が『本屋戦国記』(北宋社)を書き、『現代川柳の精鋭たち』(北宋社)の企画に関わったときに、たしか北宋社社員として務められていて、社主だった渡辺誠ともどもお世話になったことを思い出したのだった。




 ところで、出たばかりの「WEP俳句通信」98号には、「豈」同人の筑紫磐井が連載「新しい詩学のはじまり(九)『伝統的社会性俳句②-大野林火(上)』」を、そして北川美美の連載「三橋敏雄『真神』考⑪-動詞多用の独自性」また秦夕美は〈特集散文的な俳句について〉「凝縮と拡散」をそれぞれ執筆している。筑紫磐井は「伝統的社会性はリアリズムの社会性とは別に、伝統的社会性としての固有の価値を持っていたようである」と、「伝統的社会性」という新概念を持ち出しての論を展開している。北川美美は動詞の多用を、三橋句の多くの例を挙げて実証しようとし、論も佳境にさしかかる感じだ(もっとも、同誌の岸本尚毅「先人に学ぶ俳句」での「三橋敏雄『しだらでん』以後」との対比も面白い)。さすがに秦夕美は「韻文体質の私にとって、『散文的である』が佳句とはどんなものか見当もつかない」とにべもない結論。
 あとひとつの余談だが、同誌の「珠玉の七句」コーナーの柿本多映の顔写真が本人ではなく遠山陽子の写真になっていた。



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