2018年9月27日木曜日
中上健次「あきゆきが聴くまぼろしの声夏ふよう」(『熊野概論』より)・・
谷口智行著『熊野概論』(書肆アルス)は、前著『熊野、魂の系譜』の第二弾である。前著の副題が「歌びとたちに描かれた熊野」で、いわば、多くを文学的なものに費やされていたが、本著は、民俗的なものを多くふくんでいるし、政治的な状況にも触れた、よりより深く犀利な内容となっている。もっとも愚生には手に余る内容であって、賢明な読者は本著に直接当たられるのが良い。5章に分かれているが、茨木和生主宰「運河」に連載された文章を多く収載している。Ⅱ章の「満蒙開拓団」のことなど、最近ではようやく少しづつ論じられることが多くなったものもある。高屋窓秋も新興俳句弾圧事件直前に満州に逃れて、検挙を免れているが、その時のことを本人はあまり語っていない(窓秋の生前、愚生もまだそこまで聞くという興味を持っていなかった。惜しかったと思う。その地で長女を亡くしている)。愚生は山室信一著『キメラー満州国の肖像』くらいしか読んでいないので、興味深く読ませてもらった。その他、書き下ろしの力作「神仏習合と廃仏毀釈」、「農」が目を引く。
また、日本の農業の効率を悪くしている原因の一つに農協の存在がある。葬儀場の運営管理にまで仕事が拡大され、否応なくそれらをこなしている農協職員には何の罪もないが、現在の農家の数に対し職員の数が多すぎる。これは全国的な傾向であり、国政レベルの課題である。
と、政治家が取り組まなければ解決しない課題でもあり、手厳しい。とはいえ、愚生は俳人のはしくれだから自然に俳句関係に興味が向く。「中上健次と俳句ー受け継がれゆく熊野大学俳句部」の項で、久しぶりに松根久雄の句に出会った(二昔ほど以前に、たしか書肆山田から句集を出していた)。整理が悪い上に、断捨離、散逸しているが、たしか坪内稔典「現代俳句」(南方社)に、拙い中上健次論を書いた覚えがある。
余計なことだが、今は昔、三鷹駅前の一階は本屋(第九書房)、上の二階は名曲喫茶だった第九茶房に中上健次はよく来ていた。40年以上も前のことだ。谷口智行も書いているが、中上健次は、じつに細かい文字でノートにびっしりと書く人だったという記憶がある。それにしても、これも大部の前著に、
筆者は紛れもなく、地域に浸り、かつて母系一族の食に与(あずか)った芋畑に小さな診療所を建て、地域医療に従事し、日々現実的でストレスフルな課題を背負う一生活者である。
と記している。結社誌「運河」の編集などもあり、多忙を極めているはずの著者が、前著刊行後4年にして、またしても大部の本著を上梓するなど、その膂力は並みではない。余談だが、本著は最近では珍しい造本(コデックス装幀・装幀者は間村俊一)で、糸でかがられた開きのすこぶる良い本(ノリがとれてバラバラにならない)である。
ともあれ、本著より、アトランダムにいくつかの句を挙げておきたい。
速玉の巫女ら並びて夕立見る 谷口智行
八月の路地に戻りしことせめて 松根久雄
蓬来の栄螺を取りて食せといふ 茨木和生
炎天を歩いて来たと褒めらるる 宇多喜代子
大根をひつさげ一日詣かな 藤本安騎生
撮影・葛城綾呂 何これ?コスモス↑
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