2017年12月25日月曜日
中内亮玄「前衛は赤錆びの匂い指太し」(『赤鬼の腕』)・・
中内亮玄第二句集『赤鬼の腕』(狐尽出版)、集名は以下の句に因むものだろう。
秋の道赤鬼の腕が落ちていた 亮玄
中内亮玄にはなかなか縁がある。著者からは、わが「豈」同人でもある岡村知昭が所属しているからだろう、彼の同人誌「狼」もいち早く恵まれていた。そこで思い出したのだが(老いが進んで記憶が早々となくなっている様子だが)、愚生が「俳句界」(文學の森)に勤めていた頃、もう五年近く以前のことになるだろうか。何かの折りに、編集長に彼の作品か文章、どちらかを推薦したように思う。あるいはまた、愚生が現代俳句協会の現代俳句新人賞選考委員をやっていたときに、当該年度の受賞作無しを主張した折の(協会にとって新人賞受賞作無しは初めてだった)、実質新人賞だったのが中内亮玄ではなかったろうか(もちろん、応募者無記名の選考である)。
ガザ空爆飯を喰う手はどっちだ 亮玄
金子兜太に心酔している中内亮玄には本書第二章に「靑鬼の尻」(小論集)が併録されている(「五七五の器 俳諧韻律論」、「俳諧哲学者 金子兜太」、「主体写生論」、「現代俳句という伝統俳句」など)。また『兜太の遺伝子』というエッセイ集もあるくらいだから、半端なく、句法においても兜太の力技的俳句表現をなす。本書題字も金子兜太揮毫である。これだけ兜太づくしであるにもかかわらず、たぶん、あえてだと思うが、兜太による推薦文や帯文はない。兜太による選句でもない、いい心ばえだと思う。それはまた、「生涯ハ胡乱ナリ、我、俳壇ノ鵺ナラン」の献辞を扉にかかげていることに通じていよう。
愚生は若き日、金子兜太の造型俳句論を実作上で克服しようとしていた時期がある(今となっては無残にも実現していないが)。金子兜太の名句は不思議なことに、その兜太自身の造型論におさまらない、説明しきれない句にいい句が多いように思う(天才ということかも・・・)。
中内亮玄は若い世代における俳人の膂力として、同年代では傑出しているのではなかろうか。
ともあれ、集中よりいくつかの句を以下に挙げておこう。
剥き出しの心臓である冬の汽車 亮玄
子どもという実に無邪気な輪を覗く
雪虫や皆同じにはなれぬ様
ピアニカ吹く無防備な足伸びている
爆撃間近魚さばきますと魚屋
中内亮玄(なかうち・りょうげん)、1974年、秋田県生まれ、福井県育ち。
撮影・葛城綾呂↑
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