2018年10月16日火曜日
菊池麻風「あをぞらの香のはげしさや夜の菊」(『「自註・菊池麻風』再誦』)・・
嶋田麻紀『「自註・菊池麻風集」再誦』(ふらんす堂)、本書は菊池麻風が上梓した俳人協会『自註現代俳句シリーズⅣ期20 菊地麻風集』を麻風没後「麻」主宰となった嶋田麻紀が昭和58年1月から平成20年までの約25年間に渡って鑑賞し連載したものの集成である。著者「あとがき」の結びには、
本年(二〇一八年)には創刊五〇周年の大きな節目を迎えることになった。会員も高齢化したし、私が「麻」を引き継いでからまもなく三五年となるので、創刊者の作も人柄も知らない方が殖えている。この再誦が麻風を知るきっかけとなれば幸いである。
と記されている。愚生も菊池麻風については、渡辺水巴「曲水」の高弟であるということぐらいしか知らなかったので、いくばくかの手がかりを得ることができた。
「清新な白きぺージの上に何を描こう」と自註に記した麻風「天に地に白きページの夏ひらく」の句について、嶋田麻紀は、「日輪に目つむり枯草にゐる」(昭和15年)の句を抽きながら、
昭和十五年の日輪の句について麻風は「定型というより自由律だ。曲水の例会に出してみたところ、水巴師の選に入り、形式の点についても却って賞讃された」と記している。
二一年作のあをぞらの句は渡辺水巴への追悼句であるが、「天に地に」の句と同根の資質というものを感じさせる。
と、述べている。この「天に地に白きページの夏ひらく」の句に、愚生は、窓秋「頭の中で白い夏野となつてゐる」を思い重ねた。それはともに昭和十年前後に、当時の青年俳人たちが描こうとしていた精神の風景だったのではないだろうか、とも思った。因みにブログタイトルにあげた「あをぞらの香のはげしさや夜の菊」は水巴(昭和21年8月13日没)追悼句であり、昭和21年作であることを思うと、これもまた敗戦直後の風景を句の背後に負っているのではなかろうか。
ともあれ、句のみになるがいくつ挙げておこう。
春愁や限りなく行軍を幻に 麻風
蛍籠ある夜涙のごと光る
還り来し友秋雲を肩にせる
黄落のベンチに倚ればエトランゼ
風花の通りし北の空の青
はくれんの白と障子の白と別
谷中村枯芦原のあるばかり
空華死後十薬十字の花愛す
(空華「十薬の今日詠はねば悔のこす」がそれだ)
木犀の香にゐて古典めく日なり
白桃を啜る老唇滴らし
冬欅白雲を天に遊ばしむ
山茱萸の金色明り賜はりぬ
菊池麻風(きくち・まふう、明治35年4月15日~昭和57年6月4日)、栃木県生まれ。
嶋田麻紀(しまだ・まき)1944年茨城県生まれ。
撮影・葛城綾呂 フェンスを喰う木↑
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