2017年10月21日土曜日
九条道子「始発車を見送る青女無人駅」(『薔薇とミシン』)・・
九条道子第一句集『薔薇とミシン』(雙峰書房)、薔薇とミシン、この集名からは、たぶん、多くの人は、かのシュルレアリスムのロートレアモンの詩句「解剖台の上でのミシンとこうもり傘の不意の出会いのように美しい」を思い出すかもしれない。愚生もミシンとこうもり傘ならぬ「薔薇とミシン」に妄想を働かせたのだが、本集はリアリズムの「薔薇とミシン」である。懇切を極める戸恒東人の序文には、
句集名の『薔薇とミシン』は、集中の
薔薇香る窓開けは放ちミシン踏む 「吾亦紅」
から採ったものである。愛情を掛けて育てた薔薇たちが香る庭園。その薔薇の香りを窓から引き込みながら生業としてのミシンを踏む。もう何十年も続けてきた日常であるが、何事もなく過ぎ去ることも大事だ。そして夕暮れになると、
ミシン止め薔薇と語らふ薄暑かな 「文字摺草」
と、ふたたび薔薇園に下りたって、てきぱきと手入れする。庭のバラは亡夫の形見であるが故になおさら愛おしい。
これも心情あふれる跋の原田紫野は、最後に以下のように締めくっている。
ミシンは確固とした実の世界、大震災の被害に遭った家を建て直し守り続ける堅固な意志と力を、そして薔薇はそれを支える詩情と美意識の謂と言えよう。その二本の柱の微妙なバランスのとれた生き方を九条さんは今後も強く美しく句に刻まれることであろう。
ともあれ、集中よりいくつかの句を以下に挙げておこう。
霧立ちてたちまち湖面失へり 道子
平成二十年十二月十七日 夫克行死去。享年六十五。
微笑みの遺影に冬の薔薇香る
咲き初めの薔薇一輪は亡夫のため
三山を引き寄せ寒の月静か
聖夜かな一つ蒲団に母と寝て
文字摺草節(たかし)と夜雨(やう)の里に住み
昨日呑みし日輪を吐き冬の梅
九条道子(くじょう・みちこ)、1945年茨城県下妻市生まれ。表紙、扉の装画は父の鯨井康嗣、写真は亡夫の育てた薔薇。
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