2018年9月6日木曜日
夏木久「ブラスバンド雨に濡れをり星条旗」(『風典』)・・
夏木久俳句風曲集『風典』(風詠社)、夏木久には、これまでにも、私家版でごく少部数のパソコン入力による手作りの句集が二冊ある(『神器に薔薇を』『笠東クロニクル』、いずれも俳名をもじった書肆「夏気球舎」刊)。その意味では、本句集は第三句集にあたるのだが、市販される句集としては第一句集ということになろう。いずれ多作の人で、様々に、句に工夫を凝らす人だから、今回の句集『風典』もそれにたがわず、まず、その集名に「俳句風曲集」などと気取っているところがニクイところだ。夏木久は今のところ新味の追求に余念がないが、いずれオーソドックスな有季定型の見事な一句をなすのではないかと、ひそかに期待もしているのである。
本風曲集扉ウラには、Natsuki Q とあり、
-詩は音楽にならなかった言葉であり、
音楽は言葉にならなかった詩であるー (ヘルマン・ヘッセ)
とあり、奥付前のページには、
ー説明しなくてはそれがわからんというのは、
どれだけ説明してもわからんということだー
(村上春樹「1Q84内登場人物科白)
と、後のほうは、まるで虚子がつぶやきそうな科白が献詞されている。あるいはまた冒頭の見開き2ページ「前Q-早口のPrelude 風ー9句の下の文字揃えは、絵画でいうΛ形になり、最終ページの見開きページ「後Q-自惚れのEnkore 風ー」の9句では、逆に下の文字揃えはV字形である(たぶんそうした遊びを入れているのだと思う)。
こうしたところは虚子が「明治三十六年の俳句界」で碧梧桐について叙した「一句一句読過するに連れて作者得意の技巧を各句の上に弄して一句も平凡ならしめざらんとする工夫は充分に認識することが出来た。単に文字の斡旋上の技巧のみでは無い新しい材料を揃へて来て人の耳目を新たにするといふ得意の技倆も認識する事が出来た」ということに似ていなくもない。
愚生は夏木久の応募作品を、第3回攝津幸彦記念賞(2016年、大井恒行奨励賞)をもって顕彰したこともある。「豈」の有為の同人である。「あとがき」には、彼のマニフェストが以下のように記されている。
絵や音楽と違って、言葉はその映像や事象・状況をそれとして捉えた瞬間から枯れ始める。その枯れを少しでも遅くし、生き生きとした時間(時間が存在するものとして)の表情として留めたい。そんな思いを、詩・特に俳句(日本短詩)は叶えるのではないかと秘かに、痛切に信じる。
ともあれ、いくつかの句を挙げておきたい(1000句ほども句があるので、各小題となった句だけでも26句挙げねばならないほどである)。
風曲る角に手洗ふ水の暮 久
長持を開けて前世の花衣
春ゆけり船中泊は漂泊に
海底より四輪駆動の乳母車
潰したるペットボトルの中に海
昨日今日明日案山子は「The sound of silence」
ポルとガルアリスとテレス栗と栗鼠
洗脳も夢の暴走止められず
水を汲む手児奈は風を傍らに
青薔薇を咥へ窓辺に真夜の鳥
くれぐれもくれてもろうかはしつてはならぬ
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