2017年9月28日木曜日
白石正人「月祀るいつか地球も祀らむか」(『嘱』)・・・
白石正人第一句集『嘱』(ふらんす堂)、序句は大木あまり「詩の河はいつも激流青胡桃」。序文の石田郷子は、
古本のアデンアラビア燕来る
打座即刻における潔さは、失わない青春性であり、また青春性とは一見相反するようにも思える無常観でもあろう。私はそれを俳句の世界に限らず貴重なものだと思う。
と述べる。ポール・二ザン『アデン・アラビア』といえば、愚生の年代では、かの有名な冒頭の「ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせはしない」というフレーズがまさに独り歩きしていた。『嘱』の著者が1951年生まれとあったから、しかも東京生まれの、東京育ちでは、きっと早熟な高校生の頃だったに違いない。そして、著者「あとがき」に「二〇一四年八月、彼は癌で急逝してしまった。痛恨の極みとはこのことかと思った。ごめんな。この句集は梅本育生に献じます」とあった。
「穿」編集人・梅本育生↑
梅本育生・・どこかで聞いた覚えがあると思い、探した。昔の雑誌はほぼ処分してしまった愚生の匣底に一冊だけ残っていた。「穿」6号(1981年2月、言游社・定価600円)、その号に梅本育生の作品はなかったが、編集後記を書いている。「穿」6号には、「豈」創刊同人だった小海四夏夫の短歌「濡羽つばめ」14首が掲載されている。その後、杳として行方のわからない小海四夏夫が贈ってくれたものだ。その小海の作品を二首、以下に挙げる。
三角筋の厚きを頌めつきゝ腕に鎮静剤をうつ看護婦(いもうと)よ 小海四夏夫
病むわれにさぶしく響く暴走の彼らも地上を恃むほかなし
その雑誌には特別に岡部昌生のオリジナルのフロッタージュが挿みこまれている。小特集1「フロッタージュの脈動・岡部昌生のしごと」が組まれ、9ページほどの絵画作品が掲載されている。梅本育生はその編集後記に以下のように記していた。
今号は新しい試みとして、岡部昌生氏のオリジナルを扉に挟んだ。これは氏の手描きによる一冊一枚のオリジナルであり、もちろん一枚ずつストロークが違う。息をとめ、手首の動きに全魂を込めたストロークをじっくり視て欲しい。
と・・・。改めてこの雑誌をみると、夭折した安土多可架志「首都攻撃」の20首も掲載されいるではないか(彼は俳句も書いていた)。
朗らかにふるまふことをよしとせる雇ひ主も雇はれし者らも 安土多架志
胸痛むこともなく内乱のこと戦争のことも教養として
想い出話めいたことを記してしまったが、以下に『嘱』の句をいくつか挙げよう。
因みに栞は髙柳克弘「酒場に集う人々」がしたためている。
祈ること願ふことなし残る蟬 正人
藻の花やめだか居るかと尋ねられ
要らんこと引受けて来し年用意
蓮の実飛んで百三十八億年
採血の手の冷たきを詫びらるる
わだつみに帽振れの声沖縄忌
箱庭に行乞の人置きにけり
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