2017年8月24日木曜日
川口常孝「強姦をせざりし者は並ばされビンタを受けぬわが眼鏡飛ぶ」(『爲説』より)・・
森山光章評論集『爲説ー〔報恩〕のエクリチュール』(不虚舎)、ブログタイトルに挙げた一首は、評論集冒頭の⑴「〔誼〕の言之葉」ー川口常孝先生の歌集を読む」から引いた。森山光章曰く川口先生の第5歌集『虚妄の海』(昭和45年刊)を読むとして、以下のように語っている。
友人の万葉学者で詩人の平敏功君に言われた。川口先生は、早稲田の高等部を、軍事教練に反對して退学されたと。この事は、先生は公(おおやけ)にされていないようだ。少年が、軍事教練に反對して退学するとは、有り得ぬ事である。ここには、〔誼〕がある。先生の言之葉は、〔誼〕のエクリチュールである。落涙を抑(おさ)えがたい。
さらに、最大の〔陰謀〕である、「戦争」を詠んだ第八歌集『兵たりき』のなかから数首を引き、「『戦争』の悍(おぞ)ましさをここ迄、表現した文学作品は、他に無い」という。
嘔吐する大便洩らす兵もいて突撃の命待つなり壕に 常孝
死ぬために生まれ来しなり文字通りその亡骸を雨叩き降る
性病を持たぬ慰安婦を真っ先に軍医が抱けり検診終えて
「君は日本軍の支えなり」慰安婦に隊長の訓辞始まる
葛湯飲み涙浮かべていし兵の舌噛み切りてみずからに死す
「⑵女と火魔一濤を(オミナトヒマヒトナミオ)ー宮崎二健の作品を読む」には、
積み木入れに溜まる猿股に霊気満つ(ツミキイレニタマルサルマタ二レイキミツ)
宮崎氏は、「回文俳句」によって、〔俳句〕の臨界点(・・・)に到る。宮﨑氏の言葉を借りれば、〔根の国の境〕、いや〔根の国〕に到るのだ。〔俳句〕の臨界点に到ることは「回文俳句」に拠(よ)らなければ、為しえないだろう。彼の〔覚智〕は鋭(・・)い。〔佛腐乱して〕、〔彼方〕が現前するのだ(・・・・・・)。(中略)
〔俳句〕は、〔俳句〕を超克しようとする(・・・・・・・・)処にしか、現前しない(・・・・・)。
と記されている。独特な認識と彼を支えている膂力は無限なのかも知れない。
森山光章(もりやま・みつあき)、1952年、福岡県生まれ。小説家・帚木蓬生の実弟。
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