2018年11月16日金曜日
宮﨑莉々香「かまきり白く長く階段たちつづく」(「オルガン1」5号より)・・
「オルガン」15号(編集・宮本佳世乃、発行・鴇田智哉)、前号に引き続いて「座談会 続・『わからない』って何ですか?」は同人4名の真摯な論議になっている。もっとも若い宮﨑莉々香の疑問に対して、他の同人が誠実に根気よく答えようとしているという構図なのだが、熱心ですがしく良い。往復書簡は、今回は浅沼璞から柳本々々氏へで、「空芽による新たな平句にも、〈心地よい自然の無関心〉を受容する水平思考的《ふつう》さが脈打っている、としていいでしょう。いやはや、なんたる《軽み》」などと、スリリングな物言いで毎号興味が尽きない。今号の眼玉企画は、「対談 翻訳と制約 〈漢詩〉の型とその可能性を旅する 小津夜景×北野太一」であろう。先般、上梓された小津夜景『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』(東京四季出版)をめぐる著者と編集者のやりとりなのだが、いたるところに示唆的な俳句形式論とも思えるところが刺激的である。中に小津夜景は、
(前略)あと批評が見落としがちなのは、定型が現実の時空とはまた別の存在形式であるってこと。ひとが普通に生きて、しゃべって、寝て、おきて、っていう時空をいったん忘れて、それとは違う時空に身を置くために、それはある。つまり定型は、現実に隷属するのではなく、むしろそこから亡命することにつながるんです。(後略)
という。もっとも、北野太一は、先に平出隆の言を引用して「定型と非定型とは、制約において異なった経験をし、拘束において同一の事態を経験する」と述べている(興味のある御仁は本誌に直接ご購読を!)。その北野太一こと北野抜け芝の「留書」によると、福田若之『自生地』が第六回与謝蕪村賞新人賞を受賞した記念にお祝いの連句を巻くことになり、捌きを浅沼璞、差合見(さしあいみ)を北野抜け芝で連衆はオルガン同人+五人で興行したという。以下にオン座六句の三連のみだが、以下に記しておこう。
オン座六句「原つぱ」の巻 璞・捌/抜け芝・指合見
原つぱが都へつゞく秋の川 宮﨑 莉々香
手にある草履はきなほす月 福田 若之
とりどりのタイルの色を張り替へて 宮本 佳世乃
ブラウン管は深くさゝやく 鴇田 智哉
とゞかない夜こそ氷柱なす真空 田島 健一
おなじみぞれの下のきやうだい 北野 抜け芝
おくれ毛のうす約束に笑み給ふ 浅沼 璞
覚めて覚えのなき香焚かれ 青本 瑞季
若之がきて学校はずつと海 青本 柚紀
あまりにふとつた鰐型の岩 西原 紫衣花
活きのいゝサマンサタバサ本物さ 大塚 凱
客の求めに濁音を消し 健一
点から点を結びつらねて地球ができる 智哉
ポピーの墓に自転車 佳世乃
出会つた頃の建物の黄を変へた梅雨 莉々香
液体の情忙しく 上野 葉月
背中のはれたところで六弦かつぴいてる 若之
アンプの八つのつまみ 紫衣花
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