2018年9月18日火曜日
二ノ宮一雄「囀りや恋うても空は遥かなる」(『終の家』)・・
二ノ宮一雄第4句集『終の家』(文學の森)、集名に因む句は以下の句からであろう。
木の葉髪書に埋もれたる終の家 一雄
巻尾の句は、上掲の句と対をなす、
数へ日や万巻の書の深き黙
「深き黙」は、次の誕生日に関する句にも照応しているように思えてならない。
わが誕生は昭和十三年四月五日
深きかな生誕の日の春の闇
誕生する生こそは闇を深く背負っているのだ。著者「あとがき」に、
平成三十年四月五日、私は満八十歳となりました。本書の内容は、そこまでの十年間の、丸々七十代の私自身の生活体験に他なりません。しかし、前述したように単に吐露するのではなく、その体験の中から、七十代という人生の晩年を迎えた人間の、自然や人間に対する普遍的な姿を描き出したいという思いで、この一書を編みました。
と記されている。また、懇切を極める跋文は坂口昌弘「檸檬一果の宇宙」、それには、
(前略)句集の特徴の一つは光のポエジーである。
今までの句集にも光をテーマとした句が少なくない。詩人・歌人は、写生を突き詰めると最後は光りに出会う。写生という行為を可能にしているのは光である。光がないと物が見えない。森羅万象の物の影は光の姿である。物をよく見て写生するということは、光の働きをよく感じるということである。
作者はよく光の動き・働きを見ている。この世に生物の命が存在しているのはすべて光のおかげである。
とある。ともあれ、他にも、愚生の感銘した句の中から、いくつかの句を以下に挙げておきたい。
さすりつつはは冬月へ送りたり
風鶴院波郷居士秋風裡
水うつてかの世の風のきたりけり
雪の暮飛礫となりて何の鳥
寒雷を夢より引きて覚めにけり
ふるさとは霧の底なる小盆地
草いきれ若き日の雲あふれゐて
二ノ宮一雄(にのみや・かずお) 昭和十三年、八王子市生まれ。
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