2018年4月25日水曜日
酒井弘司「天命という言葉ふと二月尽く」(「朱夏」138号)・・・
「朱夏」138号(朱夏俳句会)、「朱夏の俳句鑑賞」に、中上哲夫「金子兜太の精神ー『朱夏』137号を読む」の冒頭部分に、
社会性と土着性ー『金子兜太の100句を読む』の名著もある酒井弘司主宰にも「朱夏」の皆さんにも金子兜太の精神が脈々と流れているような気がするのだ。
とあって、「朱夏」の句の鑑賞に入っている。他に、酒井弘司「兜太俳句断章ー思い出すことなど」には、「海程」の初期の編集長であり、かつ金子兜太の在り様についても、傍に居た者でなければ、わからないだろう貴重な指摘がここかしこになされてる。例えば、
わたしは、俳誌「俳壇」(平成21年9月号)で「金子兜太100句」を選句、掲載したときにも「今は亡き皆子夫人の慧眼については、何度でも口をすっぱくして言いたい」とその功を書いた。熊谷の一戸建て、庭のある新居に入ることがなかったら、後半生のアニミズムを取り入れ産土の秩父へ思いを込めた作品も、存在の基本は土にあるということを主張することもなかったのではないか。
兜太先生の願望は、「今日の俳句」(光文社 昭和40年)の表紙に添えらえた「古池の『わび』よりダムの『感動』へ」というキャッチフレーズのように、現代的なマンションだった。
と記されている。たぶんそうに違いないと思う。そして、結びには、
霧の村石を投(ほ)うらば父母散らん 昭和37
かつて、こう書いた秩父の村に兜太先生は還られた。
この句をつぶさに見ていくと、故郷への母体憧憬の思いと、故郷を撃つ形姿とが二重写しに見え隠れしている。
人間探求派に連なる兜太先生は、今ごろ楸邨と褥を同じにしていることであろう。
同号より、兜太を偲ぶ句を少し挙げておこう。
春の山鬼かえりゆく朝の道 酒井弘司
兜太臥し春一番を遠ざける 鈴木淑子
水脈の果て兜太秩父の地に還る 村上 司
胸底にたった一点兜太痕 辻 升人
冬鵙や「戦よあるな」兜太の死 中岡昌太
雪の朝兜太何処の水脈の旅 和田義盛
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