2017年6月4日日曜日

清水径子「ロシア向日葵の種です古沢太穂居ない」(「SASKIA」10号より)・・



 「SASKIA」10号は三枝桂子の個人誌である。今号の一冊はほぼまるごと清水径子の特集である。三枝桂子選による清水径子二百五十句。論考は、特別寄稿に皆川燈「まろびてつかむ抒情の水脈」、三枝桂子「輝けるこの世の俳句」である。
ブログタイトルにした清水径子の句は、巻頭の三枝桂子のミニエッセイ「俳縁」からの抽出である。それによると、

 この句は、清水径子の句集には収録されていない。句会に出句されてそのままになった。句会記録ノートには二〇〇一年七月二十日の日付がある。径子の自宅で開かれていた句会には毎月七句を出句した。そのうちごく一部を、径子は誌上に発表していたようだ。句集に収録される句はさらに厳選される。この句は最初の段階で自選を通過しなかったのだから活字にもなっていない。口語を重ねた直裁的な句だが、この句は心に残った。太穂からロシヤ向日葵の種を貰ったことがある、というエピソードを句会の席で聞いたためかも知れない。

と書かれている。太穂を偲ぶ貴重な句であろう。また、このエッセイの末尾あたりに、「一九九六年、太穂は径子の義兄秋元不死男らと共に『横浜俳話会』を発足させている。三人とも横浜住まいだった」ともあった。その横浜俳話会は現在もなお続いていて、流派を越えた俳人たちの組織として活発に活動している。
 特別寄稿の皆川燈は、清水径子「まろびてつかむ二十数年前の雪」の句から永田耕衣との出会いを次のように描いている。

 径子が俳句に希求したのは、十七文字でいかに人間の生死の一刹那を、魂のリアリズムとして切り取るかということだった。いや、他のどんな表現形式よりもこの短さと、季語という精神風土に根差した詩語の組合せよってこそ、人は時空を飛び越えて魂と魂との直接的な交感ができるはずだ。この句で径子は魂の通路を「まろぶ」という捨て身の、いささかユーモラスな動きで突破し、「二十数年前の雪」へとワープした。そしてそれは、たしかに耕衣に届いた。
 
 そして、もう一考、三枝桂子「耀けるこの世の俳句」は、秋元不死男の俳句「もの」説を丁寧にたどりながら、清水径子の俳句の在り様を語って出色である。また、清水径子・二百五十句に目を通すと、改めてその句の見事さに魅かれるのであった。
ともあれ、以下には三枝桂子「若草文字」30句からいくつかを挙げておきたい。

   きさらぎを蒼く滴るまま通る     桂子
   うしろうしろ蝶のしるしのはぐれもの
   肉声を聞くように聴く春の雨
   蟷螂の杖堕ちている古奈落
   いま石をしずかに産んできた時雨




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