2018年11月9日金曜日
山田耕司「この道のこのゆくゆくを水柱」(「円錐」第79号より)・・・
「円錐」第79号(円錐の会)、特集は先般上梓された山田耕司句集『不純』。特別寄稿は福田若之「立ちのぼる主題のあやしさ」、論考は今泉康弘「オトナは判らせてくれない」、山﨑浩一郎「不純の果てに在るもの」。一句鑑賞は田中位和子、後藤秀治、宮﨑莉々香、橋本七尾子。ここでは、山田耕司「節電の柿の赤さを数へけり」への橋本七尾子の鑑賞の結びを紹介しておきたい。
大体、俳句に「節電」などという言葉を若い男(中年とは言いたくない)が真っ向から使うだろうか。節電ははっきりとは目に見えず、人々がひっそりと行うマイナーでいじましい社会的行動である。そんなものを俳句の中に持ち込んでどうする。
「節電」は目に見えないが、過去への、現在への、そして未来への漠然とした不安とそして反省を含んでいる。この句の中で「節電」という言葉の部分が私には暗く見える。痩せて見える。柿の赤さを対比させたせいか。「数へけり」は作者得意のひねり技だ。
なかなか山葵が効いている。そして、「ひねり技」のむこうに、
焚火より手が出てをりぬ火にもどす
藤棚より死なずに戻るひる休み
高校時代の耕司の尖った作品に比べて、本句集はずいぶんとオトナになった、という感がある。その一方で、自分の内面を隠し、韜晦しようとする姿勢は、一貫して変わっていない。
と今泉康弘は記している。橋本七尾子ともども、山田耕司の当初からの「円錐」同志である。愚生も歳をとってしまったが、山田耕司ならずとも、その成熟に向けて、膂力を尽くしてオトナにもなるだろう。ともあれ、「円錐」同人の一人一句を以下に挙げておこう。
長いことそうして姉は考える 矢上新八
婚約は破棄され八月十五日 大和まな
忘れ傘もたれあうたり白秋の 山田耕司
性悪(しやうわる)の兜太に与し終戦日 和久井幹雄
石斛(せつこく)の花断崖をいろどりぬ 澤 好摩
法相のくちびる赤き夜のTV 味元昭次
広島や町かどごとに慰霊の碑 後藤秀治
慶と弔どちらも白き胡蝶蘭 栗林 浩
父逝きし谷間へ掛かる秋の虹 原田もと子
里祭踊るだるまの転びたる 田中位和子
もの憂さに薄く紅引く夜の秋 荒井みづえ
嘗て戦下両国橋の揚花火 小倉 紫
岡崎淳子に「寒葵」を戴く
沙羅の花暮色まとへばなほ白し 横山康夫
七五三道の右より左より 江川一枝
極逆(チバ二アン)の地層発見鷹渡る 丸喜久枝
七月やビニール傘でゆくあの世 今泉康弘
水筒の闇は溢れず蟬時雨 山﨑浩一郎
夏の夜の酒壮大に恋をする 橋本七尾子
ゆふやけのあとつつがなくふる雨に 宮﨑莉々香
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